法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『相棒 Season17』第20話 新世界より

ゲノム編集にかかわる研究者が殺された。周辺には、正体不明の若い男女ふたりが出没し、反文明をかかげる男ふたりの影もちらつく。
やがて新たな死者が出つつも、研究によって作りだされたウイルスで世界が終わるという予言とともに事態が進行していくことに……


今期の最終回として2時間超の特別枠で放映。金井寛脚本らしいSF的な発想を延長して、ある種類のトリックを刑事ドラマで成立させたことに感心した。
予告ではいつものスペシャルらしく無理して事件の規模を拡大したように感じて、語られる設定からは社会派テーマ回のようでもあると感じられたが、実際は本格ミステリらしいアイデアで楽しませる娯楽回だった。
社会派テーマにしては反文明論者の描写がカルト一辺倒で、もう少し対抗言論にも説得力を与えるべきではないかと思ったが、後半の飛躍から逆算すると、まずありきたりなカルト描写から段階を踏もうとしたのだと理解できる。全体のコンセプトからはずれている外国工作員によるテロ関与も、ミスディレクションと思えば許せる。


まず、記憶喪失と主張する男女が予言者のようにふるまい、その名前が反文明小説の主人公からとられているという前半から、実際に男女が未来人だと杉下が考える後半で一挙に飛躍。
そのまま日本のドラマとしては大規模なウイルステロ描写に、時間を超越して孤立した若者の冒険サスペンスと、文明の興亡というポストアポカリポスSFが展開される……

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『オペレーション・クロマイト』

南進した朝鮮人民軍が半島の大半を占領した1950年、連合軍司令官として東京にいたマッカーサーは大規模な上陸作戦を計画する。
その作戦に必要な情報を収集するため、諜報部隊が朝鮮人民軍になりすまして潜入、敵将校と接触することになったが……


朝鮮戦争で韓国と国連軍が反転攻勢するきっかけとなった仁川上陸作戦にもとづく大作アクション。『戦火の中へ』*1イ・ジェハン監督による2016年の韓国映画

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しかし近年の韓国映画としてはビックリするほど残念なところがある作品で、それが逆に興味深いくらいだった。


念のため、アクションサスペンスとして基本的にはよくできた娯楽ではある。
上陸作戦よりも前段階の潜入作戦がメインだが、ぎりぎりの騙しあいや戦闘がつめこまれて飽きさせないし、クライマックスでは陸海空にわたる仁川上陸もたっぷり描写され、映像は充実している。

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はげしい銃撃戦だけで終わらず、血みどろのまま韓国映画らしい格闘戦へつなげたりと工夫しているのが良い。それほど広くなさそうなオープンセットをうまく使って当時の街並みをカーチェイスする場面も楽しい。
VFXについては、全体として水飛沫の合成っぽさだけは残念。しかし兵器類はCGっぽいなりにクオリティは悪くないし、マッカーサーがいる日本の風景はこれみよがしでない自然な描写に感心した。
リーアム・ニーソン演じるマッカーサーも、カメオ出演とは感じさせない存在感が充分ある。潜入作戦の進展と呼応するように日本から最前線まで移動して、ひとつの場所だけで撮影をすませたかのような安さを感じさせないし、日本の司令部や軍艦内のセットもしっかり作られている。
上陸作戦は基本的に3DCGばかりで表現されているが、上陸作戦を助けるため主人公が敵陣に乗りこみ、近距離での戦車対戦車*2まで展開するサービスぶりで、ちゃんと最後までアクションに身体性を感じさせる。


物語についても、大規模な作戦を成功させるために敵地へ潜入するサスペンスの定型を押さえていて、新鮮味はないが楽しませようとする意図はわかる。
どのような敵にも対等な人格を描こうとしてきた韓国映画の名作と違って、どこまでも敵将校を嫌らしく悪魔化しているが、娯楽としてひとつの手法ではあるだろう。喜び組のように若い女性をはべらせる悪役ぶりはわかりやすいし、主人公を疑いつづける勘の良さも緊迫感を高める。占領地の住民を公開処刑して高いところに吊るしている描写は、オープンセットに生々しさをもたらす演出として良かった。


この敵将校が問題なのは、表面の人懐っこさに対比される裏面の嗜虐性が、物語の都合にあわせて簡単に変わるところだ。主人公たち潜入部隊にしてやられ、対処できなかった部下を怒りのまま銃殺したかと思えば、スパイの男を公開処刑したところへ娘がきた時には理由もなく見逃す。殺された父のそばで娘を泣かせて観客の同情をさそう描写のために、主人公をおびきだすための公開処刑にのこのこやってきた人間を無視するという、心理的に矛盾した行動をとらせたわけだ。
しかもその娘は、逃亡する主人公たちに連れまわされて反発しており、しかし公開処刑される父へ無謀にも会おうという行動が主人公に許されて、協力するように心変わりする。つまり主人公に新しい仲間ができる局面で御都合主義がつかわれたため、ことさら悪目立ちしている。
これがもっと敵味方の人格を複雑に描いてきた物語なら、残酷な敵の気まぐれな良心という解釈もできたかもしれない。真面目に社会問題にとりくんだ作品は、そういう展開で危機を脱することが良いアクセントになることも少なくない。同時期につくられた別の史実を題材にした韓国映画*3も、まったく説明のない敵の見逃しがクライマックスにあり、むしろ感動を生みだしていた。それが敵を戯画的に悪魔化してきた娯楽になると、ただの御都合主義としか感じられないし、そのままひとつの危機を脱してしまっては以降の危機感が弱まってしまう。
たとえば敵将校がやってきた娘を捕縛して主人公が救出する新たなアクションを描いたり、主人公が全身全霊をかけて娘をひきとめるドラマを説得的に描けば、せめて印象は違ってたろうが。


敵将校が悪魔化されているように、マッカーサーはどこまでも美化されている。歴史上の著名人が劇映画で活躍する時には珍しくないことなので、ここだけなら目をつぶれる。
引っかかりをおぼえるのは、マッカーサーら連合軍側がたびたび信仰にもとづく発言をしていること。宗教を弾圧する共産主義国家との対立構図を意図していることはわかる。実際に敵将校も無神論的な台詞で他者の信心を軽視する。
しかし仁川上陸作戦を題材にした大作映画で、あまりに主人公側が神をたたえる場面が多いと、どうしても過去に統一協会がつくったポンコツ映画『仁川』を連想してしまう。
2006-03-10

 1950年、北朝鮮軍が突然南下し、いっきに朝鮮半島の8割を占領した。これに対して国連軍を指揮するマッカーサー司令官は敵の腹部にあたるインチョン(仁川)に捨て身の上陸急襲作戦を敢行。北朝鮮軍を北に押し戻した。これがどうして「神の真理を広める映画」なの? 文ちゃんは言う。「きっとマッカーサーは神のお告げを聞いたに違いない」(だから、なんでそうなるのってばよー?)
 主役のアーカンソー生まれのマッカーサー役にはなぜかシェイクスピア俳優のローレンス・オリヴィエがギャラ1億円で雇われた、

 クライマックス、マッカーサーは仁川に捨て身の突入を決意、ベンと斉藤サンとその娘はニンジャみたいな格好で、上陸地点にある灯台を急襲、世界のミフネ、マシンガン乱射して大活躍!

同じ史実にもとづくとはいえ、マッカーサーは外国の名優を起用して背景に置き、末端の主人公が敵地へ潜入して上陸作戦を助けるクライマックスという構成も同じだ。
カルト宗教と差別化するには、思想の多様性を描けばいいのだが……『オペレーション・クロマイト』の主人公は敵軍のふりができるくらい敵情に通じていて、もともと共産主義者だったという過去も言及される。しかしそこから思想の自由を描いたりはせず、ひたすら敵を全否定するだけ。たとえば共産主義国家に幻滅しつつ共産主義の理想そのものを否定しないような台詞があれば、印象は違ったろうに。
いくら反共産主義ナショナリズムを鼓舞する題材であっても、カルト宗教による映画と同じ世界観を、まさか現在の韓国映画で見られるとは思わなかった。

*1:『戦火の中へ』 - 法華狼の日記

*2:一方は自走砲

*3:少しネタバレになるのでタイトルは伏せるが、無駄なカーチェイスが無駄にすごかった作品とだけ書いておく。

『バーニング・オーシャン』

2010年4月、巨大施設型の船舶において、メキシコ湾沖で石油の試掘をおこなう計画が遅れを見せていた。かさむ費用に石油会社の重役は不満をもらし、現場主任の頭越しに手順を飛ばして作業をいそがせる。重役の楽観が的中したかのように圧力テストは順調に進んだが……


バトルシップ*1や『ローン・サバイバー*2ピーター・バーグ監督による2016年の米国映画。史上最悪ともいわれるメキシコ湾原油流出事故の、発端となった炎上事故を描く。

原題は施設名と同じ『ディープウォーターホライズン』で、映画の雰囲気にあっている単語がならんでいるのに、わざわざ英題っぽい邦題をつけた意味がよくわからない。
施設の実物大セットを再現したことがアピールされているが、地上に設営して背景の海は合成しているし、巨大な塔など施設各部もVFXで追加修整している。とはいえ実際にヘリコプターが離着陸できる発着場を撮影のために作りあげたり、撮影セットの耐荷重を考慮して本物とレプリカを選択したりするメイキング風景はそれなりに興味深い。


映画としては定型をしっかり押さえていて、冒頭の家族とのやりとりで各人物像を見せて、会話のなかで舞台となる施設の位置づけを説明して、事故の予兆となる小さなトラブルまで描く。
1時間50分以上の尺だが、エンドロールに10分以上を使い、実際の映像をもちいた描写もあるので、実質的な尺は1時間半ほど。巨大セットにVFXを多用した大作ディザスター映画でありながら、無駄なくまとまっている。
いかにも劇映画な家族描写も必要最小限で、本筋に入ってからは海上と地上のコミュニケーション切断を表現する場面くらい。余裕のない脱出中に家族を長々と思い出すような不自然な場面はない。
そして利益優先で愚昧な会社と安全重視で実直な現場の対立構図をわかりやすく見せ、わずかな落ち度が事故の瞬間まで積み重なっていく様子をモンタージュ。石油噴出から施設が崩壊していくまでを描いていく。
炎上事故後の石油流出も描写されないが、『バトルシップ』での間延びした前半や、『ローン・サバイバー』での蛇足感があった終盤を思うと、事故からの生存劇にしぼった構成は監督の作風からして正しいだろう。
からくも脱出できた人員を確認していく結末から、実際の犠牲者のプロフィールを見せて虚構から現実へ橋渡しする演出も、定番だが悪くない。


ただ、巨大セットを逃げまどう俳優にカメラが寄りすぎていた感はある。もう少し事故の全体像もわかる演出もほしかった。
全貌がつかめないほど巨大な事故の雰囲気を観客に体感させる意図なのかもしれないが、終盤に危険をおかして移動して目的を達成しようとする局面で位置関係がわかりにくいのは迫真性まで下げていた。少なくとも作業員は施設の構造をかなり把握しているはずで、そこは観客も共有していいところだろう。
事故が施設の各部で起きている様子を断片的に見せているから、せっかく巨大セットを作ったのに個別のセットで撮影している感じが画面に出てしまったという問題もある。

『スター☆トゥインクルプリキュア』第7話 ワクワク!ロケット修理大作戦☆

プリキュアとなった4人はロケットを修理するため、AIの指示通りに効率よく作業を分担するが、どんどん疲弊してしまう。
そんな中、掃除だけをまかされていた星奈ひかるが、ロケットのデザインを変えた姿をノートに書き留めていて……


山田由香脚本に関暁子演出、池内直子と森亜弥子が作画監督と、各話メインが女性でしめられた珍しいスタッフワーク。
特に作画監督は『HUGっと!プリキュア』でもよく組んでいたコンビだが*1、今回はキャラクター数や背景がしぼられていることで、画面のリソース不足を感じさせなかった。


物語については、敵の妨害もふくめてロケット修理で終始する趣向がまず良い。家族などの今回のストーリーには無関係な要素を自然に削って、ひとつの状況設定からメイン4人のさまざまな側面を照らし出し、同じ構図での変化を強調して、さらに周囲に影響を与えていく。
特に、天宮えれなの大人っぽさが地味に印象に残る。旧作での年長のプリキュアは、自由な主人公との対比で厳格であったり、幼い主人公を前面で活躍させるため一歩引いた性格だったりすることが多かった。天宮のように柔軟で他人を誉めて長所を伸ばそうとするタイプは意外と少ない。
ひとりひとり小さいけれど好きな内装の個室を完成させる展開も、今作を象徴している。前作とはまた違った、さりげない多様性。きっと精神的に自立しつつある幼い視聴者にとっても憧れの光景だろう。
4人が楽しく作業にむきあえる道筋が立ち、遠回りなのに作業が遅れなくなった結果から、AIが学習していくところも面白い。プリキュア側はチームワークを育みつつ、いわゆる「成長」はしていない。変化して再生するのは機械の側だ。それが4人の思いを乗せて再生したロケットとして、最後に象徴的に完成する。


そして最後にロケットは飛び立ち、加速重力でひどい目にあうギャグをはさみつつ、新たな世界へと移動して次回へ引く。
ロケットの修理が終わったところで次回に引いてもいいと思ったくらい今回は情報量が充実していた、

『のび太の月面探査記』は『かぐや姫の物語』に通じるテーマをガチで隠し持っていた

まったく時機的な余裕がないはずが、うまく偶然が重なって『映画ドラえもん のび太の月面探査記』を映画館へ観に行くことができた。
大ヒット上映中!『映画ドラえもん のび太の月面探査記』公式サイト
くわしい感想はいずれ独立したエントリにまとめるとして、意外にも平成末期を象徴する作品として鑑賞する価値がある作品だと思ってしまった。
月をモチーフにした作品らしく竹取物語を意識した描写が多いのだが、おかげでおそらく偶然にも『かぐや姫の物語』の一側面を延長したものとして読みこめる。


まず、観賞前のさまざまな予告で感じていた不安は、いくつか的中していた部分がありつつも、なんとかひとつの娯楽作品としてまとまっていた。
異説を現実化するテーマもあって、近年のSF作品としてはオカルトっぽさが強すぎる感はあったし、相互に関連性の低い出来事が同時進行することでの物語の軸の分散や、過去のシリーズ映画を意識した要素が多すぎ意外性が足りない問題はあった。
しかし、原作者没後のダメなアニメオリジナル映画と違って、関連性の低い出来事がテーマ的には関連して、印象は強固となっている。そこで感じたのが、これは原作者が製作途中で没したため構成が歪みをかかえた『ねじ巻き都市冒険記』の再構成ではないかということ。

のび太が友人に見せるため作りだしたキャラクターに始まるメルヘンな『ねじ巻き都市冒険記』は、のび太たち地球の生命を作りだした「種まく者」からの接触や、秘密道具でクローンとして製造された犯罪者による攻撃で冒険活劇へ移行していく。
残念ながら「種まく者」は中盤で去って物語にかかわらず、クローンで増やされた人間という倫理的問題はあっさり処理されて、各要素の物語における結びつきは弱かったが、原作者が最初に決めた「命を作る」というテーマから対立構図までは筋が通っていた。


しばしば原作者はアドリブ的に映画原作を連載して、新設定を後づけのように出していったが、きちんとテーマをしぼることで作品の印象をまとめていた。
たとえば『日本誕生』で敵の正体が未来人であるという展開は、歴史に敬意をはらうというメッセージと密接に関連していた。一方で、原作者没後につくられた『南海大冒険』は、敵が未来人という設定を引きながら、それはただの技術力の説明でしかなかった。
原作者は他にも『竜の騎士』で、滅びたはずの恐竜が生きのこっている謎にはじまる物語に、恐竜が滅びた理由をクライマックスとして配置。『鉄人兵団』は、人間の労働力としてロボットが求められたという地球の歴史の鏡像として、ロボットの労働力として人間を捕まえるという敵ロボットの動機を設定。
そして今回の『月面探査記』は、のび太たちがつくりだしたキャラクターは"現実と思われていた想像"であり、のび太たちのところへやってきたキャラクターは"想像と思われていた現実"だ。SF設定では誕生経緯がまったく異なるキャラクターが「想像力」という共通項をもって、それが敵に欠落しているという対立構図を作りあげた。


そしてその敵の正体は、やはり過去の映画シリーズの設定を引いているようで、ちゃんと時代にあわせて変化をつけている。
その過去映画の敵設定は当時の社会問題を明確に風刺していたが、今作は敵の想像力が欠けているという設定から、結果的に『かぐや姫の物語』に通じる社会風刺を読みこめる作品になっている。
『かぐや姫の物語』 - 法華狼の日記
メインテーマだった女性の性別役割については、女性小説家が脚本を担当しながらも『月面探査記』は弱い。後方の仕事を担当したため決戦にしずちゃんは参加していないし、あまり台詞も多くない。
それよりもサブテーマに関連して、意外な問題意識を読みとれるようになっていた。敵の設定としてはSFにおける古典といってもいいのだが、そこで竹取物語をモチーフにした結果、現在ならではの敵設定が誕生した。

これは冗談ではなく……いややはり半分は冗談だが……上記ツイートを補助線にすると、敵設定やクライマックスが理解しやすい作品になっていたのだ。


くわしい説明はいずれエントリをあらためるとして、想像で現実を乗りこえて記憶を守る『のび太の月面探査記』は、現実に想像が敗北して記憶が失われる『かぐや姫の物語』への回答になっている。
無意識の結果かもしれないが、本当にそうなっていることに驚いたし、そこに感じるものがあった。