法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』

20世紀初頭は、魔法を使えない人間と魔法使いたちが軋轢を起こしつつあった。米国では、魔法使いを攻撃する組織が生まれたり、何らかの魔法で建造物が破壊されたりしていた。
そんな米国に、魔法生物学者ニュートが降り立つ。魔法生物を故郷に帰そうとするニュートだが、パン屋を開業したがっている労働者ジェイコブとトランクを取り違えてしまい……


ハリー・ポッター』シリーズの前史を描く新シリーズ1作目を、2016年に映画化。原作者のJ・K・ローリングが脚本や製作もつとめ、前シリーズの終盤を担当したデヴィッド・イェーツが監督した。

VFXで再現された1920年代のニューヨークを、ところせましと魔法生物が暴れまわるビジュアルのおもしろさが、シンプルな物語のおかげで良い意味で素直に出していた。


荷物のとりちがえという古典的な発端から、分断された社会でそれぞれの陣営にいどころのない男ふたりが出会い、さまざまな問題に協力して立ちむかう。やはり組織でイレギュラーな女ふたりが、そんな主人公たちと距離をとりつつ助けていく。
小さな魔法生物が群衆にまぎれたり、街角で銀行や店を荒らしたり。大きな魔法生物がセントラルパークで野生動物にふれあったり、門を壊しながらジェイコブを追いかけまわしたり*1。やがて都市を縦横無尽に飛びまわり戦いを始める。
怪獣映画としてピーター・ジャクソンが2005年にリメイクした『キング・コング』を連想したが、そちらは約3時間の長大な尺に比べて都市で暴れまわる場面が少なかった。比べてこの映画は、約2時間の尺でさまざまな魔法生物を暴れさせつづけ、都市の風景が変容していく異化効果では優っていた。


また、この映画はほとんど現実に近い世界が舞台なので、定義的にローファンタジーにカテゴライズされるはずだ*2。一方、『ハリー・ポッター』シリーズの、特に異世界を主な舞台にしたエピソードは、ハイファンタジーにカテゴライズされる。
あたかもハイファンタジーであるほど重厚で設定が細かい作品という印象が語られがちだが、比べると『ファンタスティック・ビースト』は『ハリー・ポッター』よりもシリアスな印象がある。
思えば、舞台が現実に近いほど危機が起きた時の切迫感が強まるのは当然ではある。主要登場人物の年齢が上がっているのも、魔法の助けが期待できないことのかわりと考えられる。

*1:メイキングを見ると、操り人形師が大小さまざまな生物を演じ、俳優の目線や3DCGのガイドになっていた。その情景そのものも舞台劇のような楽しさだった。

*2:現実とは異なる魔法だけの世界が存在することが示唆されているので、完全に現実が舞台のエブリデイマジックではない。