法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ドラえもん』でも『クレヨンしんちゃん』でも映画版において死は描かれてるのでは

シリーズ映画の根幹設定を変化させない映画が面白くないという匿名記事があった。
アニメの映画が楽しめない

ドラえもん

ジャイアンが死んだりしてくれたら面白いけれど、そういうのは絶対にないので面白くない。

せめてのびたのバイオハザードみたいにママがゾンビになったみたいなのならいいのにな。

  

クレヨンしんちゃん

まさお君が黒幕だったみたいな感じなら面白いけれど、いまだにないので面白くない。

まぁ戦国ではキャラクターが死んだのは良かった。

タイトルは「アニメの映画が楽しめない」だが、例示されているのはファミリー向けアニメの劇場版ばかり。
しかしメインキャラクターを死なせたとして、それだけでは陳腐なサプライズにしかならないだろう。


たとえば、『戦国大合戦』のようなゲストキャラクターの死でいいのなら、同シリーズにおいて『ユメミーワールド』でも陰惨な事故死が間接的に描かれている。その死が発端となったメインストーリーもショッキングなものだった。
『ドラえもん クレヨンしんちゃん 春だ!映画だ!3時間アニメ祭り』ドラドラポンポコ大捜査/動物型にげだし錠/食べて歌ってバイオ花見/「映画クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミーワールド大突撃」 - 法華狼の日記
ドラえもん』でも、4作目の『海底鬼岩城』からしてゲストキャラクターの自己犠牲によって敵に勝利した。9作目の『パラレル西遊記』にいたっては、味方のゲストキャラクターが敵の手先で、ママを初めとして人間すべてが妖怪化して、先述のゲストキャラクターの母が敵として死んだ。13作目の『雲の王国』はドラえもんが自己犠牲によって停止し、復活には超常の力を必要とした。24作目の『ふしぎ風使い』も、ゲストキャラクターの自己犠牲で物語が閉じられた。
むしろキャラクターの自己犠牲は予定調和な物語とすらいえる。そのような自己犠牲への懐疑をもおりこんで、監督が懊悩した果てに娯楽という枠組みを踏みはずしていった作品が観たいなら、28作目の『緑の巨人伝』という怪作がある。
『映画ドラえもん のび太と緑の巨人伝』 - 法華狼の日記
そこで匿名記事を書いた人物は『緑の巨人伝』を見て、予想を外されたことを理由に「面白い」と感じるだろうか? そう感じるのは難しいと思うのだが。