法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

あまり書きたくなかった話

光市母子殺害事件において、死者を暴行したことから殺害目的の犯行だったという論理をよく見かける。一つの根拠として有力だろうし、妥当性もあるとは思う。
しかし暴行と殺害を等号で結びつけ、弁護側主張を論破した気になっている意見を見ると、違和感がぬぐえない。
http://d.hatena.ne.jp/legnum/20070702/1183355349

死体とセックスしておいて暴行する気がなかったという主張がありえない

戦争についての本を読んでいると、「普通」の人間が起こした「異常」な犯罪も、けして少なくない。日常的な虐待、性的な暴行、死体の玩具化、生存のためでない食人……
戦争という異常な状況下では、人は他人を物体として扱えるようになる。そして死体が簡単に手に入るという異様な状況なので、屍姦や食人を行う者が同時に人間を殺しているとは限らない*1


一方、私たちの住む日常ではどうだろう。日常は戦争と違うが、かといって全ての屍姦者や食人者は、常に同時に殺人者なのだろうか。
もちろん違う。
現代の日常で死という存在は隠されているが、消去されたわけではない。殺人と死体損壊は別個の事件だ*2


光市母子殺害事件においても、死者に性的暴行を犯しながら殺意はなかったという主張は形式論理的に成り立つ。
醤油が籠に飛び込んだので窃盗ではないという主張*3と違って物理的に不可能ではないし、心理的にもありえないとは言いきれない*4


戦争犯罪について興味が薄くても、本格推理小説をよく読む人ならば感覚的に同意するだろう。
もちろん推理小説はあくまで虚構にすぎないが*5、一繋がりと見える不可能犯罪を個々の要素に分解し、不可能性を崩していく感覚には慣れることができるかもしれない*6。怪しい人間が必ずしも犯人ではないという状況も、感覚的に慣れるだろうと考えられる。
虚構という第二の現実には、現実逃避以上の価値が存在するのだ。視点を広げるためにも、様々な物語に触れても良いのではないだろうか。

*1:一例として『ひかりごけ』の基となった事件。戦争を背景としながらも、裁判の進行を見ると日常とも繋がっている事件のようだ。

*2:「異常」な事件に限らずとも、身内の死を隠して年金を受け取っていた事件や、葬式の費用が出せなくて死体を放置していた事件といった貧困による問題。さらに俗な例で火事場泥棒などという単語もある。

*3:物理的にまず考えられない主張だが、橋下弁護士が裁判で展開したことがあるらしい。

*4:もちろん妥当性の程度は裁判所が判断するべきことだが。

*5:中には『秋吉事件』『三浦和義事件』といった冤罪ノンフィクションを推理小説的な手法で書いた、島田荘司という推理作家もいる。もちろん、社会派推理小説で代表されるように、現実の事件に題を取った推理小説も少なくない。

*6:たとえば、全ての登場人物が連続殺人にアリバイを持つ場合、殺人のいくつかが別人によるものであったり事故であったりする状況をよく見かける。