第二次世界大戦、独ソ戦でモスクワに残された28人の兵士が最後まで戦い、戦車を撃破したという「美談」があった。
http://jp.wsj.com/news/articles/SB12651166888765394352004581165943210406316
1941年11月16日、ナチスドイツ軍がモスクワを包囲するなか、首都郊外に陣取っていたパンフィロフ部隊の赤軍兵士はドイツの戦車による猛攻撃に直面した。装備や体格などで勝っていたドイツ軍は戦争終結が近いことを知っていた。
一人の赤軍兵士が降伏を試みたが、味方がその兵士を射殺した。降伏ではなく死ぬまで戦うことを選んだ残りの28人の兵士は、首都を守るために戦闘を続け、ドイツ軍の戦車を次から次へと破壊した。
第2次世界大戦で旧ソ連の市民は2000万人超が犠牲になった。パンフィロフ部隊の28人はロシアの英雄だ。兵士たちは死後に「ソ連邦英雄」の称号を与えられた。彼らの名前を冠する学校や通りがある。戦場近くには大きなモニュメントも建っている。
味方に撃たれるからと戦い続けることを決めたのでは、そもそも「美談」とは感じられないのだが……発端はともかく国を守るために勇敢に戦った話は士気を鼓舞したらしい。
ただし、この「美談」は伝説という結論がくりかえしロシアでも報じられている。
1990年代には雑誌で報道され、最近にあらためて過去の調査がインターネットで公開された。戦後すぐ、ソビエト連邦の公式調査として、軍機関紙が捏造したとという結論が出ていたという。
ロシア連邦公文書館は7月、1948年にソ連軍の検察当局が実施した調査結果をネットに公開した。その調査結果は、ソ連軍の機関紙「クラスナヤ・ズベズダ」の記者たちがパンフィロフ部隊の話をねつ造したと結論づけている。検察当局は28人のうち生存していた数人が表舞台に出てきたことを受けて調査を実施した。
1948年の調査結果は当時作られつつあった「神話」の実像を垣間見せている。部隊の兵士は確かにドイツ軍と勇敢に戦い、モスクワを占領から守った。多くの場合、自らの命を引き替えにだ。だが、調査報告によると、パンフィロフの28人の物語の詳細――あの有名な「ロシアは広大だ」という言葉も含めて――は作り話だった。
調査報告によると、クラスナヤ・ズベズダの記者の一人は戦闘があった場所を数週間後に訪れ、犠牲もしくは行方不明になった28人の兵士たちの名前を司令官から入手し、死ぬまで戦ったという英雄談を作り上げた。記事の編集者は当時のスターリン首相が掲げていた「死か勝利か」というスローガンを広めたいと思っていたことも調査で判明した。
正直にいえば、国民を動員したい政権の思惑をはなれて、きちんと生還者がいたという史実こそ「美談」に近いように思った。
しかし華々しく自己犠牲したという伝説を求める層もいるらしい。この報道を国営放送ニュース番組「ВЕСТИ (ヴェスチ)」がFacebookで流したところ、賛否両論のコメントであふれたという。WSJ記事が引いている否認コメントを読むと、「この話題を取り上げたジャーナリストは単なる売春婦だ」という誹謗もあれば、「米国人はこれにいくら出したんだ?」という陰謀論もあったという。
戦争における半強制的な自己犠牲を特別視したがったり、政府や公共放送すら認める過去の問題を否認したがるのは、なにも日本だけの問題ではないとよくわかる。
この「美談」が話題になったのは、伝説にもとづく劇映画『The Panfilov 28(パンフィロフの28人)』が公開予定なためもあるという。最近の日本でいえば『聯合艦隊司令長官 山本五十六 ―太平洋戦争70年目の真実―』*1のようなものか。
WSJ記事によると、もともとは独立したプロジェクトだったが、2013年にYOUTUBEで映像を公開して資金提供をつのったところ、ロシア文化庁から約6000万円、一般から約6600万円が集まったそうだ。
記事の情報から検索したところ、問題の映画の公式サイトらしきものも見つかった。
28 панфиловцев
2013年の映像と、完成後の予告映像も公開されている。戦車のCGっぽさは気になるものの、制作費のわりに良い映像をつくれてはいるようだ。
また、映画についての解説をWEB翻訳に助けられながら読むと、制作者は「美談」が伝説ということは理解しているらしい。
28 панфиловцев
もしWSJ記事に反して、伝説と史実の「美談」の違いに着目した映画であれば、鑑賞にたえる作品になるかもしれない。