法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『窓ぎわのトットちゃん』

 日本が戦争をつづけている時代にトモエ学園という風変わりな学校があった。電車の車両をならべて校舎として、さまざまな困難をもつ子供たちを尊重していた。
 そこに奔放すぎて普通の小学校にかよえなくなった少女「トットちゃん」が入ってきた。トットちゃんは学校を自由に満喫しながら、少しずつ成長していくが……


 黒柳徹子の自伝小説にもとづく2023年の長編アニメ映画。シンエイ動画で『ドラえもん』関連を手がけてきた八鍬新之介が企画して、監督脚本コンテまでつとめた。

 キャラクターデザイン*1総作画監督を担当したのも、シンエイ動画出身の金子志津枝。そこに加来哲郎や神戸佑太などの『映画ドラえもん』の常連アニメーターも参加して、子供向けアニメで技術力をみがいてきた会社らしいていねいな映像をつくりあげている。
 デジタル技術をつかった省力は少なく、背景美術の複製素材利用もほとんど見られない。市街地が戦時色にぬりかわったことを示すため、全景を見せるよう3DCG技術で市街地を立体的に動かしたカメラワークくらい。
 子供はもちろんとおりすぎるだけの大人もひたすらていねいに、手描き作画で個性をもって動いていく。それでいて過剰に動かすだけではなく、注目すべき部分を絵コンテ段階できちんと決められていて、画面がうるさくない。
 アニメーションの手法を変えたイメージシーンもEテレで放送するような児童作品らしさがあって素晴らしいし、朝霧のなかから列車があらわれてくる場面*2など日常にも非日常を感じさせる情景に満ちて見ごたえがあった。
 歴史考証も細かく新しい知見が反映されている。たとえば爆撃機から焼夷弾が落とされる長回し描写で、すべてではなく一部だけが空中発火する描写を観たのは初めてだ*3


 そうした関係者が総力をあげた映像作品としての素晴らしさは当然として、初報で感じた期待を超える監督の覚悟を感じさせる誠実な映画作品になっていた。
黒柳徹子の自伝小説『窓ぎわのトットちゃん』を、近年の『映画ドラえもん』で活躍した新鋭監督が初アニメ化 - 法華狼の日記

 まだ作品の全容はつかめないが、上記コメントを読むかぎり、今あえてウクライナ侵攻や新型コロナではなく、比較的に注目されていない戦場や、国内のヘイトクライムに言及するところが印象的だ。

 第二次世界大戦が終わるまでという作品の時代を説明する冒頭からして、いきなり暗闇に無数の提灯が浮かぶという不穏な情景にやられた。
[ID:12521] 戦勝祝賀の提灯行列 : 資料情報 | 収蔵資料データベース | 足立区立郷土博物館

 日清日露などの戦勝や天皇の即位など、かつて日本ではさまざまな理由で提灯行列がおこなわれていた。国家が人々を体制に準じさせることを象徴するように。
 もちろんこの映画も日常の余裕を戦争が少しずつ奪っていく定番として、対米開戦後の贅沢を敵視する憲兵や国防婦人会、それ以前の戦時国債募集なども描かれている。しかしその社会の負担は外国から奪ってきた当然のむくいでもある。
 この映画は対米開戦より前から、ラジオが中国大陸の戦況をつたえたり、英米へ対抗する日独同盟を大人たちが喜んだり、日本側の選択で破裂にむかって膨張していたことを静かに映していく。それでも観客が気づけると信じるように。


 そのような戦時体制からトモエ学園は距離をとり、困難をかかえた子供たちが生きていく。
 国家の役に立たない子供たち。そこで校長はいつか役に立つとなぐさめるのではなく、今そこにいる子供を正面から「良い子」と力強く肯定する。子供たちも今ここにいることが肯定できることだと学んでいく。
 子供が母親の仕事を増やすこと。父親が金になる軍歌仕事を断ること。そうした役に立たない選択に生命の尊厳がある。従順ではない奴隷のように*4

 そして主人公トットちゃんは、子供たちが自他を肯定するために校長がどれほど気をくばっているかを知ったことで、一足先に自分も他者を肯定しようと動きはじめる。
 この映画はちいさな出来事のつらなりとして物語を展開するので、相互の関連は一見するとわかりづらいし、次の挿話は主人公が他者を尊重できない愚かな失敗にも見える。
 しかし主人公はそれもふくめた試行錯誤のなかで自他が生きる喜びをひきだし、何の役にも立っていない生命を正面から肯定していった。
 この映画は時代の記録であると同時に、現代もつづく普遍的な問題に抵抗している。


 ちなみに監督は制作当初、戦時中の庶民らしいイメージで作品をとらえていたという。そこに作者でありトットちゃんでもあった黒柳徹子から当時の豊かさを語られ、山の手の裕福なイメージで映像化する方向へと変わった。
「窓ぎわのトットちゃん」八鍬新之介監督インタビュー 「本当に人の心に届くモノにするためには、妥協はできない」 | スタッフ | レポート | WebNewtype

僕と金子さんの間では当初、舞台が第二次世界大戦中の日本ですから、そこまでオシャレな感じでは考えていなかったんです。トットちゃんにしても、いわゆる庶民の女の子みたいなイメージで進めていたんですけども、ご本人や周りの方の話をうかがうと、決してそうではない。

あのあたり一帯は東急電鉄が開発した地域なので、町自体が新しい町なんです。電気・ガス・水道もすべて通ってますし、西洋建築もたくさん建ち並んでいる。そのあたりはまったく知らなかったので、調べて驚いたところはあります(笑)。

 しかし鑑賞後にid:terry-rice氏の指摘で知ったが、黒柳徹子の母親の手記『チョッちゃん物語』によると、必ずしも生活は楽ではなかったらしい。先述のように父親は信念にしたがって音楽活動を選択するような男性だったし、母親は逆にさまざまな仕事につく活動的な女性だった。

 だが国家が資源や生命を戦争に蕩尽する影響がおよぶまで子供の主観で豊かな家庭に見えたのだとすれば、黒柳家の両親もまた校長のように子供がのびのびと生きられるよう気をくばっていたと想像できる。
 この映画そのものが当時の日本で理想をつらぬき実現しようとした人々の記録なのだ。

*1:児童画を引用した頬や唇の赤みを表現した色彩設定が予告から注目されているが、実際に観賞すると立派な人物として描かれる校長の歯が欠けている不思議な生々しさが印象に残った。

*2:監督がコンテ演出を担当した『ドラえもん』の傑作回「夜行列車はぼくの家」を連想した。 『ドラえもん』雲に乗って学校へ/夜行列車はぼくの家 - 法華狼の日記

*3:そのような機能をもたない焼夷弾が「火の雨」のように見える謎について、減速のためのリボンに着火するなどの説があるが、『この世界の片隅に』の片渕須直監督は一部が信管不良により発火する説をとなえていた。空中着火しない焼夷弾は夜間だと見えないから、全ての焼夷弾が空中着火しているように見えるというわけだ。焼夷弾が空中発火する謎・補遺 - 法華狼の日記

*4:念のため、あくまで白人作家が書いた『アンクル・トムの小屋』の黒人主人公は従順すぎるとして公民権運動以降は当事者から批判されるようになったが、この映画は主人公が抵抗する局面を抽出して引用している。