法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『エウレカセブンAO』第四話 ウォーク・ディス・ウェイ(episode:04 planet coral)

會川昇が単独脚本で、コンテは京田知己監督と長崎健司の連名。前回の続きとして主人公が空母型の敵を倒すAパートと、沖縄周辺のマクロとミクロを目撃するBパートに別れる。
小変化をくりかえしてきたOPは、前回追加のエウレカイメージがさらにふり返ったところが、前作を見続けた一人として感慨深かった。


アクションはまずまず。空中戦というより、巨大な構造物に協力して挑む興奮が強調されていた。
まず良かったのは、主人公機が変形した時、片腕が壊れているためパーツを取り落とした場面。いかにもロボットらしい杓子定規な動作ゆえの実在感があった。その欠落した腕部に巨大な火器を接合し、敵を攻撃するシークエンスも良い。パーツ交換が可能な機械であることを見せながら、主人公機がオンリーワンのアーキタイプであることを説明し、劇中のロボット発展史を映像で表現する。
原画で村木靖松田宗一郎が参加しているものの、まだ華々しい板野サーカスは描かれない。子機が飛行する軌道などが、一部それらしいと感じたが、今回の主人公機は子機と対決しない。作画の見せ場は連鎖する爆発エフェクトに集中している。作画そのものも良かったが、連射による弾痕を切り取り線のように爆発していく描写が、実在するものが破壊されていく感覚を生んでいた。


しかし後半に入って、意地の悪い會川脚本の魅力とともに、欠点も出たと感じた。
各描写の意図はわかるし、それぞれの立場の葛藤も理解できる。特に、メカニックの浮遊原理を支える「トラパー」が、大災害によって採取できるようになったという設定と、それが沖縄の本島と離島で格差を生み出し、祝祭的な抗議デモが行われている風景が印象深い。沖縄が独立した背景が、ロボットアニメの設定と密接につながった。ここで主人公が島内で孤立している姿と、とりまく社会とが、相似形を描く。
このトラパーをめぐる描写は、もちろん東日本大震災以来の原子力をめぐる日本社会の戯画化と考えられるが、普遍的な問題意識で読むことも可能だろう。日本のフィクションでいえば、光子力*1やシズマドライブ*2やエネトロン*3といった、技術文明の二面性を象徴するエネルギー設定群に連なる。
しかし、内容を詰め込みすぎた。何といっても、主人公を助けた男が、きちんと自身の立ち位置を説明しないまま連れまわしていくため、作中社会の現状よりも男の正体ばかり興味が向いてしまう。主人公がどうして男に連れまわされているのかという疑問も思考リソースを奪う。過去から善良だった名前ある人物だけでなく、名も無き沖縄の民からも主人公への感謝がなされたという描写の必要性はわかる。場面をつなぐ説明不足や、男と主人公が食事した場所の出来事で、近年の富野作品を思い出したりもした。しかし、名も無き男が偶然に主人公を助け、やりとりして主人公が知ったという説明くらいは、Bパート序盤にあっても良いのではないか。
もし、尺に余裕がなくて脚本にあった説明が削除されたのなら、第三勢力が攻めてくるような描写は次回へ持ちこしたりして削除するべきだったと思う。


押井守監督いわく、アニメは作者が映像の全てを作り出すために、観客は全ての事物から意図を読み込もうとするという。だからあえて無意味な描写を入れたり、空白を作ったりもするそうだが、その制御が今回はうまくいっていなかったと感じた。

*1:その応用で制作された主人公機マジンガーZは「神にも悪魔にもなれる」と劇中で制作者が語る。

*2:チェルノブイリ原発事故を受けた問題意識で制作したと監督が明言している。

*3:まだ放映途中なので、何のメタファーで、どのような風刺が見出せるかは、まだ何ともいいがたいが。