法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『シン・ゴジラ』

東京湾で謎の噴出や水漏れが発生。日本政府は海底火山と判断するが、一般人の撮影した映像を見たひとりだけが巨大生物の可能性を主張する……


2016年に公開された最新の実写ゴジラ映画を、日曜洋画劇場で視聴。約2時間の本編から諸事情で5秒ほどだけカットされているらしい*1
映画『シン・ゴジラ』公式サイト
予告編に対する感想などは何度か書きつつ*2、上映後はあまり情報を入れないようにしていたが、話題作だけあって小さなネタバレをあちこちで目にして、どうしても先入観をもった状態で視聴した。


とりあえずの印象として、戦争映画や災害映画を模したような過去の怪獣映画と違って、警察映画の登場人物を政府官僚におきかえたような作品と感じられた。それもひとつの劇場型事件を追いかけて解決するタイプの。
まず事件の解決に向けて動く登場人物のみが舞台にいて、会話も事件の説明や論争だけが早口で語られる。台詞は芝居がかった紋切り型の表現が多い。一般市民は、事件の目撃者か、庇護されるべき大衆か、協力する民間の専門家しかいない。家族愛などの生活描写は、登場人物に最低限の人間らしさを付与する記号であり、それを捨てて解決に奉仕するための代償だ。
敵か味方しかいないシンプルな世界観も、政治より警察の物語らしさがある。野党との対立や論争が描かれないのもそうだ。そして、より大きな外部権力による圧力を受けつつ、かろうじて捜査関係者のみで事態が収拾する。
やがて物語が解決に動きはじめれば、短いコネクション描写や無償の善意描写をはさむだけで、計画を進める障害は難なく乗りこえられる。そもそも前例を確認していくだけの真面目な会議において、なぜか主人公ひとりだけ意外な真実に早くから感づいて主張することからして、警察映画ならば理解できる。
何より、怪獣描写の位置づけがそれらしい。警察映画はたとえ大規模なテロ事件などをあつかっても、戦争映画や災害映画よりVFX描写が少なくても成立するし、いくらか映像技術が稚拙でも登場人物の反応が真面目であればリアリティは損なわれない。傷の特殊メイクがなされず、安っぽい血糊がかけられているだけでも、観客は動かない俳優を死体と納得できるものだ。ゴジラが着ぐるみらしい質感の、必ずしもリアルとはいえない3DCGでも緊迫感が壊れなかったのは、そのおかげではないだろうか。


それでいて、けっこう特撮映画としての満足度もあった。とにかく怪獣がらみの構図がいいし、渋滞車両や避難民や廃墟に不足を感じさせず、逃げる群衆が笑顔に見えるような粗もない。
さらに怪獣の進行を明るいデイシーンではっきり描くという方針が嬉しい。数少ないナイトシーンも、逆光で浮かびあがる建築物のシルエットや、怪獣の発光や闇を切り裂く光線が映える、演出として必然性のある場面。怪獣映画感のある近年のハリウッド映画は、VFX技術では邦画を圧倒しているはずなのに、暗いナイトシーンの多さを残念に思うことが多かった。
3DCGを多用しているのは、川を遡上する水飛沫などが不自然にならないようにするためか。それでも壊れる建築物や、終盤のクライマックスで倒れるビル内部などでミニチュア特撮の見せ場も少なくない。


なお、最終的に主人公たちが成功させる作戦の絵としての説得力は高くはないが、ゴジラが帰ることなく緊張した関係がつづく結論は過去になく、たどりついた風景の新鮮さは評価できる。ここも警察映画の結末らしいと感じたので、物語の結末としても納得できる。それに見ながら『ゴジラの逆襲』を思い出したし、シリーズの他作品と比べれば極端に空想的とはいえない。
他に物語の流れで思い出したのが『ゴジラ×メカゴジラ』だ。正面からの強硬策が失敗しつつ、内閣の交代をへることで、再始動した作戦が成功するという展開が通じる。怪獣の肉体を機械化して兵器にするという設定や、都市の電力を利用する描写などで『新世紀エヴァンゲリオン』との類似性がよく指摘される作品だった。その元ネタの監督が総監督となった作品で、似た展開が選ばれたという関係がおもしろい。