地球から宇宙へもどったミオリネはひとり罪悪感で閉じこもっていた。ミオリネに会おうとしたスレッタは、グエルから決闘を提案されて受けることに。一方、地球をおおうだけの機能を発揮するため、クワイエット・ゼロが移動をはじめた……
京田知己と西澤晋の共同コンテ。これまで作中では背伸びするように制服やスーツを着こなしていたミオリネが、素足のまま歩いてきた時、あくまで幼い子供なのだということが説得力ある絵で表現されていた。絵柄を変えずにボサボサの髪として作画できていることに感心する。
ただ今回は子供たちがいつも以上に子供として作画される一方、ケナンジの顔面に違和感があった。本来はもっと顔の外に肉がついて輪郭がふくらんだようなキャラクターデザインのはずだが。作画監督は西村博之と鈴木卓也だが、クレジット順を信じるなら2期にはあまり参加していなかった鈴木卓也ゆえニュアンスの違う修正をしてしまったのだろうか。
物語としては終わりがわかりやすく見えてきた。ほとんど因縁が整理され、登場人物が行動する方向を決めて、決戦の舞台も目標も一本化された。おそらく最後の決闘を生身のフェンシングでおこなうというシリーズ初代最終回のわかりやすいオマージュ*1に、いかにも魔女っぽい箒をモチーフにして飛びまわるスレッタの新型ガンダムと、アクションアニメとしての見せ場も散りばめられている。
ただそれだけに、戦いに乱入して兄に激情をぶつけるラウダを、どう物語にからめていきたいのか読めない。多くの勢力が目標をさだめた事態をさらに変転させるような立場でも人格でもない。このまま終盤に細部のキャラクターまで整理するため逆に不要な行動をとらせるのであれば、悪い意味で『コードギアス反逆のルルーシュ』の終盤を思い出すところだが……