法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「間抜けたことを言っているのを見たくない」という理由で芸能人の政治的発言を嫌がる人物が、「表現の不自由展」について語っていたこと

1098marimo氏のツイートを発端としたTogetterが注目を集めていた。
「アーティスト(芸能人)の政治的発言が好まれない理由は「立派だと思っていた人が間抜けたことを言っているのを見たくないから」という話 - Togetter

そんな芸能人の「間抜け」さを論評する1098marimo氏の立派な政治的発言を読んでいったところ、なるほどと皮肉な納得をするしかなかった。


特に印象に残ったのは、「表現の不自由展」についての論評だ。

あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展」は、正式な展示名は「表現の不自由展・その後」という。
最初は2015年に開かれ、その時にろくでなし子氏の作品も選ばれ、トークショーも開かれた。
ろくでなし子さんの屈託ない闘い〜「表現の不自由展」トークショー

 東京・江古田にあるギャラリー古藤で連日開催されている「表現の不自由展」。1月27日は漫画家・芸術家のろくでなし子さんのトークショーがあり、会場は超満員だった。

また、「表現の不自由展・その後」でも展示候補だったことを美術監督が公表している。
あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」に関するお詫びと報告 - 津田大介 - Medium

ろくでなし子さんの作品は、不自由展実行委が展示したい作品をスペースを優先的に取っていったときに、展示スペースの都合で、候補リストから落ちました。

事実として、作品そのものは展示されずとも、表現の不自由を記録した年表に記載されていた。
「表現の不自由展・その後」と「そっちこそどうなんだ主義」 - 法華狼の日記

「表現の不自由展・その後」は限られたスペースにあらゆる作品の実物を展示するかわりに、2000年以降の日本で美術に限らない表現が不自由をしいられた年表があり、性表現も多数記載されていた。

1098marimo氏は最低限の事実確認をしないまま論評する性格のようだ。


また、「表現の不自由展・その後」の映像作品が注目された時期に、おそらくそれをもって1098marimo氏は「反日ヘイト」と評していた。

その映像作品「気合い100連発」への批判の多くは、放射能をめぐる発言の当事者性などを無視していた。
旭日旗も「反日」という解釈になるよね、「表現の不自由展」に選ばれたら「反日」の文脈になるならば - 法華狼の日記

念のため、当事者の主張と理解してなお批判すること、そう感じたことを述べることも表現の自由ではあるだろう。編集された作品への感想も自由であるべきだろう。
しかし、作品の情報が欠落あるいは歪曲された状態で批判することには限界があることも自覚されるべきだ。その自覚があるなら、まとめブログの情報を無批判に信用することはないだろうが。

ついでに批判者の多くは、「表現の不自由展・その後」が旭日旗的な作品を展示していたことすら気づいていなかった。

不自由展には旭日旗に見えるという印象から抗議を受けた作品も展示されている。ならば不自由展に不用意に反発した人々は、旭日旗反日と見なすのだろうか。

ちなみに1098marimo氏は、少女像をはじめとした従軍慰安婦の記念碑を表現として拒絶している。

もちろん「日本軍による慰安婦強制連行という嘘から始まった慰安婦問題」という主張が事実誤認であることはいうまでもない*1


1098marimo氏だけではない。「表現の不自由展」に対して、少なくない表現者が愚かな主張をしているところを見た。
「表現の不自由展・その後」に言及した貞本義行氏は、いくつもの大切なことが見えていない - 法華狼の日記
だがその主張について私が愚かしいと感じて嫌悪をおぼえるのは、ただ「間抜け」だからではない。
ひとかどの表現者であるはずの人物が、最低限の想像力が欠けていることをあらわにしたからだ。
そうして他者を尊重しないふるまいこそが、表現の不自由を強めていく。

*1:たとえば、朝鮮半島の元慰安婦が実名で証言する以前から、日本の国会でも狭義の強制連行にとどらまない問題意識から追及されていた。従軍慰安婦の強制連行を狭義にとどめない問題意識は、1990年以前から確実に存在していた - 法華狼の日記 また、1975年でも広義の強制連行が報じられており、それが「嘘」と説得的に論じられているところを見たことがない。慰安婦を騙して集めたことを、1975年の新聞記事は「強制連行」と表現していた - 法華狼の日記