法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

的外れではなかったことを確信

指摘ではなく、あくまで質問だったのだが、回答をいただけたことは感謝する。
二重の意味で的外れな指摘 : 週刊オブイェクト

まず「過失」と「故意」では大きな開きがあり、同列に扱えるものではありません。この事件は業務上の過失として処理されています。一方、9条ナイフ男は故意に相手をナイフで刺したのであり、罪はより大きいです。

ここでは犯した罪の軽重*1や、個人的な思想と行動とのタブルスタンダードを問題にしたわけではない*2。問題にしているのは、個人と組織の関係性だ。
事件の性質が異なることは、当のエントリ*3でリンクしたダブルスタンダードだから何? - 法華狼の日記でも言及している。むしろ、差違に注目するよう示唆しているくらいだ。目を通してほしかった。
そう、差違こそが問題の焦点である。

軍隊でのイジメ問題は「よくある事」であり、組織の体質として恒常的に抱え込んでいるもので、だからこそ普段から注意して対処し、再発を防止して、根絶しなくてはならない問題なのです。旧日本軍の酷いイジメは広く知られているところですが、軍隊ならばどの国でも大なり小なり抱え込んでいる悩みの種です。組織構造的に、狭い空間での共同生活を強いられる以上、人間関係を上手くやっていく事はなかなか難しく、イジメの根絶は困難な事ですが、組織の規律を正して行くより他はありません。

上記のようにJSF氏も書いている通り、組織の性質に関わる問題として把握するならば、組織自体の問題はより深く問われるべきだろう。少なくとも、自衛官が亡くなったのは訓練中であり、他にも複数の自衛官が関わっていた。組織全体の責任も問われるべき状況だ。比べると、殺人未遂とされる事件は、今のところ組織が感知しえない状況で起きたと報じられている。
ダブルスタンダードな行為、つまり規範に反する行動が犯罪であった場合、犯罪が糾弾されても規範は問題視されない*4。対して、ダブルスタンダードではない、規範に即した行動が犯罪であった場合、行為のみならず規範も問題視される。
以前にJSF氏も右翼のテロに対しては「仮に右翼のテロが行われたとしても、私はテロリストの殲滅を主張するだけです。何も困る事がありません。むしろここぞとばかりに右翼過激派テロリストを叩いているでしょう」*5と書いている。これは右翼の規範がテロと密接に結びついていると解したからだろう。
所属する組織の指向*6に合った罪を個人が犯した場合、組織は個人を切り捨てて済ませることはできず、犯罪を生み出した組織環境の見直しをはかるべきだろう。対して、所属する組織の指向に反する罪を個人が犯した場合、組織は個人の行動に感知しえないとして切り捨てることができるし、少なくとも組織自体の見直しをする必要もない。これ自体はJSF氏も同意見だろう。

事実「みのお9条の会」はナイフ男の事件は会の呼び掛けの趣旨に反するとして除名処分、切り捨てる処置を施しましたが、組織としての再発防止策は何も行っていません。行いようが無いと思います。

「よくある事」でなければ、組織の責任は比較的に軽い。「よくある事」だからこそ、組織の責任はより重い。
つまり、犯罪者個人の内面においてダブルスタンダードな事件であれば、それゆえに組織や第三者は「何十万人と居るのだから一定の確率で犯罪は起きますね、だからどうしました」で終わらせられるのではないだろうか。


さて、以上は前に書いたことの念押しだ。これを踏まえて話を続ける。
組織が所属者の犯罪に言及する場合、組織の指向に反することは表明しておく場合が多い。被害者感情*7等を考慮し、遺憾の意を表明することもあるだろう。
しかしそれは政治的な身振りであり、あくまで一種の広報活動にすぎない。第三者が身振りに対して意見することは自由だが、その全てを組織が聞き入れる必要はない。
みのお9条の会が殺人未遂容疑の中井多賀宏を除名「今後、呼びかけ人としては扱わず」 : 週刊オブイェクト

みのお9条の会は、この件で会に対する誹謗中傷があったと主張していますが、それは誹謗中傷では無く正当な批判であり、真摯に耳を傾けなければいけないでしょう。その上で事件は中井多賀宏という個人が引き起こした事であり、会としてこれを処断、切り離した上で運動を継続する事には異論はありません。

容疑者に対してならばともかく、「会」つまりは組織に対する「正当な批判」など、どれほどありうるのだろうか。念を押したように、殺人未遂と報じられている事件は、組織が感知できず責任も取れないような状況で起きたとされている。報道量も少なく、裁判は結審どころか進んでもいないのだから、事件の概要について知る機会が限られていてもおかしくない。
そもそも、会は寄せられた全ての意見が誹謗中傷だと主張したわけではない。寄せられた意見に複数の誹謗中傷があれば、会の主張は正しくなる*8。対するJSF氏の文章は、寄せられた意見に一つも誹謗中傷がなかったという主張だ。JSF氏は、会に寄せられた意見の全てに目を通しでもしたのだろうか。もし私がJSF氏の立場なら、正当な批判もあったはず、といった程度の表現におさめただろう。


最後に、今回の本題からは外れるが……
二重の意味で的外れな指摘 : 週刊オブイェクト

9条ナイフ男が批判される最大の問題点は、みのお9条の会が処分した理由、「会の呼び掛けの主旨と異なる行為」=つまり反戦・非武装・平和といった主張と相反する行為を犯してしまった件です。例えばこれに匹敵するような行為を自衛隊員に当て嵌めるなら、隊の備品である機関銃を勝手に用いて守るべき一般市民を撃ち殺した、くらいの事件を想像してください。

これも以前に書いたことのくり返しになるが、自衛隊員は警察ほどではないにせよ、自らを律する態度が一般より強く要求されると私は考えている。少なくとも、平和団体所属者の事件を重く問いながら、一方で「何十万人と居るのだから一定の確率で犯罪は起きますね、だからどうしました」とすませられるものではないはずだ。

まさか憲法9条を訴え、無防備を訴えていた若者が、実は常時武装していてトラブルに対して話し合いで解決を試みず、武装による先制攻撃を仕掛けて殺人未遂行為を働くなど、通常ありえないことです。未然に防ぐには「おかしい人は仲間に入れない」くらいしか方策がありません。

それは何のために何を「未然に防ぐ」方策なのだろうか。「おかしい人」はどのように判断するのだろうか。

「過失犯」と「故意犯」では意味が異なりますし、「よくある問題」と「あってはならない問題」でも重みが全く異なってきます。

自衛隊の「セレモニー」による事故死は「よくある問題」であると同時に「あってはならない問題」だと思うが、JSF氏の感覚では違うのだろうか。

*1:そもそも一方は容疑者の段階でしかない。

*2:あくまで話題が異なるということ。他の文脈において問うことに意味がないというわけではない。

*3:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20090831/1251760599

*4:せいぜい高い比率で犯罪があった場合に、規範の実行可能程度が問われる程度だろう。

*5:http://obiekt.seesaa.net/article/123715257.html

*6:もちろん、少なくとも建前としては、業務上過失致死事件は自衛隊の規範に反しているだろう。ここでは組織的問題という背景があることを共通の前提として仮定しつつ、規範と区別するため「指向」と記述しておく。

*7:念のため、被害者感情は一様なものではなく、必ずしも第三者が代弁できるものではない。実際の被害者発言を引いているのでもなければ、あくまで仮定や推測の形で語るべき。

*8:誹謗中傷があったと対外的に表明するべきか、という政治的な身振りの巧拙とは別問題。