法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

専門的な書籍から引いた用語解説が後年に不正確とされた時、大学をやめる必要があると主張する人々

従軍慰安婦問題報道に対する脅迫に、北星学園大学が屈したらしい。NHK等が報じている。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141031/k10015841411000.html

関係者によりますと、北星学園大学田村信一学長は、29日の学内の会議で来年度は元記者を雇用しない考えを伝え、理由として、警備などを念頭に問題の対応に当たる人手や財政面の負担が大きいことや、来年の入学試験が無事に行えるかどうかの不安を挙げたということです。

http://www.asahi.com/articles/ASGB06D5GGB0IIPE03D.html

 慰安婦問題の記事を書いた朝日新聞元記者の植村隆氏(56)が非常勤講師を務める北星学園大(札幌市厚別区)に、植村氏の退職を求める脅迫文が届くなどした問題で、田村信一学長は31日、植村氏との来年度の契約について、更新しないことを検討していると表明した。

 その上で「今期については植村氏との契約を守っており、来期の更新がなくても外圧に屈したことにはならない」と説明した。一方で、「今でも抗議電話はある。我々も小さな大学であり、学生確保も安泰ではない」と語った。


脅迫の理由とされた植村隆記事だが、もちろん朝日検証内で経緯が解説され、捏造などないと結論づけられている。
「元慰安婦 初の証言」 記事に事実のねじ曲げない:朝日新聞デジタル

植村氏の記事には、意図的な事実のねじ曲げなどはありません。91年8月の記事の取材のきっかけは、当時のソウル支局長からの情報提供でした。義母との縁戚関係を利用して特別な情報を得たことはありませんでした。

植村記事は、とりけしのあった吉田清治証言とは関係なく、金学順証言をいちはやく報じたものだ。
金学順証言そのものには現在でも一定の信用がおかれているし、植村記事に限っても他紙と内容に大差なく、事実関係の大きな間違いも見られない*1
ちなみに、義母が補償金詐欺に加担していたという容疑は、韓国の高裁で無罪が確定した。報道によると、かけられていた容疑と逆の主張をしていたようで、むしろ個人としては詐欺にならないよう動いていたらしい*2


植村記事で「誤用」と考えられているのは下記の記述のみ。従軍慰安婦とは何かを説明する、いわば用語解説にあたる部分だ。

 また、8月11日の記事で「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」などと記したことをめぐり、キーセンとして人身売買されたことを意図的に記事では触れず、挺身隊として国家によって強制連行されたかのように書いた――との批判がある。
 慰安婦と挺身隊との混同については、前項でも触れたように、韓国でも当時慰安婦と挺身隊の混同がみられ、植村氏も誤用した。

読んでのとおり、この「誤用」は記事の妥当性とほとんど関係がない。もちろん、どのような制度で連行されたかは重要であるし、挺身隊と慰安婦の同一視がそれぞれの被害者に新しい被害を生みかねない問題もあるが、植村記事はそこまでふみこんだ内容ではなかった。
戦場に連行された時に女子挺身隊という名称が使われなかったとしても、戦場に連行されて軍人への売春をしいられたと認められるかぎり、植村記事で指摘される日本軍の問題性が大きく変わることはない。
そして朝日検証から「前項」を見ればわかるように、この混同は当時の事典にも見られたものだ。
「挺身隊」との混同 当時は研究が乏しく同一視:朝日新聞デジタル

 記者が参考文献の一つとした「朝鮮を知る事典」(平凡社、86年初版)は、慰安婦について「43年からは〈女子挺身隊〉の名の下に、約20万の朝鮮人女性が労務動員され、そのうち若くて未婚の5万〜7万人が慰安婦にされた」と説明した。執筆者で朝鮮近代史研究者の宮田節子さんは「慰安婦の研究者は見あたらず、既刊の文献を引用するほかなかった」と振り返る。

もちろん事典すら混同していたわけだから、他紙の報道でも同じような用語解説がされていた。
他紙の報道は:朝日新聞デジタル

読売新聞は、91年8月26日朝刊の記事「『従軍慰安婦』に光を 日韓両国で運動活発に 資料集作成やシンポも」の中で、「太平洋戦争中、朝鮮人女性が『女子挺身隊』の名でかり出され、従軍慰安婦として前線に送られた。その数は二十万人ともいわれているが、実態は明らかではない」と記載している。

 また、92年1月16日朝刊に掲載された宮沢喜一首相の訪韓を伝える記事でも、「戦時中、『挺身隊』の名目で強制連行された朝鮮人従軍慰安婦は十万とも二十万人ともいわれる」と記述するなど、混同がみられた。

 毎日新聞も、元慰安婦の金学順さんを取り上げた91年12月13日朝刊「ひと」欄の記事の中で、「十四歳以上の女性が挺身隊などの名で朝鮮半島から連行され、従軍慰安婦に。その数は二十万人ともいい、終戦後、戦場に置き去りにされた」と報じた。

このような「誤用」が植村記者による捏造なのだとしたら、読売新聞や毎日新聞朝日新聞社が発行していたのだろうし、植村記者はタイムマシンを使って5年前の事典を編纂したのだろう。


このように「捏造」などありえないことは朝日検証でもくわしく説明されていた。
それなのに大学へ脅迫がおこなわれ、その脅迫に大学が屈した。そして脅迫や大学を批判する意見にも、植村記事を「捏造」あつかいしているものが複数ある。
はてなブックマーク - 脅迫受け元記者を来年度雇用しない考え伝える NHKニュース

id:zoidstown 従軍慰安婦捏造した記者の奴か。脅迫犯って捕まってないんだっけ? 2014/10/31
id:t05361yk そもそも捏造に関与した記者が、発覚後も堂々と講師やってるのもどうかと。 2014/10/31
id:YoshiCiv nhk 世の中 教育 大学側が可哀想。捏造記者の雇用を続けたらそれはそれで叩かれる。 2014/10/31
id:shufuo 脅迫の有無は別として記事の捏造という契約更新しないだけの理由はあるのだから契約更新しないのは妥当な判断だろうよ。物は言いようだけど。 2014/10/31
id:ermanarich 脅迫とか関係なしに捏造報道した人間を採用し続けることは大学のアカデミックモラル上ダメージ。 2014/10/31
id:hungchang 事件 メディア 捏造記者雇う大学に脅迫状届き、警備・財政上理由から大学は元記者を解雇、と。三つ巴のクズではあるが、一番同情の余地があるのは大学だろうに。民間団体にテロと戦う義務を負わせるのは無理筋かと。 2014/10/31

誤報とは呼べるかもしれないが、当時の数少ない専門書や事典の「誤用」を引いたものであり、大学を辞めざるをえないほど記者個人の責任を問えるものか。


そこで大学で仕事をしている人間はどうかというと、名古屋大学大屋雄裕教授*3が、ツイッターで下記のようなやりとりをしていた。

警備のコストを理由にすれば、大学が脅迫に屈することも許容するらしい。しかし非常勤講師に対しては言論で闘うコストを要求するらしい。そのような態度こそ脅迫者の利益になると思わないのだろうか。
そもそも紹介したように、朝日検証でも植村記事について解説されていた。充分ではないにせよ、記事を掲載した新聞社が言論で闘ったのだ。それ以上の何が必要だと考えているのか。
ちなみに大屋教授自身は、朝日検証にからんでデマに加担し、それを批判したところ「無料のtweet」だからと開き直り、批判する側がおかしいと反発したことがある。
従軍慰安婦問題についての朝日検証を読んでなお、朝日新聞の影響力を大きく見積もる人々 - 法華狼の日記

東京スポーツ記事を事実ととらえたツイートを否定せずリツイートしているが、吉田清治証言を紹介したことを批判するなら東京スポーツの信頼性を大屋教授は保証するのだろうか。

きちんと明記したことを気づいていないと反応されて困惑した - 法華狼の日記

マスメディアで証言が言及される場面を「証言をもとに事実の存在を伝える」としか想定できなくて、よく大学教授がつとまるなと不思議になる。
現実には、証言者の活動を紹介するだけだったり、未検証の証言をもって調査研究の必要をうったえたり、ひとつの証言をもってひとつの仮説をたてたり、著名な証言を真偽不明と指摘するためとりあげたり。むしろ証言ひとつで事実が確定したかのように報じる記事がどれほどあるだろうか。

ここで大学教授の資質を疑問視したわけだが、思った以上に大屋教授は朝日検証を読む能力がなかったようだ。植村記者に求める水準から考えれば、大屋教授こそ職を辞すべきではないだろうか。
もちろん私は、植村記事の誤用が大学を辞める基準というのは重すぎるし、大屋教授の求める言論の闘いの基準も過大だと思っている。一定の反省を表明すれば、それ以上に責めるべきではないと考えている。

*1:当時の毎日新聞や読売新聞を見ても妓生に売られた記述がないことはApeman氏が指摘している。http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20130724/p2

*2:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20140904/1409880016

*3:ツイッターアカウントは[twitter:@takehiroohya]。