ゴジラが定期的な襲撃をくりかえし、その進路や被害を予測する民間ネットワークが活動している日本。
ある日のこと、日本海溝で発見された謎の巨大岩塊が、引き揚げ作業中に浮上して飛び去ってしまう……
VSシリーズ終了から4年後、1999年末に公開されたミレニアムシリーズ1作目。監督脚本はVSシリーズから続投しつつ、特撮スタッフはリニューアルされた。
ハリウッドで1998年に制作された『GODZILLA』に対して、本来のイメージを再生しようと作られたが、シリーズファンからも評価は高くない。
まず、物語には誉められるところがほとんどない。
キャラクターの行動動機が全体として不明瞭で、その場その場で名台詞らしき主張をしたり、漠然と戦っていくばかり。一例として、前半ではゴジラの取材をやりたがらなかった女性記者が、後半で危険をかえりみずスクープをとろうとする。その変心の過程すらまともに描かれない。
それでいて、誰もまともに調査や考察をしないまま、怪獣の考えを人間が説明していく。まるで脚本家が設定を俳優に語らせているかのように不自然だ。しかも最終決戦において人間はゴジラとUFOの戦いを観戦するだけなので*1、怪獣の考えを推測することが物語の展開とまったく関係ない。そもそも人間がそこにいつづける意味がない。
ゴジラと戦うUFO設定もつまらなくて、パソコンをのっとってゴジラの情報を集めるまでは許すとしても、画面に文字をデカデカと映して侵略の意図をあらわす描写は気恥ずかしい。そもそもリアルなゴジラ像を売りにした作品だったのに、UFO関連のデザインがすべて古臭く、最終的に怪獣オルガになり、VSシリーズとの差別化が中途半端。しかもオルガはとりこんだゴジラの細胞が暴走している状態なので、たいしてゴジラと戦わないまま短時間で消滅してしまう。
ゴジラ予知ネットワークという魅力的な設定も、さほど説得的に活用できていない。予知に参加するのは民間の、それも組織をはなれた烏合の集団。当時のインターネット隆盛に乗った設定ということはわかるが、それでも対比的に公的機関やマスメディアも予知して外すような描写がほしかった。怪獣映画としても、ゴジラの進路を予測しているわりには逃げる群衆が多すぎる。小生意気な子供が大人を知識でやりこめていく描写も、古臭い特撮映画のパターンを脱せていない。
せいぜい「ミレニアム」というモチーフや、ゴジラ接近に対して原発を停止させる場面に、当時の意識が記録されている面白味があるくらい。メッセージ性を深読みする気にもなれない。
一方、ミニチュア特撮については、邦画最高峰のひとつといっていい。
先述したように特撮スタッフが一新されたわけだが、そのひとりとして平成ガメラで腕をふるった三池敏夫を呼んで、腕をふるわせている。ミレニアムシリーズは少しずつ制作費が削られていったそうだが*2、逆にいえばこの作品はそれなりの予算を特撮に使えた最後の作品ということ。
予算が削られたかわりに広大なミニチュアセットを作ってからカメラ位置を決める手法もやめて、場面ごとに必要最小限のミニチュアを飾りこむ方式に変えた。ゴジラの身長も55mに縮み、相対的にミニチュアの縮尺が大きくなった。
おかげで序盤の根室上陸と終盤の都市戦闘では、高精度なミニチュア破壊を楽しめる。中盤でも細々とミニチュアが活用され、それ目当てであれば飽きることなく楽しめるだろう。
ただし映像面でも、3DCGとデジタル合成は問題。まさに時代の記録としての意味しかない。
特に、中盤のゴジラと自衛隊の戦闘が致命的。歩くゴジラを空撮映像に合成した映像は、明らかに足が地面を滑っているし、質感も違いすぎる。自衛隊の実在兵器と合成された新兵器の質感も違和感がある。
UFO浮上関連もまずい。実際の水をつかった水飛沫の大きい海面と、当時の未発達な3DCGで作られた簡素な海面とで、カットごとの違いが大きすぎる。UFO関連が露骨に当時の3DCGらしいメタリックな質感なことも、設定レベルで地球上のものではないとはいえ、さすがに実在感は欠けている。
ただ合成全般が悪いかというと、序盤の根室上陸は夜間ということもあって悪くない。自動車に乗ってゴジラへ向かっていく場面など、火災の逆光で黒く塗りつぶされ、足元の見えないゴジラの存在感がきわだっていて、このカットだけでもゴジラ映画として価値があると感じたほどだった。
全体の感想として、映像については、良くも悪くも、邦画特撮の一資料として観る価値は充分ある。
難点は、制作者がゴジライメージを再生するというコンセプトをつらぬけなかったところにある。逆にいえば、そのコンセプトが少し生きていた序盤までは普通に楽しい作品ではあったのだが。