法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

ラクガキをしてまで非人道政策を訴えなければならない心情を少しは考えよう

入国管理局がラクガキそのものを問題視していたわけではないことは、自身が「表現の自由」にふれていることや、ラクガキが選択的に消されたことから明らかだろう。


そして、そもそもラクガキの罪があるとして、国家的な非人道政策と相殺できるほど大きいはずがないことは共通理解されるべきだ。
チベット高僧に対する中国政府の規制に抗議、在インド中国大使館に突入 写真7枚 国際ニュース:AFPBB News


2007年10月10日、ニューデリー(New Delhi)の中国大使館で抗議活動を行い、スローガンを叫ぶ参加者ら。(c)AFP/RAVEENDRAN

念のために説明すると、これはインドにおいて亡命チベット人がおこなった大使館への抗議活動であり、インド警察によって制止された。

僧服を着たチベット僧をはじめ一部活動家の中には、大使館の旗柱に体をくくりつける者もあった。さらには 大使館の壁や正門に赤いスプレーで「Free Tibetチベットに自由を)」と落書きをする者もあり、インド警察に連行された。

この時、在外公館の建造物自体に批判を書き記す行為という、近辺で碑を建立すること*1に比べて激しい活動があったわけだ。


さて、このような抗議がおこなわれたからといって国際社会がチベットより中国を支持するようになっただろうか? なるべきだろうか?
チベット全体がウィーン条約を破ったと批判されて、相対的に中国当局が倫理的と評価されるようになっただろうか? なるべきだろうか?
そうではないはずだ。

*1:日本が勝利したというシナリオは破綻しても、あまり反省にはつながりそうにない件 - 法華狼の日記等で言及したように、日本政府はウィーン条約や日韓合意に無関係なはずの碑の建立をも止めようとしており、自身で建前を破綻させているわけだが。

民間人を大量虐殺する攻撃に正当性がないと主張できる人物が、同じツイートで大日本帝国の悪行に対して「悪の定義とは?」と主張する謎

conscript1942氏の古谷有希子氏に対する論評が、はてなブックマークを集めていた*1。しかし同じツイート内で善悪が恣意的に適用されていることの指摘が少ない。

悪い国(そもそも悪の定義とは?平和に対する罪?戦争犯罪?)であれば、その国に所属する民間人を問答無用で大量虐殺する事に正当性があると考えているジェンダー学者の世界観めっちゃ面白いな。「戦争に負けたらワイは死刑や」とぼやいてたルメイとかもあの世で頷いてそう。

念のため、原爆が投下された広島周辺は『この世界の片隅に』でも描かれてたように軍都であったが、大規模な都市攻撃の必然として民間人や捕虜を巻きこまざるをえないものだった。
たとえば米国による対イラク戦争のように*2、たとえ軍事体制に組みこまれていようとも民間人*3が攻撃に巻きこまれただけで大量虐殺とみなすべきという主張ならば同意できる。


しかし、引用されているツイートがスクリーンショットしている古谷氏の発言を見れば、「同等に低劣であるなら、正当性が無い日本の残虐行為の方が酷い」と、どちらも否定しつつの相対評価であって、原爆そのものを正当化する意図がないことは明らかだ。

絶対悪である日本を焼くための原爆投下には正当性があると訴える奴が出てきたと思ったら、また社会学系なのか。

慰安婦南京虐殺には何一つ正当性はありませんが、原爆投下には人類に対する暴力を振るった日本を一刻も早く止めるかつという正当性がありました。その点だけ取り上げても同列に語ることは不可能です。同等に低劣であるなら、正当性が無い日本の残虐行為の方が酷いということになります。

さらにスクリーンショットのツイートにつながる直前のやりとりを見れば、古谷氏のいう「正当化」が米国や韓国でそう認識されているという文脈ということがわかる。

韓国や米国では、日本で繰り返し強調されるような「広島長崎の原爆の悲惨さ」「被爆者の苦悩」は両国では全く理解されていません。原爆は正当化されているのです。我々にできるのはせめてもの理解を求めることであり「被爆者の気持ち考えろ」と批判することではないのです。

それでも絶対評価として戦争や虐殺を否定するために古谷氏を批判するならばわかるが、南京事件などに対して「そもそも悪の定義とは?」と主張する立場から批判しても虚しいだけだ。


ただひとつだけ、同日の古谷氏のツイートに激しい言葉があるのを見て、conscript1942氏が文脈を歪曲したくなるのも自然な流れではあるな、とは思った。

反日」なんて言葉使う奴は漏れ無く頭に蛆湧いたレイシスト

もともと私にとってのconscript1942氏は、日本軍慰安所制度の被害者を支援する団体に対して、「反日」と表現するような人物だった。

やはりこの慰安婦像騒動の勝ち組、韓国政府すら持て余してる跳ね上がりの反日市民団体だと思う。日本がどう反応しようとも、そして日韓関係がどう冷え込もうとも、彼等としては問題化して目立つほどおいしい。火が着いた時点で既に勝利が決まっている。まるでトランプのような必勝のポジション。

支援団体が政府よりも被害者によりそおうとすることは当然だろう。実際には支援団体が被害者より妥協しようとした局面すらある*4
conscript1942氏のような人物が日本軍に対してだけ「悪の定義とは?」と疑問を発することは、残念ながら本当は謎ではないのだ。

*1:はてなブックマーク - トイレスタンプ香りジェルさんのツイート: "https://t.co/YybTRszRT5 悪い国(そもそも悪の定義とは?平和に対する罪?戦争犯罪?)であれば、その国に所属する民間人を問答無用で大量虐殺する事に正当性があると考えているジェンダー学者の世界観めっちゃ面白いな。「戦争に負けたらワイは死刑や」とぼやいてたルメイとかもあの世で頷いてそう。"

*2:ただし「民間人を問答無用で大量虐殺」という部分のみで原爆投下を批判する場合、その戦争において戦端をひらいた側や、開戦の根拠となった根拠の妥当性を考慮すると、対イラク戦争は対日戦争より正当性がないことになるだろう。原爆が批判されるのは、民間人への大量虐殺にとどまらない文脈がいくつかある。

*3:そうした軍事国家がしばしば反民主的であり、むしろ軍事体制に組みこまれることが国民の権利の剥奪に直結していることも、民間人の責任について考慮すべきところだろう。

*4:日韓合意を元慰安婦が受けいれたという結論なら、現在のNHKでも韓国外務省の調査を事実として報じられるらしい - 法華狼の日記のナヌムの家の紹介を参照。

TVアニメ『ドラえもん』の「ことばきんしマーカー」を賞賛する記事に、いくつかの賛同と疑問

その物語は、日本エレキテル連合流行語大賞を思わせる「ダメ」を連呼するピアノ指導者から、しずちゃんのび太が守ろうとすることに始まる。
それをライターの荒井禎雄氏が「言葉狩り」を風刺した物語として、賞賛していた。
息子が見ていたTV版ドラえもんのお話が的確かつ鋭利すぎて……|荒井禎雄|note

先日見ていたお話の内容がとても鋭く、「オトナにこそ広めたい内容」だった。

2014年1月31日放送「ことばきんしマーカー」
https://www.tv-asahi.co.jp/doraemon/story/0354/

最初に私の感想を書いておくと、たしかにアニメオリジナルストーリーのなかで完成度の高い部類に入る。
『ドラえもん』地球脱出計画/ことばきんしマーカー - 法華狼の日記

マーカーで赤線を引いた言葉を使うと雷が落ちてくるという秘密道具が登場。原作に出てくる「十戒石版」のアレンジといったところか。最初は善意でルールを強要していきながら、徐々にルールが自己目的化して自滅するというパターン。

しかし言葉を禁じる道具ゆえに、言葉面だけ整えて皮肉で応じたり、ついには口をきかなくなるという展開はオリジナリティがあって面白い。頭ごなしに否定する発言まで教育的と擁護するかのような部分は気にかかったが、ポイントではないので目をつぶれる範囲。

当時に書いたように、のび太の善意で始まり暴走するという定番を、アニメオリジナルの秘密道具でていねいになぞっていた。
原型的な短編「十戒石版」もあるが、後半から大きく展開を変えていて、異なる味わいが生まれていた。


ただ、荒井氏は定番部分を賞賛しているのだが、そこは作品を見なれた視聴者には、さほど加点できるところではない。

何よりリアルで怖いなと感じるのが、当初の動機こそ「しずかのため」であったが、すぐに「のび太の感情」が全ての価値基準となった点だ。

子供向けに教訓をこめやすいためか、しっぺ返し展開は一時期に多用されすぎて見飽きている。原作後期にはパターンに自覚的な描写もあるくらいだ。
前後して荒井氏が「白眉」と評しているように、やはりジャイアンスネ夫が褒め殺しを始める場面こそが「ことばきんしマーカー」の見どころだろう。

この回のシナリオで白眉だと感じるのは、ジャイアンスネ夫の煽りを受けて、のび太が「誉める言葉すら禁止ワードにしてしまった」事だ。

もちろんこれは「言葉狩り」の一側面をとらえた風刺であろう。同時に、どのような言葉でも意図や文脈によって侮辱や差別となることの風刺と読みとれる。


だからこそ、規制がきわまった後のジャイアンスネ夫の行動を、荒井氏が「対処法」と表現したことには、いささか解釈の違いを感じざるをえない。

後半に差し掛かると、ジャイアンスネ夫のび太に対して更なる対処法を見せ付ける。街の惨状を見て凹んだのび太が、自ら2人に寄って行ったところ、完全に無視。去り際に「余計な事を言うと雷が落ちて来るから、もうお前とは話さない」と吐いて捨てる。

ジャイアンスネ夫は、のび太が言葉の不自由さから孤独になることまで意図して褒め殺しをおこなったのだろうか? そうは思えない。
意図して言葉を不自由にしたなら、去っていくふたりはもっと嘲笑的な表情をするのではないだろうか。
のび太は先にコミュニケーションが失われた街を見ている*1。ふたりが去ったのも街の惨状の延長であり、特異な個人攻撃ではない。
そもそも、ふたりは褒め殺しをした時に笑いながら去っており、のび太が誉め言葉まで規制する場面は見ていない。
ジャイアンスネ夫が愉快犯として規制を煽った結果、ふたりも望まない領域まで言葉をしばられた……そういう顛末に私には見えた。
逆にジャイアンスネ夫の視点の物語ならば、のび太をからかいすぎた反省が描かれてもおかしくないところだ。


作品全体についても、原作者らしさが失われていないと荒井氏は評しているが、しっぺ返し構成は定番として飽きられたためか減っている印象がある。

風刺の効いたブラックな話をやってるんだなあと、藤子不二雄作品の何たるかが失われていない事に感動してしまった。

実のところ、風刺性の強いアニメオリジナルストーリーそのものが少なくなっている。どちらかといえば、既存の秘密道具をくみあわせた冒険譚が多く、教訓的なエピソードより完成度が高い印象がある。
もちろん、2005年以降の『ドラえもん』のアニメオリジナルストーリーで風刺のきいたエピソードがないわけでもない。のび太が反社系ブラック企業をたちあげる「のび太社長になる」*2や、自然に対する距離感の難しさを描いた「しずかちゃんとおじいの木」*3あたりは印象深い。
原作のあるエピソードでは、2017年のスタッフリニューアルSPに選ばれて、憲兵を挑発する場面をそのまま映像化し、インターネットの一部で反発が巻き起こった「ぞうとおじさん」*4や、自由と制限をめぐるアニメオリジナル描写が興味深い「ポータブル国会」*5などがあった。


最後に、『ドラえもん』への賛否を見てきたひとりとして、荒井氏が仮想敵にしている「偽フェミ」とはいったい何なのか疑問がある。

ジブリドラえもんのような作品を「素晴らしいアニメの代表」として引き合いに出す偽フェミ一味だが、こんな話があると知ったらドラえもんすら攻撃対象にするのではないかと思ったのだ。

昔から『ドラえもん』は欲望に甘い児童向け作品として、教育的な観点からは批判されやすいし、フェミニズムからの批判も少なくない作品だ。
特に、都合のいい女性と結婚させるためドラえもんが来たという根幹設定は、原作が時代をへるごとに劇中でもエクスキューズが入っていった。
『STAND BY ME ドラえもん』 - 法華狼の日記

連載をかさねるにつれ、人の心をあやつる問題が何度となく批判されるようになり、望まぬ結婚相手だったジャイ子をフォローする描写も増えていった。結婚相手が望む相手のしずちゃんに変わった原因も、のび太の成長によるものというより、のび太の愚かしさが哀れみを受けたという要素が大きい。

やがて原作者は新作『チンプイ』の根幹で、『ドラえもん』を反転する。それは王子との結婚をせまる異星人が、拒否する少女の人格に好感をもって同居するという設定だ。

藤子・F・不二雄大全集 チンプイ (1)

藤子・F・不二雄大全集 チンプイ (1)

ついでに、同じスタジオジブリ制作といっても、宮崎駿作品と高畑勲作品では作風も社会派テーマのあつかいも全く異なっていて、フェミニズムにおける評価を同じ水準で考えるべきではあるまい。
たしかに高畑作品は『おもひでぽろぽろ』『かぐや姫の物語』等で意識的にフェミニズムをとりこんでいると思うが、宮崎作品はリビドーが優先されていて必ずしもフェミニズムの評価は高くない印象がある。“宮崎ヒロインはトイレに行かなそう”という批判を受けて『魔女の宅急便』でヒロインが便器に座るポスターを考えたり、あえてヒロインを原案における美少女デザインから変えた『千と千尋の神隠し』のように、意識してエクスキューズを入れることで、強くは批判されないという感じだろう。

韓国で原爆を肯定することと、日本で慰安婦を侮辱することは対等ではない

韓国の少年アイドルグループBTSが日本の音楽番組に出演することについて、サイゾー系のWEBメディア記事が注目を集めていた。
韓国BTS(防弾少年団)がMステ出演に「反日」批判殺到。 原爆T事件最悪で、韓流アイドル「消滅」か | GJ
グループメンバーのひとりが、かつて着用していたTシャツに、原爆を肯定する表象が描かれていたという。
そのことと先日の韓国における徴用工への賠償を命じる確定判決を、日韓関係の悪化として関連づけている。


はてなブックマークを見ると、比喩的に慰安婦を侮辱する仮定をもちだすコメントが複数ある。
はてなブックマーク - 韓国BTS(防弾少年団)がMステ出演に「反日」批判殺到。 原爆T事件最悪で、韓流アイドル「消滅」か | GJ

id:kojitadokoro もし日本のアイドルが慰安婦を侮辱するようなTシャツを着て韓国のTV番組に出ていたら……。それと同じかそれ以上に酷いって考えるとクソさがわかりそうなもんだが

id:marilyn-yasu 反対にしたら「従軍慰安婦が犯されてる絵に日本国民が万歳してるTシャツを日本人グループが着てた」になるかな?これを擁護できる人なら『感情的』『揚げ足取り』って感想もやむなしか。

id:tya_ko_suke 乞食徴用工、乞食慰安婦、乞食南朝鮮とか書いたTシャツ着て日本のアイドルが韓国いったらどうなるか、想像に難しくない。

id:frothmouth ”もし日本のアイドルが慰安婦を侮辱するようなTシャツを着て韓国のTV番組に出ていたら……”

もちろん比喩とは、違うものから似ているところを抽出して理解を助けるためのものだ。
だからこそ、何が違っていて何が同じなのかを把握しなければ的外れになる。


ここで、何度か引用した「ヒロシマというとき」という詩を、あらためて紹介しておく。

ヒロシマ〉といえば

〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは

返ってこない

アジアの国々の死者たちや無告の民が

いっせいに犯されたものの怒りを

噴き出すのだ

書いたのは、自身も被爆者である栗原貞子氏。被爆者として外国で活動した経験にもとづいているという。
そして詩は下記のようなくだりでしめくくられる。

やさしいこたえが

かえって来るためには

わたしたちは

わたしたちの汚れた手を

きよめねばならない

やさしいこたえを願うのならば、まずは詩のように自らの手を見つめなければなるまい。
被害者との和解すら加害国として反発しながら、手が汚れていないなどということはできない。

『フェイクニュース あるいはどこか遠くの戦争の話』後編

脚本家の野木亜紀子による完全オリジナルストーリー。女性記者の職場に取材対象者があらわれ、自身のツイートは真実だとうったえる。そこで女性記者は状況証拠をかためて因縁の知事候補者へ突撃するが……



50分枠の前後編で放映されたNHK土曜ドラマ。木曜早朝の再放送で視聴した。
フェイクニュース | NHK 土曜ドラマ
前回の結末は、監修予定だったid:hagex*1が刺殺された事件を連想させた。もちろんドラマでは心情をぶつけあうことで情報が共有され、真実に近づくことになる。
今回は、さまざまな動機でさまざまな人間がフェイクニュースを広めていることが描かれる。印象的だったのは小遣い稼ぎのため複数ブログを運営する主婦で、手間をかけて異物混入を偽装しながら、最高額に達したというアフィリエイトが5000円以下。偽りを売っても、私の平凡な感想ブログの最高収入より低い設定でしかない貧しさ。


しかし物語が進むと、前回ではミスディレクションに騙されなかった主人公が*2、ずっとひとつの嘘に騙されていたことが明らかになる。嘘の舞台はインターネットばかりではないし、嘘をつくのは匿名の悪人ばかりではない。
ここで主人公を騙す動機そのものが目新しくてミステリとして面白いし*3、そうして騙したことに何の意味もなくなる展開も皮肉でいい。
主人公以外でも、劇中の平凡な一般人がナチュラルに外国人への蔑視を語ったり、過去の野放図を反省した人物が一転してブロッキングを推進したりと、いくつもの人間の多面性を描いていく。
最終的に主人公たちがつかんで公開した事実が「フェイクニュース」あつかいされる描写も気がきいている。「フェイクニュース」が流される問題だけでなく、「フェイクニュース」という評価が間違っている問題もとりこんで、ドラマはわだかまりを残して終わる。


実のところ、さまざまな論点がつぎつぎに登場しすぎて、終盤がとっちらかった印象はある。最終回でのさまざまな人物の顛末も、やや極端すぎないかと感じた。
とはいえ、一種の謎解きミステリとして一本の筋がとおっていて、娯楽としての落としどころまで示されたので、視聴後の満足感はある。続編は難しいだろうが、女性記者の出向しているWEBメディアを舞台とした連続ドラマを見たいと思うほどだった。
デモ隊の大規模な衝突や、さまざまなフェイクニュースの舞台など、あくまでTVドラマの撮りかたではあるが、映像に力を入れているのもいい。北川景子がセーラーマーズを演じていたことを思い出させる女性記者のアクションなども楽しかった。

*1:Hagex-day.infoを読んでくださっている皆様へ - Hagex-day info

*2:『フェイクニュース あるいはどこか遠くの戦争の話』前編 - 法華狼の日記

*3:厳密には主人公が脇役であれば、けっこうありふれた騙しではある。名探偵役なはずの主人公が別の名探偵にとっては脇役だ、という視点の転換によって目新しさが生まれている。