法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『知るを楽しむ 歴史に好奇心』「映画王国・京都 カツドウ屋の100年 中島貞夫」第2回 映画を変えた天才たち

〜「人情紙風船」が山中貞雄の遺作ではチトサビシイ。負け惜しみに非ず。〜
今回は、戦前映画黄金期が日中戦争で消え去るまでに現われた、さまざまな監督を紹介。わずかに現存するフィルムから部分的に見られるだけだが、それでも当時の作品が持っていた魅力が伝わってきた。


特に四国宇和島出身の伊藤大輔監督が興味深かった。
『長恨』で、主人公が寺の縁側に逃げこむ様は、現代的な立体感のある殺陣。手振れカメラの迫力も演出として効果を上げている。追いつめられて叫ぶ声に反応する遠き地の弟。追う者達の御用提灯だけがモノクロに光る波として浮かび、拡大縮小するサイレントの字幕が映像をもりあげる。
『忠次旅日記』三部作は、貧しい人々から取材した経験が内容にもりこまれている。老いて追いつめられてなお、刀を握りにらみつける大河内伝次郎の顔。


さらに紹介は『浪人街』『人情紙風船』と若手監督の作品群が続く。一方で満州事変から緊張感を高めていった時代は日中戦争へ突入、映画制作者も招集されていく。映画界がどれだけの豊穣さを誇ったかがわかっているだけに、そして現在ほとんど見れなくなっていると知らされているだけに、それを失わせた戦争にどれだけの意味があったのか考えさせられた。
番組で引用された従軍日記はエントリ冒頭で抜粋させてもらったが、山中貞雄監督は戦地で病死し、『人情紙風船』が遺作となっている。
番組は『人情紙風船』で側溝へ紙風船が落ちる結末になぞらえ、川を流れる紙風船を映して終わる。そこへかぶさる太平洋戦争開戦を告げる当時の音声。その寒々しさ。