法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『少年H』

太平洋戦争に翻弄された少年時代を描いた自伝的小説を原作とし、2013年に降旗康男監督が映画化。
http://www.shonen-h.com/index.html
日曜洋画劇場で試聴した。122分の作品を枠延長して放映したので、ほとんど本編はノーカットだろう。


もともと原作は実体験というふれこみで出版され、ベストセラーとなった。しかし多くの記述が既存の歴史書籍を誤読しながら引用していることが、山中恒『間違いだらけの少年H』で指摘された。
そのためか文庫版では多くの修正が入れられたし、映画制作では山中恒批判を参照したと監督が語ったそうだ。下記の監督インタビューでは批判にこそふれていないものの、独自に資料を集めた苦労が語られている。
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爆弾が落ちてくる様子を、落とされる側から撮影した写真はない。焼夷弾が破裂する写真もないので、焼夷弾が破裂するとどうなるかもわからない。だから焼夷弾について調べるため、自衛隊防衛大学に行きました。そこでは自衛隊の隊員さんを教育する資料として、焼夷弾が落ちたらどういう風に破裂するのか、ということを解説しているものがあった。そうやって調べていきました。

原作者の河童さんが本を書くときに集めた資料を見せてもらいました。それから河童さんに神戸の市役所を紹介してもらい、そこに残っている当時の資料を貸してもらいました。そういうのがないと、こういう企画はなかなか実現しない。

そのかいあって、映画に出てくる妹尾家前の通りですが、妹尾家側の両隣50メートルくらいは、まさに妹尾洋服店があったその当時と寸分違わないものを作りました。


実際、印象的だった批判部分は、多くが映像化されていないか、改変されている。
当時まだ神戸市に隣組は存在せず、徴兵拒否者の情報を回覧板で不用意に広めるはずがないことが指摘されていたが*1、映画では回覧板が登場しない。空襲で母親が組長としての義務をはたしてない問題は*2、ちゃんとドラマにつながるように訂正されている。消防関係者がスパイ容疑をかけられるには状況が不自然という指摘は*3、時系列を入れかえて自然に処理されている。以前にドラマ化された時と比べて、格段に違和感が少なかった。
事実関係だけでなく、心の動きも納得できるように演出されている*4。主人公は原作通りに終戦の報で喜びつつ、少国民らしいわだかまりもいだく。相手が善良な大人であっても、掌を返した姿を見て葛藤する。むしろ近年に戦争をあつかった邦画としては悪くない部類だと思った。
映像面でも、きちんと当時らしく見えるロケ地を選んでいるし、市街地や廃墟といった4カットだけ韓国で撮影した*5判断も効果をあげている。戦後の仮設集合住宅は手作り感が見事で、過去の映像作品で見たことがない現実感があった。
VFXもきわめて自然。監督は『ALWAYS 三丁目の夕日*6を見て戦争当時を映像化できると確信できたそうだが、必要な場面だけ最低限に使っている。基本的に奥行きを感じさせる遠景に利用し、広々とした世界を表現していた。
俳優の演技も配役も悪くない。どこかで見たようなタレントが多いが、きちんと世界にとけこんでいた。主人公父のミシン作業など、本職のような所作で美しい。


しかし、これならば最初から山中恒『ボクラ少国民』シリーズを映画化すれば良かったと思う。ネームバリューを期待するにしても、『少年H』以外で適切な原作はあったろう。
それに修正が入ってなお、残念ながら先入観を完全にくつがえすとまではいかない。資料の記述を豆知識のようにならべただけという原作の印象が、ところどころ残っている。時代の状況について説明的な会話をしたり、主人公の周囲で時代を象徴する事件が集中しすぎていたり。まるでダイジェストを見ているようだった。
映画らしいと感じられたのは、主人公が海岸で焚火して蛸を焼いたり、主人公父がミシンを直したり使ったりするような、会話のない場面ばかりだ。もっと説明は削って映像化してほしかった。

*1:『間違いだらけの少年H』27〜28頁。以降の注記で示す頁も同書の該当頁を指す。

*2:641頁。

*3:678頁

*4:45〜46頁で主人公父を寡黙な職人と表現するよう求めている感想などが、映画の人物造形に影響を与えたのかもしれない。

*5:http://www.shonen-h.com/h_data/prono5.html

*6:くしくも脚本家が同じ。会話が説明的なのは、脚本家の作風もあるかもしれない。