法華狼の日記

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当時そういうのが非合法になりつつあったから、わざわざ日本軍は慰安所をつくったんだよ

「ドイツやフランス軍による戦場での管理売春、従軍慰安婦、性奴隷」というTogetterの事実誤認 - 法華狼の日記

日本で法律で管理売春が禁じられた時代、公娼制も「奴隷制」と呼ばれて批判されていた。

建前として「管理売春」という形式は許されないが、実態としてそのような制度にならざるをえない。だからこそ「軍との関係を隠す」よう通達された。

上記エントリに対するはてなブックマークで、内容を読みこまないまま反発するコメントのひとつが印象に残った。
[B! 歴史] 「ドイツやフランス軍による戦場での管理売春、従軍慰安婦、性奴隷」というTogetterの事実誤認 - 法華狼の日記

tetora2 今の基準に照らし合わせれば違法 vs 当時の法律では合法の戦い。どこまでも不毛の荒野が広がるのみ。

印象に残ったのは、つい先日の林博史インタビューに対するはてなブックマークで、よく似た反発を見かけたためだ。
[B! 歴史] 今さら聞けない「慰安婦」問題の基本を研究者に聞く――なぜ何度も「謝罪」しているのに火種となるのか(2019/08/07 19:45)|サイゾーウーマン

tikuwa_ore 現代の人権感覚で当時合法だった売春婦を性奴隷と置換する左巻きが多いから、より大きな反発が生まれるって話なんだけどな。「戦国時代は未成年と姦淫する児童性加害者が多かった」みたいな表現。

Akimbo のっけから「「慰安婦」はいなかったとする「否定派」」と空想の産物が出てきて、この人はなにと戦ってるのかという気になる。戦後しばらくまでは売春は合法で、慰安婦は兵隊さんむけ売春婦の美称だったというだけ。

実際にはインタビューを読み進めていくと、英国軍に前例となる制度があったとことと、その制度が日本軍の慰安所制度以前に廃されたことが説明されている。
今さら聞けない「慰安婦」問題の基本を研究者に聞く――なぜ何度も「謝罪」しているのに火種となるのか(2019/08/07 19:45)|サイゾーウーマン

イギリス軍も19世紀に、慰安所に似た仕組みを持っていたんです。しかしイギリスの女性たちが1870年代に、売春を国家が公認することは女性に対する人権侵害であり、そうした女性は「奴隷」だと批判し、女性の参政権がないにもかからず、男性議員を巻き込んで、1880年代には制度を廃止させるのです。

当時の人権感覚においても、女性の自由が保障されない性的労働を「奴隷」と呼ぶ批判はあったし、法律や条約によって合法とされる範囲が制約されていったのだ。


つまり「すでに存在した売春宿が顧客を軍隊に限定したわけでも、軍側から専用にするよう求めたわけでもない」のは、売春宿が利用しづらくなったという背景もあった。
象徴的な出来事として、日本軍が初めて慰安所を設置した*1と考えられる中国は、当時の中国政府の意向で公娼制が廃止されていた*2

上海では、中国政府が公娼廃止に取り組んでいたので、日本外務省も体面上これに協力せざるをえなくなり、二九年、貸座敷(貸席)制度を廃止していた。しかし、日本は実際には抜け道として料理店酌婦制度をつくっており、事実上の公娼制が維持されていた。

水木しげる『姑娘』などでも、当時の中国の買春や性暴力への忌避感の強さが描かれている。そして日本は満州事変で海軍が少数の慰安所をつくり、それを真似て陸軍も慰安所を設置していった。
十五年戦争の発端となる中国で、日本軍が欲した売春宿がなかったことから優先的な兵站として制度化され、違う地域へと戦線を広げても制度の優先順位が変わらなかった……そう思うと、いかにも日本らしい先例主義が慰安所制度を自己目的化していったといえるかもしれない*3
もちろん中国だけではなく、1930年代までにイギリスや北欧、カナダなどが公娼制を廃止していた。日本国内でも群馬県をはじめ、多くの地域が1941年までに廃娼決議をおこなっていた*4。当時の人権感覚は、すでにそこまで進んでいたのだ。


そもそも、法律の線引きや運用を変えさせられる公権力の「合法」と、法律の網の目を逃れる民間の「合法」を、その脱法の悪質性が同等とみなすべきではあるまい。
慰安婦募集が「合法」だったから業者が立件されなかったわけではないという指摘を、先日のエントリで紹介した永井和インタビューから引用しよう。
(慰安婦問題を考える)「慰安所は軍の施設」公文書で実証 研究の現状、永井和・京大院教授に聞く:朝日新聞デジタル

和歌山県の警察は『軍の名をかたり売春目的で女性を海外に売り飛ばそうとしたのではないか』とみて、刑法の国外移送目的拐取の疑いで業者を取り調べました。しかし大阪の警察に問い合わせた結果、軍の依頼による公募とわかり、業者は釈放されています。大阪など一部の警察には事前に内々に軍からの協力要請が伝えられていたのです(資料〈2〉)」

 「各地の警察の取り締まり方針を知った内務省は38年2月、軍の要請にもとづく慰安所従業婦の募集と中国渡航を容認するよう通達し、慰安婦の調達に支障が生じないようにしたのです。同時に軍の威信を保つため、軍との関係を隠すよう業者に義務づけることも指示しています(資料〈5〉)」

最近でも、「上級国民」の起こした事件への追求の甘さに、報道や捜査の恣意性が疑われたことがあった*5。それを思えば、軍隊が独立した権力をもっていた時代、捜査の手を逃れられる特別な優遇措置を受けられたことも理解しやすいだろう。
慰安所の運営においては、募集段階にとどまらず、海外への移送や現地への拘束などでもさまざまな条約や法律に抵触していた。たとえば、いわゆる「広義の強制」と「狭義の強制」も、当時の刑法においても非合法性において違いがなかった*6
そもそも慰安所の合法性を主張する理屈は、21歳未満の買春を禁じる条約の植民地への例外規定を利用するように、しばしば大東亜戦争の建前と矛盾をきたす。そのような「合法」は、むしろ国家の悪質さをあらわすものだ。


いずれにしても、「当時合法だった」といったコメントは、そのような情報にふれていなければ断言できるものではあるまい。
tetora2氏やtikuwa_ore氏やAkimbo氏は、どのような根拠からそのような認識をもつにいたったのだろうか。
そのような事実誤認こそ、当時の人々の名誉を傷つけることになるとは考えないのだろうか。

*1:それ以前に、既存の売春宿を軍の管理下においたと考えられる事例はある。

*2:従軍慰安婦 (岩波新書)』15頁。

*3:念のため、この制度の自己目的化という印象論は、専門家の知見ではなくて私個人の心象にすぎないと留意されたい。しかし、よく日本軍との制度的な類似が指摘されるナチスドイツだが、場所によって異なる制度を選んでいたという点は、どの地域にも慰安所を設置した日本軍と異なっているように思えるのも、正直な感想ではある。

*4:日本軍「慰安婦」制度とは何か (岩波ブックレット 784)』45~46頁

*5:池袋母子死亡事故、暴走した88歳「上級国民」の特権はやはり存在するのか? | 2019年上半期の「忘れられない言葉」 | 文春オンライン

*6:日本軍「慰安婦」制度とは何か (岩波ブックレット 784)』の12~13頁で詳細に指摘されている。