法華狼の日記

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「朝日新聞『慰安婦報道』に対する独立検証委員会」の報告書は、検証のふりすらできていなかった

記者会見が2月19日におこなわれ、朝日新聞が淡々とつたえている。
http://www.asahi.com/articles/DA3S11611001.html

 朝日新聞慰安婦報道を外部の有志で検証する「朝日新聞慰安婦報道』に対する独立検証委員会」(委員長・中西輝政京都大名誉教授)が19日、報告書を発表した。朝日新聞の1991年から92年1月にかけての報道について「(慰安婦を)日本軍が強制連行した」などとする「プロパガンダ(宣伝)」としたうえで、「国際社会に拡散し、日本と先人の名誉を傷つけている」と指摘した。

 この日、中西委員長や副委員長の西岡力・東京基督教大教授らが東京都内のホテルで記者会見した。

 慰安婦報道をめぐっては、朝日新聞が社外識者に委嘱して設けた第三者委員会(委員長・中込秀樹元名古屋高裁長官)が昨年12月、記事作成の経緯などを検証した報告書を公表している。独立検証委は、第三者委の報告書について「朝日の責任を回避する議論に終始した」と批判した。

これで全文で、この記事では朝日側の反論すら書かれていない。
むしろ第三者委の報告書では朝日批判を優先した事実誤認も複数あるのだが*1、そうした指摘はなされなかったのだろうか。


独立委の母体となった日本政策研究センターのサイトに、報告書の全文が公開されている。
http://www.seisaku-center.net/sites/default/files/uploaded/dokuritsukensyouiinkai20150219.pdf
そこで目をとおしてみたが、予想以上にひどいものだった。
誤報かどうか論じるための認識に、さまざまな誤りがある。
朝日が報道した意図はプロパガンダだと前提視している。
誤解の原因が朝日新聞だと特定する根拠は、まともに示されていない。


この報告書で主張されていることは、そもそも「検証」ではない。すでに歴史研究にさらされ、誤りが指摘されて排された主張を、たいした工夫もせずくりかえしているだけ。
くりかえしの象徴として、「新しい歴史教科書をつくる会」の高橋史朗氏による、「北米での実害」を主張した部分がある。古臭い南京事件否定論だ。

マグロウヒル社の教科書には、ハロルド・ティンパーリ(田伯烈)編『外人目撃中の日軍暴行』に掲載された写真が「中国人捕虜を処刑する日本兵」として使われているが、この写真は東中野修道小林進・福永慎次郎著『南京事件証拠写真」を検証する』(草思社)で「南京での日本軍の処刑写真ではない」と指摘したもので、多くの見物人がいることから公開処刑写真であるが、当時の日本軍将兵の記録にも、南京の欧米人の日記などにも公開処刑の記録は一切出てこない。

司法において「学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」とまで裁判所から認定された東中野修道氏だが、そうした過去は忘れられているのか。
公開処刑の記録がないという主張だが、記録がないことは処刑が行われなかった根拠として不充分だし、日本軍将兵による斬首の記録は存在する*2


それでは本題の従軍慰安婦報道について、報告書を簡単に見ていこう。
まず独立委は「検証の枠組み」として、朝日批判をおこなってきた委員を選んだことを明言する。

私たち独立検証委員会のメンバーの多くは、朝日の慰安婦報道に多くの事実誤認が含まれており、その結果、日本国と先人らの名誉が著しく傷つけられてきたと認識し、1992年から朝日批判を行ってきた。

これは自己批判的な文脈かと思いきや、朝日批判をおこなってこなかった委員を選んだとして、第三者委を批判する。

真の意味で「第三者」というのであれば、朝日の自己弁護と朝日批判の両者の言い分を均等に聞いて、判断を下すべきだろう。ところが、「第三者委員会」は朝日を批判してきた側の専門家を委員に入れなかっただけでなく、ヒアリング対象にも選ばなかった。

なるほど、北岡伸一委員は日本の軍事史を専門とした歴史学者だが、従軍慰安婦問題の専門家ではないだろう。ヒヤリングされている産経新聞黒田勝弘論説委員も、歴史学者ですらなく専門家とはいえないだろう。
しかし秦郁彦氏をヒヤリング対象に選んでいるのだが、何が不満なのだろうか。他に従軍慰安婦問題で日本軍の責任を過小評価する歴史学者がいるだろうか。
そもそも、自己弁護と批判を対置することが第三者といえるだろうか。せめて弁護と批判を対置するべきだろう。


次に「92年1月強制連行プロパガンダ」という章で、一番の問題点を提示するというのだが。

数々の虚偽報道を行ない、結果として「日本軍が女子挺身隊の名で朝鮮人女性を慰安婦にするために強制連行した」という事実無根のプロパガンダを内外に拡散させた。私たちはこれを「92年1月強制連行プロパガンダ」と名付けた。朝日の一番の問題は、このプロパガンダを2014年8月の段階まで明確に取り消し・訂正することなく放置し、本質は「広義の強制性」「女性の人権」だなどという詭弁を弄し、日本と先人の名誉を傷つけ続けてきたことである。

プロパガンダを前提視する枠組みで検証する報告書とは、さすがに予想できなかった。誤報がおこなわれた原因や意図は、検証の結果として指摘すべきことだろう。前提と検証の順序がおかしい。
せめてプロパガンダ朝日新聞側が告白していたり、自明視していいくらいの証拠を指摘できてから前提視するならばわかる。すべての報道や表現が根本的にプロパガンダだという考えもありうる。しかし報告書を見るかぎり、そういう論理ではなさそうだ。
そもそも「日本軍が女子挺身隊の名で朝鮮人女性を慰安婦にするために強制連行した」と要約したのでは、現代の歴史研究でも誤りとすら断言できない。たとえば「強制連行」という歴史用語は、業者が騙して集めたという日本政府も認める問題もふくんでいる。軍隊が暴力を用いた直接の募集は、強制連行と呼ばれる必要条件ではない。
ちなみに朝日検証で報道をとりけした範囲でも、吉田清治証言は朝日新聞とは独立して存在したし、挺身隊との混同は先行する歴史研究を引いたものだ。史料批判の甘い誤報として朝日批判するならば正しいが、「事実無根」といえるだろうか。


軍関与資料のスクープに対しては、誤った解釈による批判もおこなっている。

資料は、内地で民間業者が慰安婦募集を行うときに、誘拐まがいのことをしないように統制を強めよという内容であり、朝鮮人慰安婦強制連行を証明する資料ではなかった。しかし、朝日は同じ記事の中の用語解説で、《太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は八万とも二十万ともいわれる》と書き、翌日の社説と合わせて、「92年1月強制連行プロパガンダ」を完成させた。

独立委に、引用文に「主として」と明記されていることを気づく人間はいなかったのだろうか。
そうでなくても、副官通牒で対象となったのは単なる民間業者ではなく、日本軍が選定する業者だ。憲兵や警察との連携も命じている。
日本軍の慰安所政策について

任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実地ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシ

上記の永井和論文では、そもそも指示の目的が誘拐の統制ではなく、あくまで軍の威信を守りつつ慰安婦を業者に集めさせるためだったことも指摘されている。


そして明確な根拠もなく、報告書は「プロパガンダ」の影響を主張する。

著名な時代小説作家である沢田ふじ子氏は日本経済新聞に「人道に対する罪」と称する感情的な小文を寄稿して、「92年1月強制連行プロパガンダ」そのままの認識を示している。沢田氏は京都在住だから、91年に朝日大阪本社の慰安婦キャンペーンを読んでいたはずだ。
朝鮮半島から「女子挺身隊」などの美名のもと、戦場に狩り出された三人の元慰安婦の方が...補償を求める訴訟を東京地裁に提出された。大戦中、日本が朝鮮半島から強制的に連行した女性は、十万人とも二十万人ともいわれ、十二歳で連行された女の子もいた。彼女たちの肉体的、精神的苦痛は、同性として私には痛いほどわかる。》(日本経済新聞1991年12月21日付け夕刊)

引用された範囲で、朝日新聞の影響と断言できる根拠は何もない。
先述したように、朝日検証でとりけされた誤報は、どちらも根拠そのものは存在していた。もちろん同じ根拠にもとづく報道や書籍は他にもあった。
そもそも朝日検証で提示されているように、先行する専門的な書籍でも挺身隊と慰安婦の混同がおこなわれていた。
「挺身隊」との混同 当時は研究が乏しく同一視:朝日新聞デジタル

 記者が参考文献の一つとした「朝鮮を知る事典」(平凡社、86年初版)は、慰安婦について「43年からは〈女子挺身隊〉の名の下に、約20万の朝鮮人女性が労務動員され、そのうち若くて未婚の5万〜7万人が慰安婦にされた」と説明した。執筆者で朝鮮近代史研究者の宮田節子さんは「慰安婦の研究者は見あたらず、既刊の文献を引用するほかなかった」と振り返る。

 宮田さんが引用した千田夏光氏の著書「従軍慰安婦」は「“挺身隊”という名のもとに彼女らは集められたのである(中略)総計二十万人(韓国側の推計)が集められたうち“慰安婦”にされたのは“五万人ないし七万人”とされている」と記述していた。

根拠となった書籍は1973年に出版されており、1974年に映画も公開されていた。
従軍慰安婦 - 作品情報・映画レビュー -KINENOTE(キネノート)
慰安婦が「強制連行」されたという吉田証言も、朝日新聞が報じる以前に講演で公開されていた。それどころか、慰安婦が強制連行されたという新聞報道が、吉田証言以前にも存在していた。
慰安婦を騙して集めたことを、1975年の新聞記事は「強制連行」と表現していた - 法華狼の日記
もちろん媒介として朝日報道の影響がなかったはずはないだろう。しかし先行や同時期の報道を無視するように、独立委の報告書は朝日新聞を情報源として名指ししていく。あたかも日本に他の報道機関が存在しないかのように*3
そして独立委報告書の結論にいたって、第三者委で多くの誤認を露呈した北岡伸一委員の個別意見が、「大いに傾聴すべき意見」と名指しで高評価された。「春秋の筆法を以てすれば、朝日新聞慰安婦報道がもたらしたもの」などと、あらゆる責任を朝日新聞に負わせる意見だからだろう。

*1:「強制連行の証拠はなかった」と朝日検証に書かれていたとか、グレンデール市の慰安婦像をめぐって日系市民と韓国側が対立したといった誤認のこと。こちらで指摘した。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20141222/1419465123

*2:http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/yamamototakesi.html

*3:もちろん、他の報道にも言及した部分はある。