法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

表現への法規制反対派に問題を感じることはあるが

たとえば、すでに実写表現が規制されている現状があり、新たに全くの虚構である絵も規制されそうになったことが最初は問題視されていたはず。それなのに今回の都条例で実写が規制対象から外されていることを、ことさら二次元への攻撃であるかのように受け取る意見があることには、争点を見失っていると評したくなる。


しかし、法規制反対派反対派に同意できるかというと、それはそれで首をかしげることも少なくない。
『表現規制反対派』の拙い行動についての雑談 - Togetter

共闘を求めるのは別に構わないと思うよ。アカ・民主党朝鮮人に共通する「共闘するのは当然、むしろ義務」みたいな傲慢な思いこみがなければね。 RT @Knife02: DAIKAN_CHO 自らが理解できないものが規制されるときは無関心、もしくは規制する側にまわるが、
DAIKAN_CHO
2010-12-11 10:40:23

このような発言をする人が後のツイートで「戦術・戦略」を持ち出して法規制反対派を批判しても、あんまりにもあんまりすぎる。


左翼のままでも左翼を批判できるし、右翼のままでも右翼を批判できる。別に規制反対派を批判するため規制反対派をやめる必要はないはずだ。
たまに、真ん中を歩こうとすれば右からも左からも叩かれるという意見もあるが、左にいけば右からも左からも中央からも叩かれるものだ。右にいっても同じことだろう。

真ん中を歩けば叩かれないという固定観念があるから、叩かれることに違和感を持ってしまうのではないだろうか。
実際はどこにいても叩かれる。安全なつもりで隠れていても、ふとした拍子に叩かれる。それこそが言論であり表現のあるべき姿と思って叩きあいながら、ともに同じ地平を歩いていくしかないのではないだろうか。
違う場所から同じ方向へ歩くこともあるだろうし、同じ場所から違う方向へ歩くこともあるだろう。同じ方向へ進むために手をとらなければならないわけではない。たまに遠く離れた場所から心底から意気投合できたなら、それはちょっと幸運な出会いだったというだけのこと。