様々な意見に一つ一つ返答しようとすれば、話がまとまらなくなっていくばかり。なかなか本題にたどりつけず、どうしたものか。とりあえず、少しずつ返していくが。
「何が?」と「だから何?」と - 法華狼の日記
上のエントリをどう読めば、下のような反応ができるのだろうか。
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Attention エセ左翼のマス 自分のダブルスタンダードは綺麗なダブルスタンダードですかそうですかよくわかりました。ああ、このダブルスタンダードもまた理由があるんですかね?w 2009/08/03
「ダブルスタンダード認定の精度と、ダブルスタンダードであれば何を批判すべきなのかは、独立した問い」ということを私は主張したのであって、相手や自分がダブルスタンダードかどうかや、その善悪については当該エントリでは語っていないのだが。
どのような経緯で誤読したのだろうかと悩みながらAttention氏の日記を読んでみて、ひっくり返った。
http://d.hatena.ne.jp/Attention/20090725/1248502498*1
で、法華狼氏にしろあなたにしろ、9条の精神がわかってないんですよね。
だから個人のことは9条には関係ないとか言える。
違います。9条の精神はもっと普遍なところで「ヒトゴロシをやめろ!」と叫んでいるんです。
誰が殺すかなんて関係のない部分に、9条というものは訴えかけるんです。だから素晴らしいということに気付いてください。
そんなこともわからないなら、護憲派なんてお辞めになった方がいいんじゃないですか。
まあ護憲派なのかどうなのかすら知りませんが。
もしかして反ネトウヨで三国無双したいだけなら、本当に平和運動に力を入れている者にとって、障害を増やす邪魔者なのです。
よくわかろうとする気など全くないことがわかった。少し調べる努力すら起きないのか。
定型句なコメントをつけるだけで満足している様子から気づくべきだったかもしれないが、あまりに怠惰な態度だ。
ついでに、前回のid:hisamatomoki氏には迷ったが、Attention氏による下記の別IDエントリは、明らかに誤読といわせてもらおう。
http://d.hatena.ne.jp/AlySchulz/20090724/1248435339
9条堅持論者が想定するよりも
と、9条論者が想定している範囲のスタンダードを作っている自分に対しては何もなしに
9条を主眼とした護憲論には、様々な考えがあり
みたいなことを言うわけです。無茶苦茶ですよこんなのー。
なぜ文章の一部分だけを引用するのだろうか。「9条堅持論者が想定するよりも」の全文は「むしろ9条堅持論者が想定するよりも武力は制限しなければならない、などという理屈にもなる」だ。他の理屈も成り立ちうることを示すため、「などという理屈にもなる」という距離を取った表現を使ったのだ。
加えて、Attention氏も先に引用しているように、前段で「人間とは暴走する存在ゆえに過剰な戦闘力を持つべきではない、国家という強い権力を持つ存在ならばなおさらだ、という観点から憲法9条堅持を主張する人」と仮定した記述もしてある。
引用元を見ての通り、異なる護憲論の一例を書いて、その結論として「様々な考えがあり」と書いたわけだ。「無茶苦茶」の原因はAttention氏の引用方法と読解力にある。
憲法9条を守っていくあるいは認めていく上で、どのような方法が正しいかを考えるのは勝手です。
改憲における手続き上の不安から護憲という、9条を守りたいわけではない「消極的」な例も書いていることに気づいていないようだ。
そもそもJSF氏のエントリは、法華狼さんが引用しているようにですね
9条護憲派・無防備運動推進者については、他者を故意に傷付けたり殺人行為を犯す罪を働いた場合、徹底的に批判される事になります。
「者」という風に言っているのだから、個人について語っていることは明らかです。
ここでも一部だけを見て、全体を見ようとしていない。
まず、「者」と記述しているだけで、個人について語っているといえるはずがない。「全体主義者」や「平和主義者」といった言葉が必ず特定の個人を指すとでもいうのだろうか。もしJSF氏が主義と主義者の区別はしているとしても、特定の主義者のみに言及しているとはいえない。
発言の一部が、あるいは結論が正しかったとしても、過程に誤りがないことの証明にはならない。正しい歴史認識をもとに韓国との関係改善を目指すというような題目を宣言しているからといって、『マンガ嫌韓流』に差別性がなく歴史の記述も正しいなどということにはならない。
JSF氏は初期のエントリから、井上ひさし氏についてWikipediaから引用して評価し、出所不明なリデル=ハートの言葉まで持ち出している。
憲法9条無防備論者による殺人未遂事件 : 週刊オブイェクト*2
「戦争屋と話をすれば、平和を目指す努力以前に彼らの人間性の鈍感さにガッカリするが、それ以上に反戦平和主義者の好戦性によって戦争を排除することに絶望を感ずる」(B.H.リデル=ハート)
上の格言はリデル=ハート卿が実際に言ったものなのか、一度調べて見た事があるのですが、英語圏の文献・サイトでは該当するものが見付かりませんでした。何方かご存知でしたらお知らせ下さい。
平和主義者の好戦性・・・有名人に憲法9条護憲派で無防備論者でありながら、家庭内暴力を奮う事で有名な人物も居ますから、今更な事なのかも知れませんが・・・
井上ひさし - Wikipedia
好戦的な平和主義者という人種は、そこいら中に普通に居るものと思った方が良いでしょうね。これまで私も山ほど見てきました。
特段の評価をつけくわえずに文章を引けば、ある程度まで内容に妥当性があるとJSF氏が考えたと見なすべきだろう。「好戦的な平和主義者という人種は、そこいら中に普通に居るものと思った方が良い」という表現が特定の個人を指しているとも考えがたい。
さらにJSF氏は後のエントリでリデル=ハートの言葉を孫引きして、「好戦的」の意味を広げてみせた。
リデル=ハートの格言「平和主義者の好戦性」について : 週刊オブイェクト
反戦平和運動は半ば宗教と化し、布教活動を行う者は異なる意見に耳を貸そうとせず、反対意見を持つ者に対して勝利を得ることを企てている・・・それは、とても攻撃的で、平和的な性質のものではなかった・・・「平和主義者の好戦性」について嘆く声は、今も昔も変わりが無いのでしょうね。
この該当箇所も、きちんと先のエントリで引用している*3。
それとも、リデル=ハートは今回事件を起こしたとされる個人に対して「格言」を口にしたとでも主張するのだろうか。あるいは、「今も昔も変わりが無いのでしょうね」といったコメントが、今回事件を起こしたとされる個人以外の平和主義者に言及したものではないとでも主張するのだろうか。
人間とは暴走する存在ゆえに過剰な戦闘力を持つべきではない、国家という強い権力を持つ存在ならばなおさらだ、という観点から憲法9条堅持を主張する人にとっては、自説の反証どころか実例にもなりうる事件だろう。
自分でそんなことをやるのはただのマッチポンプです。実例にも何にもなりません。
逆に改憲論者がやっていたのならば、それこそ実例でしょうが。
前後するが、やはりこれも誤読しているか、マッチポンプという言葉の意味がわかっていない。
ここで実例となりうると書いているのは、事件の原因が「暴走」に求められる場合であって、意識的に事件を起こした例は最初から排除してある。自説の証明のため事件を起こしたのでなければ、結果的に符合した事件というだけの話*4。また、JSF氏は事件を起こした以外の者にも言及しているので、「憲法9条堅持を主張する人」も事件を起こした個人を指しているわけではない。
そもそも、ダブルスタンダードにならない可能性があると示したが、そのスタンダードが正しいとも事件を起こしたとされる者を擁護したわけでもない。後のエントリ*5で書いた通り。
*1:引用時に太字強調。
*2:文中リンクは引用時に省略。
*3:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20090723/1248303864
*4:もちろん極論ではあるが。また、説得力を持つかは別の話だが、これは重要な論点なので後でくわしく書くつもり。