法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

難民に裏があるアニメを、みんなもう忘れたのだろうか

id:hokusyu氏の下記ツイートに対して、そんな作品を見たことがないというリプライばかりついている。

最近の私はアニメを見る数が減り、放映されている半分くらいしか全話に目を通さないが、それでも思いあたる人気作はいくつかある。


たとえば『進撃の巨人』で、人類の脅威となる巨人側のキャラクターは、避難民にまぎれるかたちで内部に侵入していた。その展開がTVアニメ2期ではメインとなったが、見ていた人が少なかったのだろうか。
TVアニメ「進撃の巨人」Season 2公式サイト
もともと人類を守る壁への信頼を信仰へ位置づけ、武器をとって戦うことを賞揚した作品である。実際に細部を見れば違う構図もあるが、現代日本の気分を反映した作品の受容が見られることは否定できない。


より現代の気分を反映した作品として、WEB小説を原作とするTVアニメ『魔法科高校の劣等生』もある。そのクライマックスが、密入国者の暗躍と横浜中華街で始まるテロを描いた「横浜騒乱編」だ。
アニメ『魔法科高校の劣等生』
それも日本への亡命を手助けするはずのブローカー*1が亡命元の大国と手を組んで騒乱をひきおこしたという展開で、hokusyu氏のいう内容に近い。
実際にhokusyu氏の意見に賛成するツイートでもタイトルがあげられている。


ただ、私が視聴しているアニメでは、難民に裏があるというより、個々の人格がないという問題が目につく。難民の立場になって描こうとはせず、固有の名前と行動を持たない集団と描かれがちだ。
行動を起こす時も、主人公の足手まといになるか、それとも主人公を承認する役割りになるかであり、難民そのものが主体となるアニメは昔から滅多にない。
WORLD|機動戦士ガンダム公式Web

アムロが着々と準備を進める一方で、地球上に降りられぬことに焦った避難民の老人たちは、子どもたちを人質にとって暴動を起こした。

帰還したアムロはやりきれなさのあまり避難民を怒鳴るが、そこに真摯さを見た老人たちは人質を解放して去っていくのであった。

主人公側がかつて難民だったという設定であっても、そのドラマは難民を脱した後に始まることが多い。
これらは難民という弱い立場におかれた時、行動の制限から受動的なドラマしか描きにくいことの結果かもしれない。そもそも日本のアニメの制作リソースでは、宮崎駿監督くらいしか魅力的で活気あふれる群衆を描けないという問題もある。
先述の『進撃の巨人』においても、主人公や対立者が難民だった時期は一気に飛ばされ、兵団の一員になる段階から本筋がはじまる。これも逆にいえば、難民に裏があるように設定されるのは、物語を主体的に動かしやすいためかもしれない。
私も難民を題材にした長編を書くなら、難民のなかに個人的な思惑をもった人物を混ぜるだろうし、主人公は難民側よりも主体的に動かしやすい外部に位置づけるだろう。


もちろん、上記の話は傾向にすぎず、物語の絶対的な作法ではない。
難民といっても目的地が明確であれば移動するだけでもドラマはつむげるし、主体性がない主人公が狂言回しとして複数勢力を渡り歩く物語もいくつかおぼえがある。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』 - 法華狼の日記

主人公が状況に流されて各勢力をわたりあるく展開に『機動戦士ガンダムUC』を思い出した。

難民が固有の人格をもっていて、それゆえ社会の思い通りにならなくても、その尊厳は守られるべき……そう描くアニメやマンガが、もっと多く作られてもいい。