法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

樋口真嗣監督が『シン・ゴジラ』以前にかかわっていたゴジラの特撮をメモ

樋口真嗣監督の特撮スタッフとしてのキャリアが、1984年版『ゴジラ』の造形助手にはじまることは過去から明らかにされてきた。
ただ学研が2016年に出した分厚い資料集『日本特撮技術大全』を読んだところ、演出に近い役割をはたした局面もあると語られていた。
【特集】日本特撮技術大全|学研出版サイト
助手という立場だからこそ、ゴジラのキグルミ全般の手伝いにかりだされ、ゴジラが登場するシーンの撮影現場すべてを観察する立場にめぐまれた樋口監督。
そして最後の追いこみのため末端のスタッフまで班分けされて個別に撮影する必要にせまられた時、樋口監督ら若手の末端スタッフが主軸の撮影もおこなわれたという*1

いちばん下っ端だった私を含む助手たちが、4つ目か5つ目の班として、新宿の西口公園でゴジラがスーパーXの攻撃を受けながら前進するカットを任されました。

どうして見あげたアングルのカットを撮らないんだろう? と皆で呑みながら話し合っていたやり方を試す機会が訪れたのです。
 影が出ないギリギリまでゴジラゴジラを立たせる平台をホリゾント近くに寄せて、低く構えたキャメラで天井が見切れないギリギリの仰角でゴジラをあおり、キャメラ前に公園の木立と高架道路を配置して路上からの視点のように飾りました。

そのカットは実際の映画でも使用されたという。おそらく開始1時間28分くらいの、下記場面のことだろう。


他にも、2001年の『ゴジラ モスラ キングギドラ大怪獣総攻撃』のバラゴン戦で絵コンテを切ったという逸話が神谷誠特撮監督から語られる*2
当時はノンクレジットで、しばらくは噂として流れていただけと記憶しているが、検索してみると2014年の樋口インタビューで明言されていた。
http://www2.myjcom.jp/special/jtele/godzilla/column/index.php?id=3

あの映画では僕の助監督をしていた神谷誠くんが特殊技術を担当していたものですから。いわばご祝儀ということで、参加させていただきました。

このインタビューの時点では、1984年版については絵コンテを下からの意見として提示したことと、漫画『サルタン防衛軍』を特技監督に見せて住友ビルを予定外に壊す結果となったことしか書かれていない。

実は絵コンテに関しては、84年版の時にもいくつか描いているんです。と言っても「こうしたらいいんじゃないですか」と、下々の者からの意見具申程度でしたが(笑)。

*1:348頁。

*2:339頁。