法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『シン・ウルトラマン』

 少し前から日本に巨大生物が出没し、「禍威獣」と呼称することになった。その対策を政府でおこなう組織が「禍特対」。ある日、禍威獣ネロンガによって危険にさらされた少年を救うため、禍特対の一員が森に入った。そして問題のネロンガは銀色の巨人が倒したのだが……


 庵野秀明脚本、樋口真嗣監督による2022年の空想特撮映画。1966年のTVドラマ『ウルトラマン』を2時間以内におさまる長編映画としてリメイクした。

 複数ある怪獣と、「外星人」と呼称される異星人の描写は素晴らしかった。
 前番組のTVドラマ『ウルトラQ』からつづく世界観をしめす冒頭にはじまり、起伏ある山村に細かい地割れをつくりながらドリルのように進むガボラ、横長のシネマスコープサイズを横切るスペシウム光線ジオラマのような都市空間をいっぱいにつかったザラブ追撃、工場街におけるメフィラスとの決戦……特撮描写は理想的なリメイクといっていい。必殺技のたぐいを無駄に出し惜しみせず、機会があれば即座に出して決着するスピーディーさも良かった。
 成田亨デザインから着ぐるみ感を引いて、原典の表現主義を抽出した禍威獣や外星人も素晴らしい。巨大なグレイ型エイリアンにしか見えない初登場のウルトラマン、外殻しか存在しないようなザラブ、大きな目をなくしてスタイリッシュになったメフィラス……前田真宏と山下いくとと竹谷隆之を集めて悪いデザインが出てくるわけもないが。


 物語については、同年公開で不評をあつめた『大怪獣のあとしまつ』と良くも悪くも共通点が多かった。意味もなく決断が遅れる『大怪獣のあとしまつ』に対して、こちらは決断の根拠がまともに描かれない。
『大怪獣のあとしまつ』 - 法華狼の日記

共感できる背景が描かれないまま個人の感情で人々を救う活動を妨害して、はたして三角関係を構成する魅力的なキャラクターの一角となりうるだろうか?
 最終的にデウスエクスマキナとなるキャラクターも、デウスエクスマキナである伏線はしっかり存在するものの、変身したがらない背景がいっさい描かれておらず、やはり三角関係の一角になれるキャラクターではない。行動原理の根幹がよくわからないキャラクターを見て、どのようにドラマを楽しめというのか。

 特に致命的なのが、ウルトラマンと融合する発端となる子供の救助だ。その時点で禍特対は自衛隊を傘下に組みこむ手続きをとっており、周囲に多数の自衛隊員がつめている。そこで背広姿の禍特対が森の中へ子供を助けに走っていく合理的な理由が画面からいっさいうかがえない。せめて判断して周囲に説明する場面を省略すれば、別件で移動する途中で子供を発見して助けにいったのかもしれない、といった観客の想像で補完させることができただろう。
 後の物語展開を見ると、そもそも自衛隊を禍特対の傘下に入れる設定そのものが不要だ。自衛隊や米軍の禍威獣に対する攻撃はVFXによる兵器描写ばかりで、生身の自衛隊員が戦うことがない。それでいて禍特対は前線基地から出て生身で禍威獣や外星人を観察だけするので、まるで現場で働く自衛隊員が存在しない、もしくはその存在を描くエキストラの予算が存在しないかのようだ*1。中盤に外星人が介入してすぐ防衛軍と禍特対が断絶していくのだから、いっそのこと異なる指示系統の別省庁と設定して、現場で隣あわせでも要求ひとつひとつに上司の判断をあおぐ必要があるくらい距離があるように描いても良かった。
 評判のいいメフィラスの口癖も、禍特対もまた不自然に古臭いいいまわしを多用するので埋没している。芝居がかった台詞がなじみやすいアニメでさえ庵野作品の役割語や俗語は不自然だったのに、早口の会議が多い実写作品でやられるとコントのようで、無駄な比喩を多用する『大怪獣のあとしまつ』の脱力ギャグと大差がない。
 人類がウルトラマンに認められる理由も、古臭い子供向けの教訓をそのままなぞっただけ。自己犠牲で他者を助ける行為は人類ではない動物にも広く見られるし、同族の子供を助けるくらいならアリやハチでもやることだ。それくらいの自己犠牲を高評価するウルトラマン同士の会話がクライマックスで長すぎて、わかりきった結論をひきのばされるようなテンポの悪さしか感じなかった。このウルトラマンディスカバリーチャンネルを見るべきだ。


 あと、セクハラというより*2無駄な肉体接触の多さは昭和の再現だとしてもきつい。歩き回る必要がある立場でスニーカーをハイヒールにはきかえる描写も首をかしげた。後の足先描写だけで誰なのかを理解させるための印象づけなのかもしれないが、もう少し整合性ある描写を選択できたはず。
 戦闘シーンで逃げまどう人間がいない低予算ぶりはTVドラマ特撮だった原典通りで、これみよがしな犠牲者が出ないことがシリーズらしい上品さを生んでいるのに、まるで東映特撮のような下品さをぶっこまれても困惑する。このあたりの難点は庵野作品というより樋口真嗣作品っぽさを感じた。『大怪獣のあとしまつ』ほどの脱力な下品さではないのでテンポの良さに目をつぶることはできるが……
 とはいえ、メフィラスは非人類ゆえ俗語の多用が自然ではあり、あまり話題を聞かなかったザラブや初登場時のゾフィーなども意外と悪くなかったから、いっそのこと外星人視点だけでドラマを進めれば良かったのかもしれない。キャラクターが誇張された外星人の台詞や独白で進行して、地球人の発声は無音処理して外星人が翻訳した台詞のみが流れるようにして。これならば役割語の不自然さは軽減され、禍特対のよくわからない判断もブラックボックス化されてツッコミどころではなくなる。兵士が怪獣との戦闘で活躍せず兵器しか画面に出てこない低予算感にも意味が生まれるだろう。
 良くも悪くもキャラクターを作り物として動かす庵野脚本と樋口監督が組むなら、やるべきは怪獣キャラクターのみで寓話的につくられた『ウルトラファイト*3のリメイクだったのではないだろうか?

*1:そもそも今回のリメイクで組織名を同音の「禍特対」へ設定変更したのは、パリに本部がある「科特対」のような世界的なスケールを描くリソースがなかったためかもしれない。

*2:どちらかといえば性的な欲望よりもホモソーシャル志向が強いと感じられた。それが形式的に男女同数の職場でおこなわれているためセクハラめいた雰囲気にもなっているが。

*3:実際、『シン・ウルトラマン』のスタッフが技術を流用した3DCGで怪獣や異星人の描写にしぼった『シン・ウルトラファイト』というショートフィルムを制作している。それにまつわるインタビューで樋口監督はシリーズで『ウルトラファイト』が最も好きだと語っている。 cgworld.jp