法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

もし『劇画オバQ』が発表された時に『オバケのQ太郎』が現行コンテンツだったら、『オトナプリキュア』のような評価になったかも、とか思っている

 かつてプリキュアとして悪と戦っていた少女たちが、大人になって他人には夢をかなえた立場に見えながら、実際は社会の壁にぶつかって停滞している。
 新たな超常の敵と戦うために集まれば、ほとんど酒を飲んでばかり。あつかうテーマがリアルすぎて、良くも悪くも直接的な台詞で論じられる。

 そんな『キボウノチカラ~オトナプリキュア'23~』がファンからきびしい評価にさらされているのをよく見るが、そう悪い作品ではないと思っている。
 東映アニメーションからスタジオディーンに制作がうつって映像の評価からして良くないが、川村敏江デザインを活かした中嶋敦子の艶やかなデザインが安定した作画で描かれ、定期的なアクションもきちんと動いているだけで向上している。
 もともとのTVアニメ、特にメインとなった『Yes!プリキュア5』は突出したエピソードがいくつかあるだけで作画は低調だった。力を入れることが通例の最終回も、同じスタッフで連続して2期目をたちあげるため、かなり絵柄の統一などがきびしい仕上がりだった。

 しかし現在、シリーズはブランドとして継続しており、作品のもととなったTVアニメのキャラクターも少女姿のままオールスター映画の客演などで近年も活躍をつづけている。
 そのためシリーズ全体の熱心なファンほど、視聴者の年齢にあわせるようにキャラクターも年齢をかさねたと実感しづらいのかもしれない。もちろんキャラクターのファンも幸福な姿を見たいところだろう。


 ここで思い出したのが、『劇画オバQ』だ。
 奇妙なオバケが家庭にいそうろうする、かつて大人気だった藤子不二雄の生活ギャグ漫画『オバケのQ太郎』。

 その後日談として、2度目のTVアニメ化にあわせて連載が再開した1970年代に発表されたのが、大人になった主人公の家庭へオバケがふたたびやってくる短編『劇画オバQ』だ。

 藤子不二雄らしいシンプルで楽しいタッチの絵柄は劇画調になり、笑いを生んだオバケの設定は生々しい生活の負担として描かれ、子供時代に見た夢の再起はふたたび夢となって消える。そして主人公が大人になったことを理解してオバケは去っていった。
 いわゆるシリアスな笑いに満ちたセルフパロディだが、単独で成立する少しビターな大人の漫画としても読める完成度があった。何度も短編集に収録されながら、特にファンからの反発があったとは聞かない。


 もちろん『劇画オバQ』と『オトナプリキュア』には内容以外にも発表された媒体や状況などの違いがある。
 なかでも大きいのが、『オバケのQ太郎』が現時点で最後の連続TVアニメ化となる1980年代の終わりに単行本が絶版となり、2009年の大全集に収録されるまで読むことが困難になっていたこと。
 先述のように何度も短編集に再録された『劇画オバQ』のほうが入手しやすく読みやすい状況にあった。キャラクターの幸福を願う熱心なファンであっても、比較対象のない時期が長かったのだ。
 そのため挫折と停滞から物悲しい結末をむかえる物語も、結果的に作品そのものの現状のように感じられた記憶がある。初出の時点では作者が意図したことではなかっただろうが。
 だからもしシリーズそのものが消滅した後に『オトナプリキュア』が発表されたなら、もう少しファンも受けいれやすかったかもしれない。シリーズが終わった悲しさを作品に投影するような解釈もできたかもしれない。