法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ドラえもん』のび太の赤ちゃん

人間を機械で作り出すという秘密道具の設定までは明るい物語に見せかけて、そうして生み出された赤ん坊は超能力を持って世界征服を始めるという欠陥、それにより国連軍が出動したというドラえもんの説明まで、児童向けとは思えないほどハードSFホラーだった原作。
何度となく自主規制されているアニメでは、当然のように変更されるとは思っていたが……


まず、「人間製造機」から「架空生物製造機」へ秘密道具の設定が変更されたことが残念。
人間を構成できる物質はほとんど身近で入手できるわけだが*1、そういう唯物論な方法論を簡単に実行してしまう道具と主人公*2を用意した原作の面白味が消え失せてしまった。人間を製造するという発想こそが原作の要点だというのに。
結果として、身近な材料でも人間を構成する物質が入手できる豆知識や、人間を作るつもりでミュータントを作ってしまった失敗といった描写も消えた。
そもそも架空生物であるならば超能力を持っていても自然で*3、人間へ反乱する以外は欠陥とにならないはず。人間を作る材料でミュータントを製造しなくても、他の架空生物を作っても同じ展開にできるのならば完全なオリジナルストーリーにすれば良い。
また、ただの架空生物製造なら、他に代替できる秘密道具が無数にある*4。もし人間製造が自主規制されたのでも、せめて動物製造装置にすれば良かったのではないか。


一方で結末において、生み出してしまった生物を、なかったことにしなかったのは、アニメの方向性がわかりやすくて良かった。
図書館の本を全て読むことで人間性を獲得していく展開は『寄生獣』や『レベルE』あたりを思い出させるし、積み上げられた本に座って月光をあびるミュータンの姿は絵になっていた。
完全なシリアス展開かと思わせた最後の最後、ジャイアンスネ夫の認識で笑いを取ったのもいい。
ただ、こうして実質的に殺さないのであれば、やはり意識的に人間を製造させるべきだったのではないかな。原作もアニメも、安易に人間を生むことを否定している物語なのだし。


今回の脚本は大野木寛だが、全体的に緻密さを欠いていたと思う。
原作からの変更点に疑問が多いから、手で触れずに物を動かす能力サイコキネシスをテレパシーと呼んでしまっている*5ような細部のミスまで気にかかった。
機械をポンコツに壊すハンマーでドラえもんが殴られても異常ない、つまりドラえもんはもともとポンコツだったというギャグは、明示されていないこともあって空回りしていた。制作者のミスを疑われるような雑な展開では、ギャグとミスの区別がつかなくなる。

*1:最近では『鋼の錬金術師』の序盤で主人公の価値観を示す描写として印象深く用いられていた。

*2:まあ、のび太の軽はずみはいつものことだが。

*3:だからドラえもんの説明描写によっては、秘密道具が欠陥となる説得力も増せただろう。

*4:原作でも、機能が重複している秘密道具は多いが。

*5:原作では声を発さずに意思を伝える能力をテレパシーと呼んでいる。前後してサイコキネシスも使用しているが、サイコキネシスという言葉を使っていないため、超能力一般をテレパシーと呼ぶのだと勘違いしたのではないだろうか。