法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『特撮映画美術監督 井上泰幸』キネマ旬報社編

SF映画『緯度0大作戦』のα号デザインや『ウルトラQ』の初期怪獣デザインで知られる、井上泰幸美術監督
著名な特撮スタッフの陰に隠されていた幾多の業績を、私的に残していた数多くの資料や、インタビューや周辺人物の証言、そして若い特撮スタッフの座談会*1を通し、克明に描き出す。
書籍詳細 | キネマ旬報社
1922年に生まれ、1943年に長崎の三菱兵器製作所に徴用され、1944年に佐世保海兵団に召集。そして1944年12月25日に揚子江で輸送船の対空見張員をつとめていた時、米軍のP51に機銃掃射され、左足を失った。海軍病院に入院したまま終戦傷痍軍人用の職業訓練所で家具製作を学び、日大芸術学部美術科にも入学。トンネル型の先進的な水族館を考案したりしつつ、ひょんなことから新東宝の潜水艦映画に参加。従軍経験を活かして*2潜水艦の図面を引き、美術制作も協力。そこから特撮映画の道を進み、円谷英二がひきいる東宝特撮作品へ参加することとなる。
東宝では、メカニック等の架空デザインだけでなく、ミニチュアを設計するための図面や、実際のミニチュア制作にもかかわり、さらにミニチュアの配置や東宝特撮プールの設計も行っていた。しかし東宝の特撮部署は上層部の無理解もあって縮小を続ける。やがて円谷英二も1970年に亡くなり、翌年に東宝を去ってアルファ企画を立ち上げ、外部からさまざまな会社の特撮美術に参加していった。
そして2011年12月にこの書籍が出版された少し後、2012年2月に亡くなられた。


まず目を引くのが、冒頭に収録された美術デザイン。著名な特撮映画の、カラフルな絵コンテやイメージボードは、見ているだけで気持ちを浮き立たせてくれる。映画本編とのカットの酷似ぶりも見ていて楽しい。しかし、演出へ関わっていたのに名前が残っていないことを疑問に思っていたら、あくまで絵コンテは必要なミニチュアの配置を計算するために、私的に切っていたものだという。実際には演出側に絵コンテを見せることはなく、あくまで特撮監督の演出を予想したものにすぎなかったそうだ。ただし数少ない例外として、円谷英二の遺作映画となった映画『日本海大海戦』では、たまたま円谷の目に止まり、ほとんどそのまま撮影されたという*3
そして本編インタビューにおいて、円谷英二の創意あふれる無茶な注文と、それに必死で応えつつ上回ろうと努力する若き日の井上監督について、楽しくも興味深い証言がいくつも飛び出す。たとえば、黒澤明監督の映画『蜘蛛巣城』の特撮も、円谷英二が立ち会っていた仕事だという*4。当初の『ウルトラQ』は低予算なだけでなく特撮スタッフの意欲も低くて、1人で作業することすらあったため*5、自ら降板を申し出た。その時、川上景司特撮監督へ「あなたのところの美術スタッフはみんな駄目だから、東映から成田亨君を呼びなさい」と指名したのだという*6
他にも、『妖星ゴラス』のジェットパイプは勢いが弱く見えるプロパンガスより合成の炎にすべきだった反省したり*7、『ゴジラ』シリーズが続いた当初はマンネリと評価したり*8、率直な批判を口にしている。中野昭慶監督が、爆破に気持ちがいきすぎて画面が炎と煙でおおわれてしまう悪癖も指摘*9円谷英二に対しても偉大さをくりかえし称賛しつつ、それが映画『日本誕生』などで空回りしていたことも証言していた*10。逆に、撮影に使用しないほど大きなミニチュアセットを組んでいた無駄に対しては、そうすべきだけの理由があったと擁護している*11


円谷以外の中心スタッフに対しては、自身が裏方として日の目をあびなかったこともあってか、何度となく「取り巻き」と呼び、やや否定的に見ている。カメラや助監督といった「取り巻き」は撮影初日に来るだけ。円谷だけが2、3回ほど確認に来ていただけという*12NHKの特撮関連番組でゴジラスーツの制作者が1人しか紹介されなかったことに対しても、利光貞三デザイナーや八木兄弟といった存在もあったのだと、1人1人の名前をあげていく*13。表に出て発言していた著名スタッフ以外も仕事をしていたのだ、という思いの強さは、座談会において井上以外の美術スタッフからもあふれ、これまで一方に都合の良い歴史だけが語られてきた悔しさが感じられた。
ミニチュア特撮の素晴らしさをミニチュアの精巧さが支えていると考えるならば、たしかに井上をはじめとした美術スタッフの仕事は、より古くから注目されてしかるべきだったろう。背景だけでなく前面に登場する機械のミニチュア等も制作し、逆算的に画面の全体像も想定して設計していたのだから、アニメーションにおける背景美術以上の役割があるといえる。
この書籍にしても美術スタッフ視点の証言ではあるが*14、だからこそ日本特撮史を立体的に知るための補助線として役立つ。ここまでは主として過去の特撮情報と異なる部分を紹介してきたが、もちろん分量としては詳細なメイキング情報がはるかに多い。ミニチュアの材質や縮尺、記録に残らないような美術スタッフの人物像や技術力、等々の具体的な情報が、美術スタッフの重要性と歴史の厚みを感じさせてくれた。

*1:本編とは直接のかかわりがない、あくまでファン目線の話が多いが、これはこれで興味深い証言がいくつかあった。たとえば237頁に、樋口真嗣が『ゴジラ』の仕事中に首になった時、これからはコンピュータの時代で高卒よりも旧帝大といわれたそうだ。その旧帝大卒業者とは、九州大学を卒業した佛田洋三池敏夫のこと。ちょうど先日に感想を書いた佛田洋インタビュー本の出来事を、樋口の側から見た話となっている。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20130228/1362063242

*2:余談として、海軍式の敬礼ができていない近年の作品を批判したり、そもそも海軍は朝の挨拶くらいしか敬礼をしなかったという経験談も語っている。160頁。また、『連合艦隊』で戦艦大和が島影から初登場するカットに対して、演出と撮影がシナリオに疑問を持たなかったのかと批判している。168頁。なお、本編の松林宗恵監督は海軍従軍者。

*3:143頁。

*4:80頁。

*5:第17話「1/8計画」でのことだが、1月6日から撮影するというのに、監督は正月休みにコンテを描くといっていた。しかも1月5日にようやく来た監督助手は、ずっと監督とマージャンをしていたと説明したそうだ。なお、本編監督は円谷一、特撮監督は有川貞昌。『ウルトラQ』DVDブクレットの解説では、正規の特撮スタッフがほとんどいなかった中で最後の炎上を成功させたと解説されていた。

*6:117頁。成田亨はかつて『ゴジラ』シリーズで石膏部に入っていたが、この時は東映で美術デザイナーを手がけていた。

*7:102頁。

*8:114頁。しかし東宝をはなれる直前の『ゴジラ対へドラ』は熱く語ったり、全体として嫌っているわけでない様子。

*9:168頁。ただし苦笑いしながらの苦言といったニュアンス。中野爆発のやりすぎぶりは、古くから特撮ファンの知るところでもある。

*10:89頁。

*11:井上自身、『怪獣バラン』で円谷の指示より大きな空港セットを制作していたり、1984年版の『ゴジラ』で最終的な画面に登場しない広大なセットを制作していた。

*12:196頁。

*13:197頁。

*14:現代の3DCGに対する拒否感を表明する場面などは、良くも悪くも古い美術スタッフらしいポジショントークと考えるべきだろう。