法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

水木しげる死去の報

当たり前だが亡くなるのだな、という感慨は持った。
訃報|水木プロダクション公式サイトげげげ通信
ねずみ男の「へのへのもへじ」を2年半前につくったことを思い出す。
へのへのもへじで水木サン - 法華狼の日記

手塚治虫らの働きぶりを揶揄するような漫画を描いて、きちんと休みながら仕事をしていたことでも知られている。それでも水木しげるの名前で連載していたのは2015年5月まで。自身も漫画家という職業は晩年まで続けていたのだな、ということも感じた。
妖怪漫画は好きだしアニメ作品もそれなりに見ていたが、酷薄な戦場をドライに描いた戦記漫画や、あけすけな人間観察を語るようなエッセイもおもしろいものだった。いつでも大衆と同じ高さの視点で、なのにどこか遠くから見ていて、集めた情報をそのまま吐きだすような、そういう作家だった。あれで手塚治虫に対しては高評価もしていたらしいが、寺田修司などは吸血鬼そっくりに描いて切りすてていた。


寺田修司についてのエッセイは、以前にエントリで慰安所目撃談を引いた『カランコロン漂泊記』に収録されていた。
水木しげる『従軍慰安婦』でも描かれた数の暴力 - 法華狼の日記
それとは違う視点で従軍慰安婦を描いた短編として、『レーモン河畔』と『姑娘』もある。『水木しげる漫画大全集066 幽霊艦長他』*1に収録されていたものを読んだ。

どちらも厳密には慰安所そのものではなく、部隊が戦地で若い女性と出会ってからの出来事だが、日本軍をはじめとした当時の女性観がよくあらわれている作品だ。
『姑娘』は、日本軍が中国で村長の娘をつれさり、なぐさみものにした伍長自身から聞いた話にもとづく。ちぎった相手として夫婦になるしかないと娘がついてきたが、伍長は断ったという*2。「それに中国では、一度日本軍に関係した女は、人間としてあつこうてもらえんらしいナ」*3とも伍長は語ったという。あくまで一部隊の独断による徴発ではあるものの、組織として処罰すらしなかったようだ。あとがきで水木しげるは「やはり、日本人として、そういうことは反省しなければいけないと思う」*4と語っている。
ちなみに、もととなった証言談も、1978年にサンケイ出版から出た『水木しげるの不思議旅行』に収録されている*5。1973年初出の漫画とあわせて、どのように慰安婦が集められたかという通念をかたちづくった作品としても興味深い。
『レーモン河畔』は、ニューブリテン島に住んでいたホセ一家の物語。戦前にフィリピン人の男性とドイツ人の女性が結婚して、ふたりの娘をえて、ふたりの日本人が婿として入っていたという。そこにラバウルから撤退してきたオーストラリア軍が、ホセ一家が情報をもらすことを恐れて、娘婿ふたりとも人質にとっていった。レーモン河畔に居をうつすも、ちょうど両軍の中間に位置することとなった。
逃げないホセ一家を日本軍本部はスパイ視しして処刑命令を出すが、若い女性がいるからと日本兵はごきげんとりをする。しかし戦火を逃れたホセ一家が援助を求めてくると、中隊長は娘ふたりが「ピー(売春婦)」*6になるようせまった。そこで軍医が生理的に無理だと進言し、全員ではなく将校だけ相手にするよう主張した。中隊長は「かわいそうなのは同じことだ」といったり、自分ひとりが相手をしようといったり、みんなで楽しもうといいだしたり。しかしなぜか議論に参加した兵士たちは、みんなの相手をさせる案だけには反対。議論百出した結果、ホセ一家は何もされずラバウルへ送りかえされた。
あとがきの水木しげるによると、これは全部事実だという。当時の日本軍が殺すという処理をせず、あえて送りかえしたことを「“稀にみる美談”」*7として記憶していたそうだ。漫画本編の結末でも、ホセ一家が戦後まで生きのこったことを「ただ単に奇跡とばかりは思われない。両軍ともやはり善意をもっていたのだ」*8と位置づけている。この「美談」や「善意」のハードルの低さが、逆説的に軍隊の本質をすくいとっていると感じた。

*1:『ダンピール海峡』という、軍旗を守るよう命じられた若い兵士の短編も印象的。イカダでひとり漂流する当初は「ただのヌノキレと棒でできたもの」としか思わなかったが、やがて「日本民族の生命を守るシンボル」という観念をもっていく。後年に完成した絵柄よりリアルで、鬼気迫る表情に異なる味わいがある。この虚しさだけを残した作品が、もし水木しげる先生、ちょっと「あっち」へ。〜思い出すいくつか - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-のいう「軍旗を守ることを肯定的に描いた作品」であれば、gryphon氏は読み違えているとしか思えない。

*2:漫画本編では娘は自殺したという証言にそった結末だが、巻末に収録されている改定版漫画では痴情のもつれで上官同士で殺しあい、娘をつれて脱走するという展開になっている。

*3:536頁。

*4:536頁。この言葉の直前に、中国で人殺しをした別の曹長の話もしている。

*5:水木しげる『姑娘』に描かれた皇軍兵士による強制連行と性暴力 - Transnational Historyでくわしく紹介されている。

*6:446頁。慰安婦を指す当時の隠語だが、由来は諸説ある。

*7:536頁。

*8:463頁。