法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

今ごろゲーム「汝は人狼なりや?」のリプレイを楽しんでいる

いわば小説『バトル・ロワイアル』のように、対立する陣営にわかれて殺しあい、勝利を目指すゲーム。カードゲームやテーブルトークRPGやインターネット掲示板でくりひろげられる戦いに近く、素性を隠してたがいの正体を読みあう。
村人ならば、隠れた人狼を全ていぶりだすか、気づいてなくても全滅させられれば勝利。人狼は、いぶりだされる前に村人と同数に持ち込む。場合によっては、一方が勝利した時に漁夫の利をさらえる妖狐となって、孤独な戦いをいどむ。陣営が勝利するためには、自己犠牲が求められる場合が少なくない。


時間がかかるので私が参加することは不可能だし、掲示板ログは独自の言葉が多くて入りこみにくいので、主に「やる夫」形式で書き直したものを読んでいる。特に下記の作品が、初心者を意識して創作した展開や描写のため読みやすく、楽しめた。
AAまとめブログ やる夫と人狼の遊戯 まとめ
各陣営の特殊役が順番に登場することで、まんべんなくゲームの内容も把握できる。やるべきではない行動の注意、いくつかの定石とされる思考法を解説することで、初心者マニュアルのようなおもむきもある。
ゲーム性とは全く別個に、やる夫の形式を逆手にとったミスディレクションも入っていて、二転三転するサスペンスでも楽しめる。双方の陣営が明らかなミスをしていてゲームとしては迷局なのに*1、ドラマ的な意味づけがされることで物語の面白味へ昇華させているところも良かった。
ただ、初心者マニュアルのように順番に特殊役が登場して解説されていくので、特殊役の意味あいを把握していないと後出しのように感じられるかもしれない。人外役がゲームを行う理由も、さすがに楽しめるからという以上の説得力は出せていない。
あと、特殊役が割りふられる場面の説得力が今一つ。村人側に救いの手がさしのべられるという発端よりも、村人が人外の能力を手に入れたという発端にするべきだったと思う。このゲームでは人外役が特殊役を演じたり特殊役が普通役に隠れることは定石なぐらいだが、何の力も持たない普通役が別の役を演じることは禁忌にされているらしい。これならば普通役は印を持たず、他の役は印を隠し持っていて必要な時に普通役ではないと証明できる、という設定にすればよかったのではないか。そして死後に印は消える。普通役が他の役を演じられないし、役を隠したまま死んだ後で余計な情報が出ることもない。

*1:しかしモデルとなったゲームを見ると、はるかにありえない偶然と直感でしめくくられていた。事実は小説よりも奇なりとは、よくいったもの。