法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

従軍慰安婦報道にまつわる池上彰のバランスとは、事実と虚偽の中間をわたりあるくこと

産経新聞を中核にしてWillなどが集まって作ったオピニオンサイト「iRONNA」に、池上彰インタビューが掲載されていた。
産経さんだって人のこと言えないでしょ?
かなりの長文で、自身のコラムが朝日新聞に掲載拒否された経緯を語ったり、朝日新聞を批判しつつ他の新聞にも襟をただすように求めている。


しかしタイトルに反して、産経新聞に対して具体的に批判しているのは、江川紹子コメント問題の処分にまつわるもののみ。

この前、産経さんが朝日の件で江川紹子さんのコメントを無断で使ったことが問題になりました。あの後、産経新聞が記者を処分した経緯の記事がとっても分かりにくいと聞いたんですけど。

たとえば産経新聞が自紙の吉田清治証言記事について、検証も撤回も謝罪もしていないことを、池上彰氏は言及していない。むしろ吉田証言が「不良債権」となっているのは朝日新聞のみであるかのように主張している。

産経新聞にだってあり得るということです。もちろん、今のご時勢なら、すぐ膿を出す努力はするでしょうけど。昔は産経さんだって、誤報を出してもほっかぶりしたことがあるわけですから。

だからこそ、朝日が報じた吉田証言というのは「不良債権」そのものだったんですよ。不良債権の処理をしないで、放置している間にどんどんそれが膨らんでしまった。

後述するように、はっきり産経新聞を弁護する主張も確認できる。


そして従軍慰安婦問題についての認識まで読んで、悪い意味で懸念が当たっていたことを知った。

「強制連行した」という証言が日本国内でそれなりの衝撃を持って受け止められた部分が、海外ではどうなのかというのは実際のところよく分からない。別に朝日の影響力がなかったとは言いませんし、逆にどれだけあったのかと言えるだけの根拠を私は持っていないので。全くなかったはずではないけど、じゃあ、どれだけあったのかというのも、実はよく分からない。
ただ一つ言えるのは、「慰安婦」という言葉自体がひとり歩きしたという影響はあるわけでしょ。「女子挺身隊」が「慰安婦」とイコールの、あの間違いの方が大きいと思います。女子挺身隊を慰安婦と混同した部分に関しては、たとえば韓国では「慰安婦20万人説」っていう話まで出てきちゃうわけです。この責任はありますよね。明らかにね。強制性に関しての国際的な影響力っていうのは、私もそれを判断するだけの材料がないので自分としては言えませんけど、女子挺身隊と慰安婦を混同させたのはやっぱり問題だと思います。これは朝日の責任として、今後も国内外に向けて「実は間違っていました」ということを言い続けるべきだと思います。

以前に池上彰コラムを読んだ時は断言をさけたが*1、きちんと朝日検証を読んでいないという疑惑が確信に変わった。


まず、池上彰コラムでもふれられていた朝日検証だが、全体を読むと責任の所在を一新聞に特定できないことがはっきりする。
「挺身隊」との混同 当時は研究が乏しく同一視:朝日新聞デジタル

 記者が参考文献の一つとした「朝鮮を知る事典」(平凡社、86年初版)は、慰安婦について「43年からは〈女子挺身隊〉の名の下に、約20万の朝鮮人女性が労務動員され、そのうち若くて未婚の5万〜7万人が慰安婦にされた」と説明した。執筆者で朝鮮近代史研究者の宮田節子さんは「慰安婦の研究者は見あたらず、既刊の文献を引用するほかなかった」と振り返る。

 宮田さんが引用した千田夏光氏の著書「従軍慰安婦」は「“挺身隊”という名のもとに彼女らは集められたのである(中略)総計二十万人(韓国側の推計)が集められたうち“慰安婦”にされたのは“五万人ないし七万人”とされている」と記述していた。

専門的な事典から数少ない研究書まで、先行文献に混同の原因があった。それを引いた新聞社のひとつが朝日新聞なのだ。
さらに朝日検証のつづきを読めば、戦前から朝鮮半島の社会において、制度としての挺身隊とは別個の認識があったことがうかがえる。

 朝鮮で「挺身隊」という語を「慰安婦」の意味で使う事例は、46年の新聞記事にもみられる。44年7月に閣議決定された朝鮮総督府官制改正の説明資料には、未婚の女性が徴用で慰安婦にされるという「荒唐無稽なる流言」が拡散しているとの記述がある。

 挺身隊員が組織的に慰安婦とされた事例は確認されていないが、日本の統治権力への不信から両者を同一視し、恐れる風潮が戦時期から広がっていたとの見方がある=注②。

植村隆氏が指摘するように、元慰安婦自身が挺身隊であったと自認する証言もある。朝鮮半島における認識を正確に報じるならば、まったく挺身隊と慰安婦を別個にあつかうのも、それはそれで難しい。
また、池上彰コラムで「挺身隊と慰安婦の混同は他紙もしていたと書いています」と評されているように、朝日新聞が単独で先行研究を引いていたわけでもない。
他紙の報道は:朝日新聞デジタル

読売新聞は、91年8月26日朝刊の記事「『従軍慰安婦』に光を 日韓両国で運動活発に 資料集作成やシンポも」の中で、「太平洋戦争中、朝鮮人女性が『女子挺身隊』の名でかり出され、従軍慰安婦として前線に送られた。その数は二十万人ともいわれているが、実態は明らかではない」と記載している。

 また、92年1月16日朝刊に掲載された宮沢喜一首相の訪韓を伝える記事でも、「戦時中、『挺身隊』の名目で強制連行された朝鮮人従軍慰安婦は十万とも二十万人ともいわれる」と記述するなど、混同がみられた。

 毎日新聞も、元慰安婦の金学順さんを取り上げた91年12月13日朝刊「ひと」欄の記事の中で、「十四歳以上の女性が挺身隊などの名で朝鮮半島から連行され、従軍慰安婦に。その数は二十万人ともいい、終戦後、戦場に置き去りにされた」と報じた。

これについて池上彰コラムでは「他社を引き合いに出すのは潔くありません」と資料にもとづいた朝日検証を非難していた。
それでも今回、あくまで他紙と同じような責任があると指摘したなら正しいが、「責任はありますよね。明らかにね」「これは朝日の責任」と表現するのは誤認を広げるだけだろう。


挺身隊と慰安婦の混同を注意する理由は、できれば犠牲の固有性を直視して、被害者への偏見を防ぐためであるべきだ。朝日検証にも混同が国家の犠牲者への二次被害を生んだ問題が指摘されている。推計数への疑義に言及するのは、誰を向いて何を報じるためなのか。
そもそも、混同を否定することで現在の「慰安婦20万人説」をくつがえせるかのように表現するのは誤解をまねく。20万人説は日本の歴史学者の推計範囲にもおさまっており、中国の歴史学者の推計範囲よりも少ない。それらの学説を否定できないことを、日本政府も半公式的に認めている。
慰安所と慰安婦の数 慰安婦問題とアジア女性基金

慰安婦の総数を知りうるような総括的な資料は存在していません。総数についてのさまざまな意見はすべて研究者の推算です。

 推算の仕方は、日本軍の兵員総数をとり、慰安婦一人あたり兵員数のパラメーターで、これを除して、慰安婦数を推計するやり方があります。この場合に交代率、帰還による入れ替りの度合いが考慮に入れられます。

むろん慰安婦と挺身隊の混同による推計がされていたなら、理路の誤りを批判すればいい。そのような時期はたしかにあった。しかし韓国政府の現在の見解を読めば、混同を否定することが推計数への否定につながらないことがわかる*2
http://www.hermuseum.go.kr/japan/sub.asp?pid=137

総数については、未だ正確な情報は分からない。強制的に動員して慰安婦にさせられた女性たちの総数を示す体系的な資料が見つかっていないためである。一部の学者たちは、日本軍の「兵士何人あたりに慰安婦を何人おくか」という計画が示された資料や、複数の証言資料に基づき元日本軍慰安婦被害者の総数を推測している。しかし、最低3万人説から最大40万人説と、研究者によってバラツキが大きい。

比べてのとおり、日本政府と韓国政府の認める推計方法に大きな違いはない。そして推計数の幅広さを主張するならば、管理していたはずの日本軍がきちんとした資料を残していないという責任が問われることとなる。


池上彰氏は「強制性に関しての国際的な影響力っていうのは、私もそれを判断するだけの材料がない」とも書いているが、その直前に言及している第三者報告書では、やはり海外紙にとりあげられた回数から分析されている*3。影響を否定する材料があることを、否定も肯定もできないかのように論じている。もし金学順証言報道においてキーセンが言及されないことを問題視するならば、第三者報告書にそれなりの「材料」が提示されていることを無視した文章も問題視するべきだろう。
朝日新聞への批判を部分的にいさめたり、部分的に誤認をといているからといって、池上彰氏をもちあげることは危うい。虚偽を流通させたい側にとって、半分でも虚偽を許容する主張は、それが受け入れやすい語り口であるほど歓迎できるものだ。
先に言及したが、池上彰氏は植村隆氏の大学を特定していないことをもって「産経さんはこの件に一切関与していない」「ちゃんと分けている」と弁護する。ただし「今年3月退社、大学講師」*4と記述した記事は2014年5月にある。
そして吉田証言より挺身隊の混同を重視しはじめる枠組みは、最近の産経新聞と枠組みが同じだ。そこで植村氏へ特定的な非難が向けられていることを池上彰氏は認識できているのか。
【朝鮮半島ウオッチ】朝日新聞「慰安婦報道」が触れなかったこと(1/4ページ) - 産経ニュース

吉田清治証言」を、朝日新聞が初報から32年目で「虚偽と判断、記事を取り消す」とした。だが、朝日が最も検証すべきは、1991年夏の「初めて慰安婦名乗り出る」と報じた植村隆・元記者の大誤報だ。記事は挺身隊と慰安婦を混同、慰安婦の強制連行を印象付けた。

この記事は記者の現状までは特定していないものの、事実誤認にもとづいて植村批判を展開した西岡力発言を、そのまま掲載している。

誤報というだけではない。義母の裁判を有利にするために記事を書いた疑いもある。私は朝日新聞慰安婦報道についてたびたび植村氏の実名入りで批判し、昨年には朝日新聞社に公開質問状を送り、若宮啓文・前朝日新聞主筆に質問や意見交換を求めてきたが、朝日も若宮氏は一度も答えなかった

これは朝日検証を一読すれば簡単に解ける陰謀論にすぎない*5。それを朝日検証が出された後に掲載しているのだ。


これでは池上彰氏自身の歴史認識も、厳しく問いただされなければならない。
たとえば不確定情報ではあるが、下記のラジオ書き起こし記事を読むと、虚偽にもとづく説明が目立つ。
池上彰が語る、朝日新聞の慰安婦問題での誤報とコラム不掲載問題の裏側 | 世界は数字で出来ている

「この際、全部、明らかにしましょう」と言って調べて、「たしかに、強制性があったという報道は間違いでした、訂正します」とやったんですね。

やっていない。朝日検証の当該ページはタイトルからして「強制連行 自由を奪われた強制性あった」*6だ。

慰安婦問題についての謝罪というのをやった。その時、そこには強制性とかは書いてなかったんだけど、発表の時の記者とのやりとりの中で、「これは強制性があったんですか?」という質問に対して、河野官房長官が、「そういう風に受け止めてもらって結構です」と言ったんです。

慰安所における生活は、強制的な状況」「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反し」*7河野談話には明記してある。「強制的」「強圧」と「強制性」の差異が対外的な印象の違いを生むとは思えない。
最近になって記者会見だけが原因であるかのような報道が一部でくりかえされているが、ならば当時の読売や毎日や産経が「強制連行」と報じて、朝日新聞は「強制」のみを使ったことも押さえるべきだろう*8

これは物凄い難しい話で、「強制があった」という証言は間違いだった、ということになるけど、「強制はなかったのか?」っていうのは難しいんですね。

狭義の強制連行に限っても、インドネシアのスマラン事件の資料を1992年に朝日新聞が報道している。「中国の農村部において、兵士たちが村の女性をレイプし、一定の建物、場所に監禁し、レイプをつづけるということが行われた」*9という「証言」を、日本は半公式的に認めている。

何かがあった、という証明は簡単なんですよ。見つければ良いから。でも、なかったって証明は、なかなか難しいわけですよ。

もちろん日本が資料をきちんと残していなかったため確定は難しい。だからこそ、朝鮮半島の募集が身売りが多かったことは、元慰安婦の証言で明らかにされていった*10。そもそも日本軍は慰安婦を管理していたはずで、きちんと資料を残せていれば一定の証明はできたはずだ。


池上彰氏は、日本政府の半公式的な見解や、歴史学における有力説はもちろん、朝日検証もきちんと押さえていない。おそらく二次情報に依存し、それも産経新聞や読売新聞あたりの虚報を信じてしまっている。
しかし、そうした虚報が広く信じられている現状によりそうことで、苦言をていしているかのようで批判されにくい立場を確保できるのだろう。社会がゆがんでいる時、事実や倫理によりそうことを選ぶと、攻撃の矢面に立ってしまう。
つまり、悪い意味で中立的な人物が多方面を批判しているかのようにみなされ、「池上無双」としてあつかわれる現状にこそ問題がある。池上彰インタビューの状況にふれたiRONNA側の記事で、下記のように書かれている。
池上彰が語る朝日と日本のメディア論

朝日批判の急先鋒ともいわれる産経新聞に対しても、遠慮なく耳の痛くなるような苦言も要所要所で突っ込んでくる。まさにテレビで見る「池上無双」の姿を垣間見ることができたわけだが、そこには朝日の問題を既存メディアが「他山の石」にしてほしくないという強い思いからでもある。

このくらいで耳の痛くなる産経新聞は、さまざまな言論や学問による批判に向きあうことができるのか。このようなメディアのプロデュースを読みとけるリテラシーを読者が持つことはできるのか。そうしたことを従軍慰安婦報道における朝日新聞の諸問題とともに問うていかなければならない。

*1:朝日新聞の連載コラム「新聞ななめ読み」のこと。以降も「池上彰コラム」で統一する。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20140903/1409782980

*2:ここで指摘しているのは、韓国政府の認識が挺身隊と慰安婦の混同にもとづいていないということ。たとえば、引用後にある「吉見義明氏によると、日本軍慰安婦の数は少なくとも8万人から20万人と推定され、その中に占める朝鮮人女性の割合は半分を超えるという調査結果を発表した」は、私の知る限りでは不正確なものだと考えられる。

*3:http://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122204.pdfの33頁。

*4:http://www.sankei.com/politics/news/140523/plt1405230030-n1.html

*5:http://www.asahi.com/articles/ASG7L6VT5G7LUTIL05M.html

*6:http://www.asahi.com/articles/ASG7M03C6G7LUTIL06B.html

*7:http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

*8:http://www.asahi.com/articles/ASG7M03C6G7LUTIL06B.html

*9:http://www.awf.or.jp/1/othercountries.html

*10:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20120910/1347323098で関連情報をまとめている。