法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『天に還る舟』島田荘司/小島正樹

昭和の時代、秩父の渓谷にて起こされた残虐で異様な連続殺人事件。単に残酷な殺し方であるだけでなく、現場には奇妙な物品が残され、死体には様々な加工がほどこされていた。見立てられたのは漢詩か、それとも昔話か。
元軍人の老人達が次々に殺されていく謎に、たまたま休暇で立ち寄った中村刑事と海老原青年がいどむ。


島田荘司と小島正樹の共著による本格推理小説
かつて鮎川哲也賞で最終選考に残り、審査員だった島田荘司が改良案*1とともに推薦したものの落とされた作品と、粗筋が似ていると感じたが……確定した情報が見つからず、単なる私の思い込みかもしれない。
以下、ネタバレをふくむ感想。


まず欠点を挙げると、終盤までが小説として弱い。
状況説明ばかりで描写になってなく、一昔前の社会派推理小説を読んでいるような気持ちになる。童話っぽい語り口の事件描写も、個人的には効果を上げているとは感じられなかった。
中村が海老原を信用して捜査の協力を求める展開にも、全く説得力がない。ちょっとした推理力を海老原が披露するような場面すらなく、お人好しに中村が信用するだけ。
そもそも、海老原がきちんと真相を言い当てたのは一つの殺人だけだ。中村が休暇中に事件へ首を突っ込んだため協力者が必要だったのだとしても、現地の警官複数や図書館司書やタクシー運転手らから簡単に協力を得ているため、海老原の存在意義は極めて薄い。
終盤に友人が犯人扱いされてから、ようやく海老原というキャラクターに血が通うのだが、それならばいっそ犯人扱いされる場面を中盤以前に前倒しすれば良かった。事件へ素人が首を突っ込む動機が明確になるし、タイムリミットサスペンスの比率も増えただろう。
キャラクターの弱さは他も大同小異で、カメオ的に出演する吉敷が最も印象的なのは困ったところ。何より、元軍人の個性が薄いことが致命的。はっきりした印象の残る元軍人はせいぜい二人で、真相を容易に見破らせてしまう原因となってしまう。


しかし、殺人の真相はなかなか凄い。動機として選ばれた題材が重く、小説全体まで重厚なものに感じさせる。重苦しくも詩情あふれる回想場面は、島田荘司の真骨頂。
この真相は噂で知っていたのだが、ちょっと想定外の重さだったため、充分に意外性を感じた。考証も気づいた範囲では大きな誤りはなく、引いた資料が見当つくくらいしっかりしている。
そして、連続殺人の見立てられた理由が動機と密接に結びつき、かなり独自性ある真相になっている。知る限りでは、初めての見立てパターンだ。なるほど、この事件背景ならば異様な見立てが行われても奇妙ではない。いかにも島田荘司風の豪腕な殺人トリック*2が使用された動機にも繋がる。見立ての元ネタを探す中盤の展開が、この最後で活きた。

*1:選評を読むと、落選を決めていた他の審査員をうならせるほど魅力的な改良案だったらしい。

*2:ただし、個々の殺人トリックは、機械的だったり古典的だったりで、見当をつけることは難しくない。