ある若い科学者が、物質を転送する装置を発明した。その装置は生物の転送にも成功する。しかし科学者自身が実験台となった時、一匹の蠅が装置の内部にまぎれこんだ。それ以来、科学者の肉体は奇妙な変化をくりかえしていく……
デヴィッド・クローネンバーグ監督による1986年の米国映画。1958年の『蠅男の恐怖』*1を最新の特殊メイクでリメイクし、ホラー映画のクリーチャー表現を一段階進化させた。
特殊メイクで少しずつ変化していく主人公だが、終盤になるまでは意外と人間の姿をたもっている。蠅らしい姿になるのは最後の瞬間くらい。
撮影セットを上下ひっくり返した忍者映画のような古典的なトリック撮影もけっこう多い。そのアナログ特撮ぶりが逆に楽しい。
物語は、虚実があいまいに語られる原典と違って、ほぼ時系列にそって描かれていて、印象がかなり異なる。変容していく科学者の肉体を妻の視点で間接的に描いた原典と違って、変容していく高揚と苦痛を主人公の視点で感じさせていく。
その主人公の肉体変化は公開当時、社会問題として注目されていたエイズのメタファーと解釈されていた。古いビデオソフトのブックレット解説でも採用されるくらい、過去には定着した見方だったらしい。
しかし現在に見ると、主人公の変化のどこがエイズを思わせるのかわからない。蠅とまじりあって硬質な毛が生えたり、指先から粘液が出るあたりの主人公は、むしろ肉体的には強靭になっている。最終的に恋人の目前で肉体が人間のかたちをたもてなくなるが、それがエイズらしいかというと首をかしげる。恋人の存在から性病のメタファーという解釈が生まれるまでは理解できるが、それも終盤にならないとそれらしくない。
素直な印象としては、単純に人間そのものの一般的な変化のメタファーと思えた。剛毛が生えるのも、肉体の先端から白い粘液が出るのも、男性の第二次性徴の典型だ。そして凶暴さを増した主人公だが皮膚はくずれていき、最期には蠅になる……これもエイズというより老化と死体のメタファーと解釈したほうが納得できる。
現在に検索するとエイズのメタファーという解釈を監督は否定しているというページが多く見つかる。下記記事などによれば、まさに老化のメタファーとして描いていたらしい。
【解説】映画『ザ・フライ』鬼才クローネンバーグのおぞましくも悲しい傑作はこうして生まれた!|CINEMORE(シネモア)
1986年はエイズが社会問題化していた時期であり、多くの観客はそんな現実に本作をオーバーラップさせた。しかし、クローネンバーグは、そんな見方を一蹴する。彼によると、主人公の変容は老化のメタファーとみるのが正しいとのこと。
さまざまな描写を社会の反映と解釈する批評は、その時々の話題の印象にひきずられ、素直に解釈することをさまたげてしまうのかもしれない。どうしても興味関心にひきつけて感想を書きがちなひとりとして、自戒をこめて記憶しておきたい。