法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『琴浦さん』への不満

パーツパーツで心をかきみだすような瞬間はあった。しかし、不幸連続からの一発ギャグで笑わせてくれた初回の後は、読心能力の設定をあやふやなまま展開。特に後半からは、問題提起しては肩すかしする茶番オチばかり。1クールももたずに、全体を統合できないまま終わってしまった。
厳密な法則がなくても、読心能力の効果が増大していくなり減少していくなり制御できるようになっていくなり、一定の方向性を示せば御都合主義感は薄れたはず。
また、琴浦さんの能力を知っている人間が善良な心の声を発しても、意図的に聞かせているように見えてしまう*1。能力を知っている人間の場合は、真意の開示描写をひねるべきだった。


そして、エロスもイジリも母親も、つまるところ琴浦さんは愛玩対象という立場におさまったにすぎない。それなのに、あたかも幸福な居場所を持てたかのような雰囲気なのも困った。実質的には初回へ戻っただけ。せめて、琴浦さんは受動的に状況を受け入れるだけではなく、自身も能動的に動いて終わるべきだった。
悪意と隠し事まみれの世界で育ち、他者は悪意ばかりではないと知るだけでは、短編くらいの密度しか支えられない。他者がなぜ隠し事をするかくらい琴浦さんが理解していく展開が必要だった。その上で読心能力を個性として位置づけて自立できれば、なお良かった。

*1:このあたり、少し読んだ原作マンガは自覚的だった。