法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ドラえもん』幸せな人魚姫

泣き虫の少女、ベソ子に絵本を読んでほしいとせがまれたドラえもん
ベソ子が持ってきていた『人魚姫』を読んであげるが、アンハッピーエンドだったために、ベソ子が泣きだしてしまう。
困り果てたドラえもんは、秘密道具を使って絵本に入りこむ。秘密道具や話術を駆使し、ハッピーエンドになるよう人魚姫に協力するが……


比較的に短い印象の原作マンガを、放映時間いっぱいの中編としてアニメ化。原作とは全く違う恋愛展開になることが次回予告で明かされていて不安だったが、実際に見ると原作の印象はほとんど崩れていない。原作でも絵本の改変に苦労するドラえもんが描かれるが、その改変の困難さをアニメオリジナルで強調しつつ、展開の意外性を足しただけ。
しかもシラノ・ド・ベルジュックを思い出させる恋愛展開は、原作で無視されている隣国の王女をフォローすると同時に、人魚姫を自立した思考を持つ存在に変える。
しかし、そうして政治的に正しい絵本として完結しても、人間ではないドラえもんと恋愛した人魚姫が海の泡となってはベソ子が泣いてしまう。そのため最終的にドラえもんは原作マンガと同じようにハッピーエンドへ改変する。……ドラえもん愛する人魚姫の強い信念が良かっただけに、アニメオリジナル展開へ向かわなかったことが、逆に残念と感じてしまった。結局、人魚姫の恋愛感情だけでなく、隣国の王女*1が介護した過去や心情も無かったことにされてしまった。少しばかり残念。


この物語を現在の目で見ると、元ネタへ不満を持つ者に支持される二次創作の典型例と感じられる。
一つは「クロスオーバー」と呼ばれる、異なる物語のキャラクターを乱入させる手法。元ネタに不足していると感じられるキャラクターを補完したり、異なる世界観の技術や能力を導入するために多用される。全く新しいキャラクターを創造するより設定を理解してもらいやすく、感情移入もさせやすい。
もう一つは「再構成」と呼ばれる、一つから複数の要素を改変して、異なる物語へ変える手法。不満点を素直に変更したり、わずかな改変で全く異なる展開となる意外性を楽しんだりする*2
今回の物語でいえば、ドラえもんを人魚姫の世界に乱入させたクロスオーバーであると同時に、ドラえもんが人魚点の不満点をなくそうとして二次創作を作る再構成ともいえる。途中から当初の目的を忘れて人魚姫に感情移入するドラえもんは、贔屓のキャラクターを活躍させすぎる二次創作とよく似ている。
人魚姫のアンハッピーエンドに泣くベソ子が、再構成したハッピーエンドに対しても知っている物語と違うからと泣く姿も*3、読者の心理をよく描いている。
個人的に二次創作を書くことがあるので、身につまされたり笑えたり、昔に原作を読んだ時とは全く違った視点で楽しむことができた。


さて、話をアニメに戻そう。
人魚姫がドラえもんを青い蛸と思いこんだり、原作マンガでは削除されている人魚姫の姉妹が原作童話通りに登場していたり、細かい補完描写もうまくできている。「ぶつぶつ交換機」なるアニメオリジナルの秘密道具が不要に感じたくらい。
また、あくまで物語の読者を象徴する存在としてしかベソ子を描かなかった原作に対し、アニメでは演技に細かい間を入れて、のび太へ薄らと思慕を抱いているかのように描いていたのも面白い。社会的には駄目な人間でも、年少者には憧れの対象だったりするのだ。そのためか、原作と違って、ベソ子がどことなく可愛らしく感じられた。


今回のコンテは木村哲。要所にハーモニー風の止め絵が用いられていたのが面白い。
作画は動画工房回らしく良い動きだった上、原画に末吉裕一郎の名前があって驚いた。
中でも印象的だったのが、あの手足が短いキャラクターデザインのドラえもんが、ちゃんと全身を使って泳ぐ作画がされていたこと。コンテをふくめ、少し『NARUTO』第133話の松本憲生作画を思い出した。


あと、今の時代に見ると、人間に変身した人魚姫が全裸となる描写はなかなかチャレンジャブル。
原作マンガ通りとはいえ、足先を写すだけとかの誤魔化しようもあるだろうに、よく規制されずに通ったものだ。

*1:意地悪そうな表情で悪役と表現する演出も残念。

*2:個人的には、元ネタと近すぎても外れすぎても二次創作である意味は薄いと思う。しかし元ネタを最初から楽しみ直すという意図からか、ほぼ元ネタと同じ展開のものでも支持されることが少なくない。

*3:アニメでは、悲劇だからこそいいとまで主張する。