法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『コマンドー』

一線をしりぞいた特殊部隊の元リーダーは、一人娘と山小屋でふたりだけの穏やかな生活を送っていた。
しかし特殊部隊の部下が次々に殺され、ついに元リーダーに魔の手がせまり、一人娘が拉致される。
すべては元リーダーを脅迫し、その政治力と戦闘力で暗殺をおこなわせる計画だったが……


1985年の米国映画。肉体が全盛期のアーノルド・シュワルツェネッガーが主演し、吹替の珍妙な台詞の愛好家も多い。

最近に初鑑賞した北村紗衣氏による同性愛との距離感解読レビューをきっかけに、所有していたDVDのディレクターズカット版で初鑑賞した。
saebou.hatenablog.com
大味なアクション映画として年末を気楽にすごすには良いだろうと期待したが、ちょっと物語の都合のための飛躍が多すぎ*1、それをごまかす演出も下手で、残念ながら乗れなかった。


まず、敵にエンジンを動けなくされた自動車でも、山の急斜面なら転がり走行できて、山道を去っていく敵に先回りできたのはいい。シュワルツェネッガーが急斜面まで自動車を押す姿が、筋肉好きには魅力だろう。
しかし大量の銃火器をつみこんだのに、爆発しかねない自動車から逃げる時に全て置いてきて、銃を持った敵集団と徒手空拳で戦う展開はさすがに首をかしげた。脱出から自動車の爆発まで映画としては時間が長くて武器を持ちだせそうに見えたし、最初から拳銃などは携帯できたはずだ。
同じ展開でも無動力の自動車は制御できないため崖に向かうのを止められず、やむなく落ちる寸前に脱出したという演出なら、まだ武器をもちだせなかった説明がつく。


それでも主人公が敵に殺されなかったことなどは説明がついて、まだアクション映画として楽しめていたところ、タイムリミットを生みだすための描写で決定的に冷めてしまった。
暗殺のため目的国へ向かう時、旅客機で主人公が監視者をひそかに殺して脱出するのは良い。その旅客機が目的国に到着して、監視者の死と主人公の不在がばれる時まで、主人公がこっそり行動できる状況設定は巧妙だと思う。
しかし脱出するルートが、貨物室をとおりぬけて着陸脚の隙間にぶらさがり、離陸した旅客機から湿地帯へとびおりるというのは、説得力がないにもほどがある。下が水面でもとびおりて無傷か軽傷ですむ高度に見えないし、何より高所からとびおりたはずなのに水しぶきが小さすぎる。
普通なら旅客機が滑走路へゆっくり侵入する途中で脱出するべきだし、劇中の高度でとびおりるなら下を雪原などに設定するか貨物室にあるパラシュートを拝借するべきだろう。旅客機に乗る直前に空港でパラシュートが乗せられるのを目撃する描写ひとつあればいい。


中盤のショッピングモールをつかった追いつ追われつのアクションや、終盤の景気が良い爆発と一方的な主人公の反撃は楽しい。
ショッピングモールの吹き抜けを立体的に移動するスタントでジャッキーチェンを連想したし、途中までのアクションで血があまり流れないのにクライマックスで人体切断アクションがはじまるのも香港映画のよう。
そうと思うと、危ないアクションが連続しながら殺人もふくめて軽快に描写する作品の全体が、当時の勢いあった香港映画を米国流につくりなおしたように見えなくもない。ジャッキーチェンが『キャノンボール』等でハリウッド進出をはたした時期とも符合する。
それだけなら良いのだが、そうして香港映画レベルのリアリティと思いながら見たので、インターネットで笑いの的になっている珍妙な台詞も相対的にインパクトを感じられなかった。楽しむつもりだったのに残念。

*1:そもそも導入からして、主人公だけが敵の目的なのだから、他の特殊部隊を殺して警戒させる意味がない。自分も殺されたと黒幕が偽装した意味を見いだそうにも、主人公とすぐ対面してしまう。しかし北村紗衣氏が指摘するように黒幕の動機にホモエロチシズムを読みこめば、ここまでは独占欲などと解釈することはできる。