敗戦間近の日本で、激しい訓練を受けさせられる丸眼鏡の青年。彼は特攻隊員に選ばれ、作戦実施の直前、1日だけの休みを与えられる。
あてどなく歩き、童貞を捨てようとして、やがて少女にすがった彼は、最終的に特攻に向かう。しかし彼は日本から捨てられたことに気づかない……
岡本喜八監督による1968年のATG映画。自己犠牲というには貧しすぎる特攻という選択肢を、どこまでも喜劇的に描く。
kinema-shashinkan.jp - このウェブサイトは販売用です! - 映画 アニメ動画 ドラマ動画 映画動画 海外ドラマ リソースおよび情報
岡本喜八監督とATGが、それぞれ500万円を出資して製作された、戦中派である岡本監督の実体験をもとにした戦争ファンタジー。予算を切り詰めるために撮影は16ミリ白黒フィルムを使用、最小限のスタッフで臨み、監督は助監督を、キャメラマンは照明を、美術はスチル・キャメラマンを兼ねた。
目に見えて低予算映画で、戦争映画らしい描写は冒頭の訓練における大爆破くらい。それでも、砂丘で展開される作戦の無意味さや、ドラム缶に魚雷ひとつをくくりつけた特攻装置など、とぼしい制作費を活用して日本軍の貧しさを見事に表現していた。
舞台劇のように場面ごとでドラマが完結しているのも、低予算なりに広い世界を描こうとしたためか。砂丘での従軍看護婦との出会いは、完璧な構図とモノクロの陰影で、歴史的な美術画のようであった。
それに半世紀前の風景は現代からすると充分に歴史を感じさせる。肋骨の浮き出た主人公も、現在の俳優から似たような肉体を探すのは困難だろう。それでいて、当時すでに社会が戦争を忘れようとしていることを物語に組みこんでいることも興味深い*1。主人公の悲喜劇は戦後を楽しむ若者と対照的に描かれているが、当時の若者への批判というより、主人公が社会から切断されたことの強調と感じられた*2。
特攻装置で海をただよう作戦も、そこからいきつく顛末も、絵として印象深いものではあった。好みとしては、ただ何もなしえないまま帰還した時点で終えてほしかったが、結末のしつこさはこれでこれで悪くない。
戦争における愛郷心の利用はつきものだが、いざ戦場に送られれば社会から切断してしまう。それを反復するように、埋葬されえない戦争の記憶をつきつけ、映画は終わった。