法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『エウレカセブンAO』第一話 ボーン・スリッピー(Episode:01 Deep blue)

前作の初回が主人公の心情を中心としていたこととは対照に、今作の初回は世界を俯瞰するようにして様々な立場の心情を並べていく。


主人公がわからないことは第三者視点の場面でも不明瞭に描いていた前作は、主人公の心情によりそっていけば、それなりに感動できたし、初回にロボットアクションの見せ場をつめこむこともできた。しかし主人公の心情が停滞した2クールは先の見通しが悪すぎて、娯楽として厳しいことも確かだった。
比べると今作は舞台を先に構築しようとしているようだ。しかし、膨大な設定を次々に見せているためか、説明しようとしているのか謎を散らしているのか、まだ安心できない感はある。俯瞰的な描写なため主人公によりそいにくく、前作のファンには不評なこともわかる。おおむね時系列にそっているから、初回に主役メカの活躍をさしはさむ余裕もなかった*1
しかし、過去作品を思い出していくと、京田知己監督は俯瞰的な語り口が向いているだろうという印象はある。前作の視野の狭さも個性的で良かったが、今作で危機を伝える人々や、主人公の少年を気づかう大人の姿には、かつてリアルロボットアニメが描こうとした社会の肌触りがあったと思う。


終盤の市街地が破壊されていく様子も、演出や作画の素晴らしさだけではなく、それまでに島の生活を描いていたからこそ、カタストロフと感じさせられるのだ。
きちんと世界設定を説明し構築してから、物語をじっくり描いていく方向性だと、初回からは感じた。沖縄をモデルとした背景美術は美しいし、スカブコーラルというSF設定もきちんと見せている。作画の良さもさすがBONES作品といったところで、今後に期待できる内容ではあったと思う。
メイン脚本家は、初回の脚本を手がけた武良翔人と、會川昇らしいが、シリーズ構成の名義は公式に発表されていない。前提をひっくり返したり異なる視点を導入して主人公の正当性を疑わせる會川脚本の魅力は、シリーズ構成よりもゲスト脚本に向いていると思うが、この作品ではどうだろうか。
武良翔人は誰かの偽名らしいが、高山文彦説は明確に否定されている。

初回を見た限りでは、良くも悪くも脚本に特徴を感じなかった。スポット的に老若男女が語る場面を映していく展開は、京田監督が脚本も手がけた映画『交響詩篇エウレカセブン : ポケットが虹でいっぱい』とよく似ている。武良翔人が京田監督の偽名であれ、別の脚本家の偽名であれ、とりあえず京田監督作品として見ていこうかと思う。

*1:もっとも、前作でも主役メカに主人公が乗って活躍したのは2話目だが。