法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『機動戦士ガンダム 水星の魔女』第15話 父と子と

 ミオリネ・レンブランは「クワイエット・ゼロ」とは何か聞き出すため、父の腹心ラジャン・ザヒのところへ出向いた。一方、グエル・ジェタークは地球で拘束され、アーシアンの子供たちから敵意を向けられていた……


 今回も小林寛監督が共同で絵コンテに入っている。脚本は1期では第7話*1を担当した米山昂*2。ミオリネの描写はアバンとCパートくらい、スレッタにいたっては出番がなく、グエルという少年に焦点をあてたドラマが展開される。
 ミオリネパートの、戦争を意図的に起こしてコントロールしているらしい「戦争シェアリング」という概念や、「クワイエット・ゼロ」という計画は説明台詞の応酬で面白味も説得力もない。しかしグエルパートは、さまざまな意味で転落して敵地で孤立した少年の鬱屈と、その敵もまた強大な戦力から逃げている戦争ドラマらしい独立エピソードとして定番を凝縮していて楽しめた。
 まず、ロボットアニメとして前回以上に好みの集団戦を展開してくれた。両陣営とも無個性で地味な量産型ながら統一されていて区別しやすいこと、それぞれの武装も明確化されていて戦況がわかりやすいこと、その上でどちらの兵器がどれくらい相手に通用するかの線引きが明確なこと……それらが映像だけで説明できている。だからこそ、地球側が地をすべるように戦い、宇宙側が空から降りるように攻撃する構図から、スペーシアンのグエルが地球側から飛翔して戦況を転換させる展開も違和感がない。
 演出としては明暗を意識したコンテが目を引いた。義父を前にして机に立ち、照明を背にするシャディク。便所で殺されそうになりながら少し前を向くグエルを、スポットライトのように懐中電灯が照らす。そして夜明け、地上に残ったグエルは敵兵と正面から向きあう……

*1:hokke-ookami.hatenablog.com

*2:ただ、グエルとシーシアが自分の話しかしていないのに、ちがうかたちで父をうしなったという共通点で会話っぽいやりとりになっている場面は大河内一楼脚本っぽさを感じた。