少しばかり性的な表現をふくむ話をしようか。
個人の力は、たとえようもなく無力だ。腐りきった社会と戦うには魔法を使うしかない。
しかし現実の世界で魔法が使えるはずもない。
魔法で社会を変えられるなどと思ってしまうのは、しょせんただの現実逃避で、つばを吐きかけるべき汚らしい嘘だ。
だから童貞の魂を持ち続けなければならない。
童貞の魂を持ち続けていれば、やがて内に妖精を飼い慣らし、心の世界で魔法も使えるようにもなる。
魔法を使えるようになれば、内なる心は無敵だ。社会を変えることはできなくても、内なる心を社会から守り、変節しないでいられるようになる。
だから「現実」と称して究極の選択を押しつけてくる連中に、僕は叫ぶのだ。「たとえ金のために肉体をくれてやったとしても、魂の純潔までは売りわたさない」と。
僕は力不足で「現実」とやらに屈したとしても、それが正義だとか必要悪だとか、いいわけがましく口にしたりはしないのだ、少なくとも魂の童貞を守り続けている今は。
「僕は童貞だ。まだ童貞なんだ」
谷口悟郎監督『ガン×ソード』*1というTVアニメの主人公による名台詞「俺は童貞だ」から連想して思いついた与太話*2。あくまで一種の比喩表現である。
また、元とした台詞が「童貞」という単語を用いていたという理由もあるが、現代社会で処女性を賛美することに政治的な意味がつきまとうため「処女」という単語ならば最初から使わなかっただろうことを、ねじれた問題として自分自身に指摘しておく。さらに「童貞」は主として男性の場合を指すが、女性に対しても使える言葉ということも注意。
最後に、必ずしも魂の童貞を全肯定しているわけではない。金で魂の童貞を買おうとすることを否定しているのだ。
*1:絵コンテの多くを谷口監督自身が担当しており、スタッフ多くを共通する『コードギアス 反逆のルルーシュ』よりも監督の色が出ている。なお、映像ソフトが売れなかった上に、制作遅延のため放映延期されたこともあり、商業的には大赤字だった。
*2:ちなみに谷口監督は自作の主人公、それもいきがっている者の多くを裏設定として「童貞」と考えている。ただし、あくまで肉体的な童貞という意図らしい。