1957年のニュージーランド。オカルトがかった祖母にあおられた美女が、たよりなげな青年とつきあうことを決める。
その青年と美女は動物園でデートをすることになったのだが、こっそりつけてきていた青年の母が珍獣「ラットモンキー」に噛まれてしまう……
ピーター・ジャクソン監督による1992年のニュージーランド映画。テンポ良くコミカルに悪趣味なゾンビ映画として、まったく飽きることなく1時間44分を楽しむことができた。
物語の転がしかたは、ホラー映画の定番通り。何とかやりすごせるだろう、あるいは自分ならやれるはずだ……そのように誰もが楽観的に動いて事態を悪化させていく。それだけならストレスが溜まりかねないが、この作品は楽観的に成功してしまう部分が予想を必ず超えてくる。その落差でまず笑えるし、さすがにやりすぎと思ったごろに失敗する。成功と失敗がそれぞれストレスを解消し、その激しい起伏のおかげで単調にもならない。たよりない青年がゾンビを家族としてあつかう局面だけは少し長いが、きちんと美女にツッコミを入れられるので許容できる。
映像作品としては、もちろん後半のゴアシーンの印象が強いが、前半の日常パートも手堅く演出されている。注目すべき被写体をしっかりカメラワークやピントで示していて、その場面で何に意識を向ければいいのかという基本がしっかりしている。だから意識が向いていないところからゾンビがあらわれる恐怖も演出できる。路面電車をつかって青年が姿を隠すシークエンスなど、コメディとして素直にうまい。
特撮のクオリティは高いし、手づくりの良さもある。冒頭の飛行機やゾンビ関連は造形物とわかりやすいが、そう意図的に見せていると感じさせるので問題ない。ところどころ路面電車がミニチュアっぽいと感じていたが、すべてが特撮合成とは気づかなかったし、知ってから見ても許せるだけの質感がある。巨大ゾンビが階段をのぼるクライマックスなどは、どのように撮っているのかわからない。
また、作品のつくりが『キングコング』に似ているという意外な面白さもあった。これを見ることで、ピーター・ジャクソン監督が2005年版のリメイクを手がけた意味が理解できたように思える。
まず物語の発端からして、インドネシアのスマトラ群島で珍獣を捕獲し、現地の住人に追われるというもの。1990年代に堂々と半裸原住民に追われる映画をつくったことは、そのまま2000年代に原住民に攻撃される映画をつくったことに通じる。
そこで捕獲されたラットモンキーは、パペットという選択肢もあるのにコマ撮りアニメで動く。その獣に噛まれて始まるゾンビ現象は、男女が巨大ゾンビと屋根の上で対峙するクライマックスにいたる。この巨大ゾンビと主人公の男女が三角関係にあるところは、そのまま『キングコング』と同じ構図だ。
『キングコング』と違うのは、巨大ゾンビが求めているのは青年であり、ゾンビになる以前から母子家庭で依存しあっていたところ。だから強い女性による青年の争奪劇に終わらず、母親という檻から息子が抜けだす成長劇としても成立している。ここで争奪対象が主体性をもつところは、キングコングへ美女も愛情を感じるよう2005年にリメイクした原点ともいえるだろう。