法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『チャップリンの独裁者』

 第一次世界大戦第二次世界大戦の中間。敗戦国のトメニアで独裁者が台頭し、ユダヤ人を抑圧していた。トメニアのために戦ったユダヤ人の床屋も、戦争の記憶を失って帰宅すると、当然のように弾圧される。その独裁者と床屋は偶然にも同じ顔をしていたが……


 ヒトラーの台頭を批判的に風刺した1940年の米国映画。ユダヤ人のチャールズ・チャップリンが製作監督脚本を兼任して、独裁者と床屋の二役で主演もつとめた。

 時代を感じさせるモノクロスタンダード映画で、2時間以上もの尺があるが、けっこう最後まで飽きずに楽しめた。10分以上ある冒頭の戦争映画パートなど、それなりに広く作った塹壕セットや航空機のミニチュア特撮が見られ、あくまで大がかりなコントレベルと感じつつも悪くない。
 そこで超巨大な大砲を床屋が撃つ場面は、オムニバスアニメ映画『MEMORIES』の一編「大砲の街」の元ネタのひとつだろうか。兵器を恐ろしくも強力な機械のようには見せず、人間を部品にしてふりまわす滑稽で奇怪な機械として描いている。シリアスなだけの悲劇では出しにくい、ブラックコメディコメディならではの良さがある。


 本編に入ると、ユダヤ人の街角から塀の中まで巨大セットを舞台とした床屋の右往左往と、巨大な屋敷や群衆*1を前にした独裁者の姑息で適当な言動が、交互に移されていく。
 必要性のわからないくだりも多いが、ギャグのノリが脱力系なので違和感がない。戦争用の新装備を実験するたびに失敗するブラックユーモアも、暴力的な官憲を女性が暴力で倒すスラップスティックも、笑えるわけではないが古典的すぎて逆に古びない。
 追いつめられて屋根へ逃げ出すところからはチャップリンの身体能力をつかったスタントアクションが楽しめるし、他人をかくまったり逃亡したりして助かるか捕まるかのサスペンスも持続するので、冒険活劇としては普遍的によくできている。
 意外な描写として、後述のシュルツが主導する独裁者の暗殺作戦にユダヤ人の多くは気が進まず、犠牲役を押しつけあう笑えないギャグが印象に残った。たしかに独裁批判のプロパガンダ映画ではあるし、民主主義のために戦うことを呼びかけてもいるが、敵であっても人を傷つけることを忌避するところに一貫性がある。


 しかし見ていて首をかしげたのが、独裁者と床屋が似ている設定。いや、ただの偶然で酷似していること自体は、冒頭のテロップで断りを入れてメタなギャグに昇華されているので悪くない。どうしても疑問なのは、独裁者と床屋が似ていることに登場人物が気づかず、気にしないこと。
 てっきり影武者的な設定か、それとも独裁者と床屋がまちがわれるギャグが何度もくりかえされるかと思っていたのだが、最後の最後に偶然から入れかわるだけ。
 念のため、追いつめられた状況での入れかわりゆえ緊張感が生まれ、主人公の長々とした演説が退屈どころか心意気を感じさせる効果はあるので、入れかわり自体はいい描写だ。
 しかし途中まで髪型や服装や立場が異なるので認識できなかったなら理解できるが説明はほしい。さらにシュルツという士官の存在が話を難しくする。床屋は戦争時代にシュルツを助けたことがあり、戦後のシュルツは独裁者の側近になりつつ再会した床屋を窮地から救う。独裁者のユダヤ弾圧を批判して追われたシュルツは床屋のところへ逃げこむ。どう考えても独裁者と床屋の両方をよく知るシュルツの視点では似ていることに気づくべきだろう。一応それらしい台詞があったかと思いきや、最後まで意識的に利用することがない。
 昔の映画を見ていると、登場人物が気づいて当然な出来事を無視して物語が展開していくことが現在よりも多い印象がある。これもそのひとつだろうか。

*1:ここも合成……おそらくはスクリーンプロセスを活用したおもしろい描写や、遠近法を活用した撮影セットの空間表現が楽しめる。