例によってアニメしばりで参加。
2016-10-31
推奨されている形式にそって、まず冒頭にリストを置く。
戦闘や戦場よりも、ある意味で戦時下の日常を描く作品が多くなった。もちろん嗜好によるものだが、ここ最近の考えから後述の選定基準を決めた結果でもある。
1.『人狼 JIN-ROH』(2000年、沖浦啓之監督)高度経済成長の矛盾が噴出する架空日本。反政府勢力に対抗するため重武装化をつづける首都警。その一員として活動していた主人公は、ひとりの少女と出会う……
民話の赤頭巾をモチーフに、国家権力の過激化と、暴力装置の内部衝突を描いた作品。戦争どころか内戦ですらない気もするが、あえて分類するならば戦争映画だろう。
ドイツ軍風味の強化服を着せるためだけに、敗戦後にドイツが進駐した架空日本という舞台設定。そんな趣味に走った押井守の世界にもとづきながら、凄腕アニメーターが初監督をつとめ*1、極限的な作画技術で血肉ある人間を描写した。手描きされた平面の絵だからこそ、人間性の回復と剥奪を表現できることがある。
そして無機的な兵士であった主人公は、とある戦闘で迷いを見せ、しかし顔の無い兵士へ戻っていく。しばしば映画で前提視されるロマンティックラブ・イデオロギーを、いったんドラマを動かす道具としてとりこみつつ、あっさり使い捨てる。組織に殉じた美しい物語は、個人の物語ではありえない。
2.『アンネの日記』(1995年、永丘昭典監督)ナチスの反ユダヤ政策から逃れて、隠し部屋で生活する人々がオランダにいた。そんな環境でも前向きに生きようと、ひとりの少女が日記をつけはじめる……
アンネ・フランクの残した日記にもとづく映像作品のひとつ。擬人化ペンギンでベトナム帰還兵を描いた映画『ペンギンズ・メモリー 幸福物語』で知られる永丘監督が、マッドハウスの一流スタッフ*2とともに戦時下のリアルを映像化した。
戦時下でも変わらぬ日常を生きようとするアニメは珍しくないが、その大半を密室劇として展開する長編となると数少ない。ひっそり息をひそめて、同居人と衝突しあう。そんな終わりの見えない日々を描きつつ、力ある画面は見ていて飽きさせない。11万枚という潤沢な作画枚数をいかして、生活する人間のしぐさをさりげなく映していく。はっきり凄惨な暴力は画面に映さず、ユダヤ人のむかえた結末も絵としては見せない。長い時間をかけて愛着をもたせた人々が喪失する痛みは、観客の想像力にたくしている。
ちなみに戦闘シーンも進撃する連合軍のみで、どれほど残酷な演出でも戦闘を見せれば観客に快感をもたらしかねない問題を、率直な方法で回避した。ある意味で、この作品ほど戦闘に解放感があるアニメは、どれほど好戦的な作品にも存在しないはずだ。
3.『映画ドラえもん のび太のアニマル惑星』(1990年、芝山努監督)夢うつつにピンクのもやを抜けた少年は、人間のような動物が生活する街にたどりつく。少年は動物の街と交流しはじめるが……
いわずとしれた映画シリーズの第11作で、3年前のSF映画ベストテンでも選んだ*3。シリーズ第2作のような異文明との交流を、まずメルヘンチックな情景から導入しつつ、SF設定の開示とともに人類の罪を問う寓話として完成させている。
シリーズで戦争映画らしいものとしては『宇宙小戦争』*4『ブリキの迷宮』等もある。しかしこの第11作は、戦争で戦う相手が災害などではなく、あくまで“人間”であることをSFとして鮮烈に描きだした。それでいて善悪を判断しつづけようとする努力はつづけて、安易に属性で区別するような愚もおかさない。じっくり理想の動物世界を描写しつづけたからこそ、街と人が戦争で傷ついていく痛みもきわだつ。
ちなみに映画と原作の物語はほぼ同一だが、微妙に描写が異なっている。相手との違いを知った上で交流できる可能性を見せたり、敵が“人間”ということを最後のギミックでダメ押ししたり、映画独自の素晴らしい描写は多い。しかし原作版も、あくまで反攻の主体は現地であることや、ゲリラ戦の緻密な描写などの見どころが多くて、それぞれ楽しめる傑作となっている。
4.『戦場でワルツを』(2008年、アリ・フォルマン監督)イスラエル兵として戦った監督の記憶には奇妙な欠落があった。関係者の証言を集めながら、監督は自身の記憶に向きあおうとするが……
監督自身の体験にもとづく、ドキュメンタリータッチのアニメーション。3DCGを基本としながら、冒頭を除いて平面性を強調している映像が印象深い。決定的な場面の描写で、アニメ映画という枠組みだからこその意外性を演出したことも驚かされた。
制作者が軍関係者だけあって、現代的な戦場のリアリティも高い。ただ作戦行動をシステマックに見せるだけでなく、最前線にいる兵士たちの失策や不安感も表現していく。どれほど装備で優越しようと安全ではない戦場や、緊張感があふれながら単調で興奮できない戦場が描かれていく。
なお、自国の戦争犯罪を告発する作品であるかのような宣伝は少し過大ではあった。実際に観賞すると、虐殺を看過した責任を監督個人が過剰に感じてしまっただけのような、トラウマ解消劇として収束してしまう。それでも、現在も進行している自国の問題を、ここまで明確に映像化することが、いまの日本のアニメ業界に可能だろうか。
5.『かんからさんしん』(1989年、小林治監督)十五年戦争末期、米軍が押しよせつつある沖縄県の津堅島。人々が逃げ込んだ洞穴に、主人公の奏でる三線が鳴り響く……
空き缶で作った三線「かんからさんしん」をモチーフにした、沖縄戦の物語。戦争のため日本軍に動員され、自由と思考を奪われて、集団自決へ追いこまれていく民間人を描いている。
もちろん凄惨な場面がつづくだけの単調な作品ではない。洞穴での生活を始めた当初は、秘密基地の非日常を楽しむような空気すらある。全体としても、実質的に制作*5した亜細亜堂の手堅い映像技術と、小林監督の高い演出力で、映画としての厚みは充分*6。自然いっぱいの平和な情景に、いつも高射砲が映りこむ不穏感。蒸し暑い奥底で、汗をかきつつ狂いはじめていく憲兵。沖縄らしい石垣がつづく村落を進撃する、米軍の水陸両用戦車。そんな日常と地続きの戦場が描かれる。
演出助手としてクレジットされている佐藤竜雄の、演出家としての出発点でもある*7。ひょうひょうとしながら好感をもちにくい主人公や、弱者や愚者に対する冷徹な視線が、のちの監督作品に通じるところがある。
ここで印象的なのが、朝鮮人の人夫たちを正面から映していること。荷下ろしなどの肉体労働をしいられて、ささいな失敗のたびに身をすくませておびえる。監視していた兵士は体罰をくわえないが、その場にいた個人が暴力をふるわないからこそ、集団に問題が蔓延していることがわかる。
さらに、日本兵をほんろうして気ままにふるまう主人公は、飢えて畑に忍びこんだ朝鮮人も気にせず追いだそうとする。さすがに批判されて態度をあらためたり、懲罰を受けた朝鮮人を亀甲墓にかくまったりもするが、主人公の他者への冷徹な態度は最後まで変わらない。方言も禁止されるような差別を受けている沖縄県民もまた、朝鮮人を見くだすという差別の連鎖が映しだされる。
6.『ジョバンニの島』(2014年、西久保瑞穂監督)敗戦後、それまで戦場から遠かった色丹島に、ソ連軍が進駐した。防衛隊長を父にもつ兄弟も、家をソ連将校にあけわたす。しかし少しづつ、その将校の一人娘との仲がはぐくまれていく……
日本音楽事業者協会50周年記念作品として、杉田成道原作脚本で展開されるのは、北方領土における敗戦後の寓話。もはや勝利の期待にすがることすらできない生活。
しかも、貧しい環境を子供たちが生きぬいていくという類型ではなく、占領者と現地人の奇妙な同居を描くという物語だ。その占領者を現代において米国ではなくソ連に設定する特異性。
ゆえに、これはソ連軍の北方領土侵攻を批判する物語ではない。進駐のために武力がもちいられる描写は肩透かしのように終わり、そこから激しい戦闘シーンといえば密輸犯のとりしまりだけで、ソ連軍が不当な暴力をふるう場面は進駐直後の物資押収くらいしかない*8。登場するソ連人の多くは善良で、日本人を管理する時もしばしば同情して、対立する場面でも組織としての判断は理解できる。だからこそ、個人の心情や裁量では超えられない、国家という壁の高さと冷たさが立ちあがってくる。
それでも、国家の壁を個人の思いが超えられる瞬間はある。ロマンティックラブ・イデオロギーによって近づいた関係が切断されても、たがいを知り、ともに歌い、見つめあった記憶があるかぎり、その瞬間は永遠のものとなる。
そうした国境を超えうる文化を描くにあたって、「日本アニメーション界最高峰のスタッフ」という宣伝文句に負けない多数のアニメーターが参加。扉をぬけて光をとどける玩具の列車。スケッチのために少年と少女が見つめあい、やがて踊りはじめる素描。自由を許容するキャラクターデザインで真価を発揮したアニメーションは、どれもためいきが出るほど美しい。
7.『風立ちぬ』(2013年、宮崎駿監督)飛行機に乗った子供の夢がゆがんでいき、ついには墜ちていく。やがて子供は設計技師となり、国家のもとで新しい飛行機を作ろうとするが……
6位が戦後を描いた物語だったように、7位は戦前を描いた物語。もちろん劇中において戦争の時代は最初から続いているが、個人が国家に動員されていくまでの物語であることはたしかだ。
戦争映画でよくある戦場の興奮や、戦中の苦難や戦後の厭戦は描かれない。くわしくは最近に感想エントリをあげたが、きたるべき戦争とその惨禍を認識しながら、止めようともせず身をまかせる主人公のありようが珍しい。
『風立ちぬ』 - 法華狼の日記
冷静に物事を判断しているつもりで、目前の仕事しか視界におさめることができないだけ。そんな技術者や職人という存在のだらしなさを、自虐的なまでに痛烈に描いている。
8.『火垂るの墓』(1988年、高畑勲監督)戦争で変化した人間関係のため、居場所を失った兄妹。ふたりだけで始めた生活。しかしその楽しい日々と戦争の終わりが近いことを、あらかじめ死んだ兄妹は知っている……
いわずと知れた戦中を舞台とした有名作品映画だが、先日にまとめたとおり、独特の視点と時系列の逆転はきわめて特異*9。監督自身の解説によれば、これは反戦映画ではないし、おそらく戦争映画でもない。あくまで戦時下において余裕を失っていく人々と、余裕のない社会にいられずに孤立していく兄妹の物語だ。
戦争映画ではないからこそ、一見して平和な現代社会をも突きさす作品となった。たとえば兄は、将校の父をもつ軍国少年で、母を空襲でなくしているが、孤立した生活のなかで空襲に快哉をさけぶようになる。戦時下の物語でありながら、いつしか戦争が状況を変える希望になるという逆転。これもまた、この映画で描かれる戦時下が、現代社会に通じる一例といえるだろう。
もちろん、戦争と平和が地続きである以上、逆説的に戦争映画として読みなおすこともできる。どれほど主人公の判断が愚かしくても、それだけで死んでいい理由にはならないはずだ。
『火垂るの墓』誰の犯した罪と罰。 - 法華狼の日記
9.『うしろの正面だあれ』(1991年、有原誠治監督)下町に住む少女は、少しずつ戦争が忍びよる世相のなかで、元気いっぱいに生きていた。疎開することで東京大空襲から逃れることもできた。しかし……
戦時中を回想した自伝にもとづき、有原監督*10が映画化した。地味に脇を固めるスタッフも良くて、暗がりが多い当時の民家を表現できたのは、小林七郎美術監督と片渕須直画面構成の手腕によるものだ*11。
この物語の主人公にとって、最前線は認識できないほど遠く、戦禍に巻きこまれる描写も少ない。だからこそ、軍国主義が終焉するまでを生きた庶民の、ごく一般的な姿が描かれている。
基本的に再現されるのは、下町ですごす子供らしい日々。さまざまな当時の遊びが映しだされたり、当時の女子らしく稽古事を学ばされたり。身近な物品を軍隊のために供出することも、あくまで日常の一コマとして淡々と描かれる。日本の問題に踏みこんだ作品ですら滅多に描かない天皇崇拝も、当時に体験した紀元2600年記念祭として楽しげに描かれる。
当時の日本への批判は、成長した主人公によるナレーションだけで語られる。戦時中の登場人物は軍国主義を内面化しているため、なかなか気づくことができない。その恐ろしさがこの作品にはある。郷愁を楽しませる娯楽でありつつ、戦争被害を主張する厭戦映画でありつつ、その批判は日本社会にも向けられている。
10.『月がのぼるまでに』(1991年、山本暎一監督)長野県の山奥に行った父娘が、出会った老人から思い出話を聞かされる。それは村近くの採掘場で捕虜の米兵が強制労働させられていたという記憶だった……
タクシー運転手の話にもとづく武田鉄矢の創作絵本を原作にして、40分で映像化した中編。OVAとして発表された作品なので悩んだが、自主制作的なフィルムであることや、広島国際アニメフェス第6回で上映されたことから、入れることに決めた。
最大の特色は、かなり肉感的で濃厚なタッチのキャラクター作画と、前世紀にしては驚くほど現代的な美少女キャラクター。演出とキャラクターデザインを担当した富沢和雄は、映画『はだしのゲン』のデザイナーであったが、別名義で多数の成人向け作品も制作している。今でいうなら渡辺明夫デザインで戦争童話をアニメ化したような作品だ。
その美少女アニメのようなキャラクターや、ギャグアニメのように元気いっぱいなデフォルメ作画が*12、いかにも絵本原作らしい教訓的な世界観と違和感を生みつつ、魔術的な現実感をもたらす。現在に消費される娯楽と地続きなビジュアルだからこそ、教訓のための特殊な作品という断絶を感じさせない。
そして過去の戦争アニメでは悲劇の予兆として描かれたことが、正しくあろうとする少年によって、輝かしい出来事へと反転していく。9位のように水に沈むこと、5位や8位のように農作物を盗むこと、7位のように戦闘機が飛ぶこと、すべてがありうべき理想へとむすびついていく。
念のため、主人公に余裕があったのは農作物がとれる田舎ゆえだし、もちろん戦争の歴史そのものまで修正したりはしない。ドイツがポーランドを、日本が中国を、それぞれ侵略した流れで戦争がはじまったことを明言する。強制労働させられた捕虜に死者が出たことや*13、原爆投下の言及などで、軍隊の暴力性も正面から映していく。国家の問題を認める物語だからこそ、非国民になることを選んだ人々への賛歌となる。
選定の最大の基準は、映像表現として力があること。戦争と日常に連続性があること。どのようなかたちであれ、主人公が高所に立たず、自身の愚かしさに向きあう一瞬があること。
1位を選んだのは、地下水道物が好きだという趣味性も大きい。4位は主人公が罪を犯したことをにおわさずに同じ結末を見れば、ぐっと印象深かったろうことが惜しい。6位の作画アニメとしての素晴らしさは、予告を見た時の期待*14を大きく上回る凄まじさで、映像だけでも歴史に残りうる。10位は宝野アリカ主題歌作品でもあり、DVD化されていないことが残念。
なお、単独で物語が完結しない作品や総集編のたぐいは、できるだけ選ばないことにした。そのため『機動戦士ガンダム』シリーズを代表とするロボットアニメは入らなかった。映画単独で完結するロボットアニメの良作も少なくはないが、たいてい主人公の個人的な存在感で物語を完結させるため、個人の尊厳が剥奪される現代戦らしさを感じさせない。
また、第一次大戦以降の戦争か、それを想起させる架空の戦場を描いた作品にしぼることにした。それゆえ、戦争映画らしい良さがある作品でも、江戸時代以前を舞台にした映画は選ばなかった。肉体的な弱者も戦争に組みこまれるという観点から選んだため、異世界ファンタジーも最終的に落とした。
以下、番外にした作品を簡単に。
『デジモンフロンティア 古代デジモン復活!!』(2002年、今村隆寛監督)今年のベストテン企画が戦争映画と知った瞬間に脳裏に浮かび、最後まで迷っていた作品。玩具アニメの劇場版で「戦争」をテーマにする時、しばしば戦闘が多対多であるだけにとどまったり、過去の戦争映画の描写を引用するだけだったりするが、この作品は本当に戦争がつづく異世界をファンタジー寓話として構築してみせた。原作ゲームのコンセプトを戦争の根幹にしているアイデアも良い。真俯瞰でレールをたどっていく冒頭が『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』の冒頭演出に先行していたりと、とがっていたころの今村隆寛演出も素晴らしい。
『あした元気にな〜れ! 〜半分のさつまいも〜』(2005年、中田新一総監督)湖川友謙キャラクターデザインおよび作画監督で、『うしろの正面だあれ』の後日談までを映像化。端正な描線で群衆まで動くキャラクター作画と、3DCGと手描き作画を組みあわせた迫力の空襲シーンで、この時期の戦争アニメ映画では珍しく映像面で満足感が高かった。
『ヴイナス戦記』(1989年、安彦良和監督)アニメーターによる漫画を自身が監督して映画化。近未来の金星開拓地における軍事衝突の顛末を、短い時間でよくまとめている。バイクでの暴力的な競技が流行していたり、その競技で活躍していた若者たちが侵略者への反抗心からバイクで軍隊にいどんだり、一見すると侵略者に素直に反撃する物語のようでいて、若者たちも消耗品の一兵士として反攻勢力に組みこまれていく虚しさまで描ききっている。密度の高い安彦絵に、アニメアール系らしいコッテリしたメカ作画が充実していて、作画アニメとしても楽しい。
『少女の話(Her Story)』(2011年、キム・ジュンギ監督)日本軍の慰安所制度で犠牲になったひとりの証言にもとづく短編3DCGアニメ。アードマン制作の短編人形アニメ『War Story』に影響されているという*15。アングレーム国際漫画祭に出品されたことでバッシングの標的にされたが*16、ひとりの主観にもとづき歴史を再演した映像としての完成度はきわめて高い。日本で歴史を再現した3DCGというと、建造物だったり兵器だったりして、あまり人物によりそった作品を見ないのが残念*17。
『TOKKO −特攻−』(2007年、リサ・モリモト監督)特攻隊員を親戚に持つ日系米国人の監督が、元隊員にインタビューしたドキュメンタリー。ひとりの元隊員が特攻を「犬死」と断言したり、自分が犠牲になってやめさせなかった昭和天皇への「違和感」を表明したりする証言が興味深い。特攻をはじめた大西瀧治郎が非道な作戦に天皇が心を折ることを期待していたら、天皇は賞賛の言葉をかけるだけだったという解説との連続性を意図した証言採用だろう。基本的に実写なのだが、ひとりの生還体験をFLASHアニメのような静止画スライドで再現する映像がクライマックスになっている。アニメ表現としての興奮は弱いが、空戦をへて特攻をバカバカしいものだと思うようになったパイロットのとぼけた結論はすがすがしい。
*2:『はだしのゲン2』の平田敏夫監督、『銀河鉄道999』のりんたろう監督、『ちはやふる』の浅香守生監督の3人がコンテ演出に協力している。
*4:2年前のアニメ映画ベストテンで選んだ。アニメ映画ベストテン〜映画限定〜 - 法華狼の日記
*5:制作としてクレジットされているのは、今はなきグループ・タック。
*6:キャラクターデザイン等のビジュアルにおいて、同じスタッフが作った有名作品『対馬丸 さようなら沖縄』より現代的なアニメに近い。暴力をふるう憲兵を、まるで『機動警察パトレイバー』の太田功のごときコメディチックな作画で表現したりする。
*7:<月刊>アニメのツボ│バンダイチャンネルで、早く演出になりたいと監督にうったえて、ちょうど作っていたこの作品の現場にもぐりこめたと語っている。佐藤竜雄 on Twitter: "かんからさんしん制作当時…今はずいぶんその辺りの資料は集まっているんだろうけど、当時は地元からは「燃えてしまったのでありません」「現存していません」の一点張りだったような。結局埼玉から東京に出張って図書館やら神田早稲田の古本屋をローラー作戦で駆けずり回り、何とか体裁は整った。"によると、充分な資料が残っていないと地元にいわれ、図書館や古本屋をめぐって体裁を整えたとのこと。
*8:なお、日本人の戦争における責任は、映画版ではほとんど出てこない。しかし戦地で苦労したという主人公兄弟の叔父が、日本人の逃げ出した家屋から罪の意識なく玩具を拾ってくる描写などで、日本軍が何をしていたかを察することができる。
*9:『火垂るの墓』や『はだしのゲン』に比べれば、まだ『この世界の片隅に』は“よくある反戦アニメ”に近い - 法華狼の日記
*10:宮崎県の「平和の塔」の調査をはじめたひとりでもある。宮崎県の「平和の塔」につかわれた石材の返還を中国が求めている - 法華狼の日記
*11:WEBアニメスタイル | β運動の岸辺で[片渕須直]第49回 誰だって、1ヶ所くらいは勝ちたい気持ちあるじゃんちなみに、この片渕コラム内で言及されている映画『NEMO』には主人公の周囲が水没する悪夢的な場面があるが、この『うしろの正面だあれ』でも悪夢を見る場面で部屋に水があふれる。
*12:富沢和雄の弟子であり、現在は『あいまいみー』の監督で知られる伊魔崎斎が、作画監督と原画で参加している。少年時代の老人がはしゃぎまわる作画を担当しているのだろう。
*13:POW研究会 POW Research Network Japan | 研究報告 | 日本国内の捕虜収容所によると長野県茅野市での捕虜死者は4人というが、劇中では8人の墓が立てられている。特に物語で数字の意味はないので、どちらかの参考資料に誤りがあったか、どこかで記憶違いがあったか、あるいは捕虜以外の墓を混同したのだろうか。
*14:北方領土へのソ連軍侵攻を描く『ジョバンニの島』が、すさまじい作画アニメになりそうな予感 - 法華狼の日記
*15:第16回釜山国際映画祭で鑑賞したブログ記事に記述されている。『少女の話/Herstory』韓国短編コンペティション(2011BIFF) | confuoco Dalnara - 楽天ブログ
*16:アングレーム国際漫画祭の情報を落穂ひろい - 法華狼の日記
*17:アートアニメは追っていないので、きちんとした作品はあるかもしれないが。