法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『戦国コレクション』COLLECTION 5 Sword Maiden

フェイクドキュメンタリー、もしくはモキュメンタリーと呼ばれる映像ジャンルがある。
現実の出来事を素材とするため制約がかせられているドキュメンタリーの表現方法を模して、虚構の出来事に擬似的なリアリティを生み出したり、撮影者の意図を強く観客に意識させる手法だ。低予算を逆手にとった演出もできる。
もちろん、ドキュメンタリーも映像作家が演出し編集した作品であることは変わらない。モキュメンタリーの先駆作には、当初はドキュメンタリーとして制作されていた映画『人間蒸発』や、演出過剰な結果として現在ではモキュメンタリー視されているヤコペッティ監督作品も存在する。


明らかなフィクション作品としては映画『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』等から有名になった手法で、現在のTV番組では『タイムスクープハンター』が人気を集めている*1
超常的な出来事を題材にしたモキュメンタリーホラーは明らかにフィクションだ。しかし『タイムスクープハンター』は下手な歴史番組より史実にこだわっていて、時空を超えた取材者のみが明らかなフィクション。同じジャンルでも、その目的や効果は様々だ。


そして全ての映像が虚構と明らかなアニメでも、ドキュメンタリーの表現を真似たモキュメンタリー作品が色々ある。
たとえば、SF性の高いロボットアニメをドキュメンタリー風に演出しなおした総集編映画『ドキュメント 太陽の牙ダグラム』が1983年に公開されている。フェイクドキュメンタリーがジャンルとして発展する以前の作品だ。
これを手がけた高橋良輔監督は作品における撮影者の目線を重視し続け、2006年には『FLAG』という劇中カメラ視点だけで構成されたアニメシリーズも展開した。

スケジュールを調整するための総集編を劇中レポートのように演出する例は、TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』等でも見られる。TVシリーズの前日譚にあたるOVAマクロス ゼロ』を劇中の歴史映画に組み込んだ『マクロスFRONTIER』という例もあった。
macrossf.com -  リソースおよび情報


最近では、『ダンス イン ザ ヴァンパイアバンド』や『THE IDOLM@STER*2のように、初回にモキュメンタリー演出を行って、人物や舞台の説明を手早くすませるTVアニメもある。
ダンス イン ザ ヴァンパイアバンド | バンダイチャンネル|初回おためし無料のアニメ配信サービス
OPやEDに限定してみれば、さらに数は増えるだろう。有名作でいうと、『けいおん!』のOPは劇中で主人公たちが制作したPVという体裁になっている。『機動戦士ガンダム0080ポケットの中の戦争』は、劇中のポートレート写真でED映像を構成した上に、後に新作画像やもっともらしい英文を付記した架空写真集『M.S.ERA』として書籍化され、改訂版や廉価版も発行された。
M.S. ERA ポピュラーエディション by KADOKAWA アスキー・メディアワークス | ホビーリンク・ジャパン!


さて、ようやく本題の『戦国コレクション』だ。GYAO!ニコニコ動画で数日ずらして無料配信されている。
http://gyao.yahoo.co.jp/special/sencolle/?sc_i=gym012
戦国コレクション [第1話無料] - ニコニコチャンネル:アニメ
戦国から江戸にかけての著名人をモチーフにした美少女が異世界からやってくるという、ありふれた設定のTVアニメだが、虚構性を強調した映像の様式美と、一話完結の趣向が面白い。
初回こそ平凡な青年のところに奇妙な美少女が転がりこむという平凡な内容だが、この青年は主人公にならないまま初回限りで退場。次の回ではアイドルを目指して芸能界の裏面を知りながら覇権を誓う少女、その次は異世界から来たことでの不安をかかえた少女が同居する主人の女性と心を通わす物語、さらに次は無知につけこまれてヤクザに使い捨てられ投獄された女性の復讐劇と、相当にバラエティに富んでいる。


そして第5話において主人公に選ばれた少女は、現代日本で道場を開き、剣をふるっている。その主人公を題材にして、帯刀が許されている異世界人の恐怖を訴えた劇中ドキュメンタリーが、そのまま前半で流れる。
テレビ東京・あにてれ 戦国コレクション

幼い容姿とはうってかわって凄まじい剣の冴えをみせる斬神卜伝は、町の道場でみんなに剣術を教える人気者。一方、刀=武士は危険なものとして、その実態を探ろうと執拗にカメラを向けようとする男、マイクモース。モースはサムライの真の姿を探るべく卜伝にインタビューを試みるが、そこに映されたのは、子供相手に刀を振り回す、危険な卜伝の姿だった!果たして、サムライは本当に危険な存在なのか?

作品に自らも出演してインタビューするマイク・モース監督は、太った体型と合わせて、明らかにマイケル・ムーアのパロディだろう。武器携行の危険性を訴える題材も、同監督のドキュメンタリー映画ボウリング・フォー・コロンバイン』のパロディと考えられる。遺影のように被害者写真を加害責任者に見せつける描写など、芸が細かい。
もちろんアニメ作品のお約束として、主人公の少女は危険な存在ではなく、純粋無垢なキャラクターと読み取れる。だからモース監督は発言を切り貼りし、全く関係のない映像を素材として利用し、帯刀の危険性を喧伝する。作中ドキュメンタリーを見ただけで、今回初登場の主人公なのに、編集によって発言をねじまげられていると編集後映像だけでうかがわせる、そのようなアニメ演出の巧さが印象に残った。
かといって、この第5話はドキュメンタリー全体への不信感を煽るだけの内容でもない。まず、アニメの御都合主義として異世界人は帯刀を見逃されているわけだが、それが現実の日本社会において銃刀法違反にならないわけがない*3。パロディ元の『ボウリング・フォー・コロンバイン』も、銃器が一般人でも容易に購入できるという、たしかに日本社会からは考えられない米国の危険性を映している。
つまり、あえて視聴者がドキュメンタリーの主張そのものには納得しやすい題材にすることで、ドキュメンタリー演出手法そのものへ違和感を生ませるわけだ。
後半になって生中継で主人公が反撃するのだが、仮にモース監督がアドリブに強ければ無効になっただろう甘い手法が用いられる。しかし、そうして言い逃れようとするモース監督に対して、劇中ドキュメンタリー内で危険な剣士として言及されたキャラクターが戦いをいどんでくる。主人公の「カタナよりカメラのほうが強いんだ」という台詞に煽られて。つまり、劇中では第四の権力をふりかざしたモース監督がしっぺ返しを食らったという描写でありつつ、視聴者の立場としては劇中ドキュメンタリーの煽った恐怖は事実だったという結末だ。
そして結末において、反省したというモース監督は、主人公に対して新たなドキュメンタリー制作を持ちかける。良い配役をもらえた主人公は喜ぶのだが、そのドキュメンタリーの元ネタは明らかに『川口浩探検隊』。ムーア監督作品とは比べものにならない、明らかなヤラセに満ちたTV番組だ。ここで結局、主人公はドキュメンタリーの事実性そのものに興味がなかったことがあらわになる。
個人的には、もっと劇中ドキュメンタリーが映像にしめる比率を増やして、神視点を排してほしかった感もある。しかし、ドキュメンタリー演出とそれをめぐる様々な立場の風刺劇として楽しめたことも確かだ。ドキュメンタリーを題材にしたフィクションの一つの極北として記憶しておきたい。

*1:http://www.nhk.or.jp/timescoop/

*2:http://nipponia.blog44.fc2.com/blog-entry-219.htmlで『涼宮ハルヒの憂鬱』の劇中映画と比較している。

*3:だからこの回は、これまでの御都合主義的な描写を、作中で説明した回という位置づけもできる。