法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『キングコング:髑髏島の巨神』

1973年、ベトナム戦争から撤退する米軍が、未知の島の調査に協力することとなった。
さらに元SAS隊員や戦場カメラマンがくわわって、調査隊は嵐につつまれた髑髏島へ突入。
そして爆発を利用した地質調査をつづけていると、山陰から謎の人型があらわれる……


2017年の米国映画。1933年の古典的特撮映画のリメイクでありつつ、2014年版の映画『GODZILLA』につながるモンスターシリーズの一編でもある。
映画『キングコング:髑髏島の巨神』ブルーレイ&DVDリリース

先に公開された2014年版『GODZILLA』で印象的だったのは、新たな怪獣との複雑な三つ巴と、そこから始まる問いかけだ。
『GODZILLA ゴジラ』 - 法華狼の日記

物語には、人間と怪獣の家族愛を同等に描く面白さの他に、予想外に興味深い問題設定があった。敵の敵は味方なのか、いま敵に見えるものが味方になることはないのか、そういう問いかけがくりかえされる。

逆に『キングコング:髑髏島の巨神』は、やはり新たな怪獣と三つ巴になりながら、1933年版よりも関係性を整理している。
コングは一貫して弱者を守ろうとして、攻撃されないかぎりは反撃しようとしない。現地人による生贄を欲することもなく、地表の生態系を維持する存在となっている。
1933年版から各関連作品で現地人が作ってきた巨大な壁も、この作品ではコングを防ぐために建造されたわけではない。地下からあらわれる前足だけの巨大トカゲをふせぐためだ。
そしてその巨大トカゲ、通称スカルクローラーこそがコングと人類の共通の敵となる。しかし暴走した軍隊は、コングへの復讐を優先してしまう……


つまり作品全体がベトナム戦争のアナロジーとなっていて、相手を見くびって無意味な戦いをしかけた軍隊が痛い目にあう。逆に現地人は対話できる親切な人々として描かれる。あえて過去の偏見を誇張したかのような2005年版*1と大きく異なる。
そうして先進国の軍事力が野生に敗北し、文化においても傲慢の反省がせまられる。現地を収奪することこそが野蛮と描いたという意味では『モスラ』にも近い印象がある。良し悪しはさておいて、現代的な価値観で再構築した今作こそリメイクとして正攻法ではあるだろう。


怪獣映画としては、ひとつの島内でメインストーリーが終始するため、建築物との対比によるサイズ表現は少ない。数少ない巨大建造物の壁をめぐる戦闘がないことは残念だった。
かわりに多用されるのが、怪獣に水をからめるスケール表現。かつてのミニチュア特撮は、水飛沫の大きさのため巨大感を出しにくく、水辺の戦いは鬼門だった。しかし3DCGによって細かな水飛沫が表現できるようになったことで、逆にコングが人間大ではありえないことを映像で明示できる手段になった。
もちろん対比表現がまったくないわけでもない。髑髏島にはさまざまな漂流物が存在しており、なかには錆びついた巨大船舶もある。それをからめて展開される決戦は、コングとスカルクローラーの巨大感を表現するだけでなく、逆転劇を生みだしていく。今作のコングらしい知性が、戦闘においても発揮された。
また、意見をたがえながら島を進んでいく冒険譚としても見どころがあって、多種多様な怪獣と出会う楽しさとサスペンスがつまっている。特にアジア圏らしい竹林で起こる惨劇が印象的だった。やや人類側のキャラクターが定型的で、あまり機能しない登場人物もいるのだが、それらが次々に新たなイベントに直面するというプリミティブな見世物小屋らしさが良かった。皮肉でなく。

*1:同じピーター・ジャクソン監督の先行するオリジナル作品でも、同じような原住民像が表現されていた。『ブレインデッド』 - 法華狼の日記