法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『草原の実験』

 羽毛がちらばる地面に机がポツンとひとつある。草むす荒野でトラックの荷台に男が寝転がっている。男は羊をつれて家に帰り、娘と生活する。
 どこまでも地平線がつづく荒野のなかに、男と娘の一軒家がポツンと立っている。ふたりの生活に、さまざまな来訪者がおとずれて……


 2014年のロシア映画。台詞を排して、ひたすらうつくしい情景を見せていった果てに、驚愕の展開が用意されている。今はなき無料配信サイトGYAO!が閉鎖間際に配信した傑作のひとつ。

 監督脚本をつとめたアレクサンドル・コットは、大祖国戦争を題材にした『ブレスト要塞大攻防戦』ではロシア国内で絶賛されたが、今作では世界の映画祭で高い評価を受けた。
 DVDには字幕も吹替も収録されていないように、台詞もテロップもいっさいなく、ソ連映画のような風景と芝居のモンタージュ演出だけで何が起きているのか観客に考えさせる。長編映画では珍しい趣向だ。
 それから最後まで観て、たしかにこれは現代のロシア映画の技術でしかつくれないし、ソ連という国の歴史に向きあった映画だと思えた。


 映画はまず、荒野のなかの一軒家を舞台として父娘らしいふたりの生活と、近隣に住む馬乗りの青年との交流を描いていく。紀行映画なのか寓話映画なのかSF映画なのかファンタジー映画なのかも判然としない。
 やがて荒野でトラブルを起こしたバスから白人の青年がやってきて、娘が水をあげて助けたことで、少しずつ関係を深めていく。まるで停滞した田舎の生活から少女を都会の青年が脱出させるジャンル映画のように。
 しかし映画のなかば、豪雨のなかで父が全裸で立たされた時から、映画の平和な空気はうばわれ、隠されたロシアの歴史がもれだしてくる……


 父を全裸で立たせたのは武装した男たち。何かしらの計測器を父の肉体や箱のなかの金属片にあてがうと、耳ざわりな音が鳴る。
 日本の観客ならガイガーカウンターとわかるだろう。この時点では、チェルノブイリ原発事故後も現地に残りつづけた一家なのだろうかと思った。しかし父娘や馬乗りの青年はおそらくアジア系の人種で、装束などの文化もウクライナらしくない。
 そして全裸で雨中に立たされて体調不良となった父はそのまま病没し、少女がひとりで埋葬する。あるいは放射線による肉体の損傷も関係したのかもしれない。
 残された少女を青年ふたりがとりあうように争ったりして、くりかえされる毎日が前向きに変化しようとした時……すべてが暴力的にうばわれる。娘と青年だけではない。ひとのいとなみの痕跡も、地平線まで見わたせる風景も、何もかも……


 じっくり見せるカットの長さや、モンタージュだけで表現された物語。はてしない風景を定点でとらえた美しさ、ひとのいとなみを接写してうまれる生活感……そうしたソ連映画を思わせる映像をかさねた先に、現代ロシア映画らしい高精度で大規模なVFXでカタストロフが描かれる。邦題の意味を理解させるように。
 現在はカザフスタンのなかにあるセミパラチンスク核実験場で、現地住民の放射線障害が隠蔽されてきたソ連の恥ずべき歴史。地に足をつけて生活する人々だけをうつしてきたカメラは、核兵器は開発するだけでも甚大な被害をもたらすことを告発する。
 つい最近に米国核実験映画『オッペンハイマー』が話題になった*1こともあり、何が起きているのか決定的な瞬間の直前に気づいたが、だからこそ災厄を前にして止められない観客という立場がもどかしかった。
 ほんの数年前のロシアで、このような映画に予算をかけて公開できたことに感銘をうけたし、それでも国家がこわれつづけて現在にいたるのだということを痛感した。