法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『機動戦士ガンダム 水星の魔女』第19話 一番じゃないやり方

 地球側の代表と話をつけて総裁選へのはずみをつけようと、ミオリネ・レンブランはグエル・ジェタークとともに地球へ降りる。しかしグエルが地球で過去に出会った少年を追いかけてしまい、ミオリネは代表団とひとりでわたりあうことになった。一方、ふさぎこんでいたスレッタ・マーキュリーは地球寮のみんなにひっぱりだされる……


 エレベーターで地上へ少しずつ近づいていく風景が目を引いた。既存のモデルかもしれないが、小さく見える建物ひとつひとつが3DCGで立体的に、実在感をもつよう描写されている。これから主人公のひとりミオリネが対峙する世界が、平面的な書き割りではないことを地味に表現できていた。
 設定説明よりも展開の速さで興味を引いてきたアニメらしく、今回初登場の地球側代表にキャラクターの厚みは感じられなかったが、対するミオリネの良さと悪さには一貫性が感じられた。ミオリネは階級が下の相手であっても、必要と思えば頭をさげることができるし、実際の利益をさしだすこともできる。しかしそれを相手に信用してもらえる立場も実績もまだない。
 株式会社ガンダムへの投資をうったえた第7話*1と同じ構図で、しかし今度は父親の支援もなく単身で向きあい、一定の妥協をひきだすことができた。これはミオリネの成長のドラマというだけでなく、多くの行方不明者を出しながら抑制的にふるまう地球側の立場も暗示している。
 ドラマをとおしてキャラクターをかたちづくり、設定は説明不足でも物語の基礎になる世界観は確固としている。『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』の、1期をとおしてマクガフィンとして出番があったクーデリア・藍那・バーンスタインが、エピソードごとにキャラクターがぶれた問題と対照的だ。
『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』第23話 最後の嘘/第24話 未来の報酬/第25話 鉄華団 - 法華狼の日記

終盤に覚悟を決めるまではクーデリアというメインキャラクターの位置づけがはっきりせず、それが世界観を根本からあやふやにしていた。

まったく世間知らずな理想家なのか、革命の象徴になる覚悟だけはあるのか、陰謀の手段としてつかわれた人形なのか、自他の認識がエピソードごとに混乱しつづけた。


 そのようなミオリネのひとりだちのドラマを描くためグエルを退場させたのは少し無茶を感じたし、グエルがミオリネのもとに帰れなくなる理由としてシャディクの調査を開始する描写などを挿入しても良かったとは思うが、あくまで背伸びせざるをえない子供たちとして描いてきたから説明はつく。学園アニメとして出発したことが地味に効いている。
 一方、学園では裏切ったニカという1期最終回から現在まで放置していた問題を、誰かのために裏切るしかないことがあるとスレッタに理解させる。そうして話が収束にむかいはじめたかに見えて、プロスペラがシャディクよりも先に動いて事態を混沌とさせる。ミオリネがひとりで交渉に成功したからこそ挫折が印象深い。

『ドラえもん』ぐうたら感謝の日/しずかちゃんの心の秘密

ぐうたら感謝の日」は、6月に日曜と土曜以外の休みがないことを悲しむのび太に対して、秘密道具で祝日をつくることをドラえもんが提案する。さっそく2日を誰も働いてはいけない祝日にするが……
 前期原作「ぐうたらの日」を斉藤光という謎のコンテマンで、劇中の創作祝日を前にしてアニメ化。2006年に安藤敏彦コンテ演出で原作と同タイトルでアニメ化ずみ。
 もし労働を法律で禁じていたら……というIFにもとづくナンセンスな社会風刺SFだった原作を、魅力そのままに映像化。社会が決めないと休むことができない日本人の傾向が原作の描かれた時代から変わっていないことも痛感する。そこで商店街のシャッターぶりを強調するアレンジをしていたが、せっかくならコンビニエンスストアが閉まっている描写を足せば、もっと変わった社会の異様さがつたわったかもしれない。
 さらに自分でスイッチを切ったドラえもんが白目になったり、のび太がスイッチを入れたドラえもんが目ざめる描写を少し長くしたり、今回はドラえもんのロボットぶりを強調するアレンジが多い。その無機質な人外ぶりが、休日を増やすようのび太を無責任にそそのかす発端から、あわてる群集に口先だけで他人事のように謝る結末まで、今回のドラえもんの態度にあっている。


「しずかちゃんの心の秘密」は、しずちゃんの誕生日プレゼントをのび太が悩んでいた。そこで秘密道具で隠された本音を知ろうとして、さらにライバルが考えているプレゼントも調べるが……
 しずちゃんの誕生日の5月説にあわせるように、中期原作「しずちゃんの心の秘密」*1を、小倉宏文監督コンテで映像化。今回と同じサブタイトルで2007年に腰繁男コンテ演出でアニメ化ずみ。
 止め絵演出はつかってないが、小倉コンテ回らしくイメージBGは複数回使用。秘密道具を出す時しかつかわなかった時代が印象にのこっているので、あまり『ドラえもん』らしく感じない。とはいえ今回は控えめだったので許容はできた。しずちゃんが激怒する決定的な場面は原作と同じく描写せず、悩みながら去っていくのび太ドラえもんの後ろ姿でしめくくるところは良い。
 物語は基本的に原作に忠実で、途中のアンケートで間違ってジャイアンの好物を聞いてしまうアニメオリジナル描写があるくらい。しかしあらためて見ると他人の背後から髪の毛だけ取る秘密道具「カミぬきミラー」の用途限定ぶりがひどい。髪の毛が必要な秘密道具群のオプション的な秘密道具と思うべきか。しかし今回のアニメオリジナルで、落ちこんだのび太が指先をグルグルまわす時、机や床ではなく、秘密道具をつかってドラえもんの後頭部でグルグルまわす描写に笑った。情景のシュールさが楽しいし、ドラえもんに髪の毛がなくそもそもロボットで遺伝情報を獲得する意味がないことで二重に笑える。

*1:原作では「しずちゃん」、アニメでは「しずかちゃん」とのび太の呼びかたが変わるため。私は引用以外はアニメの呼称も原作と同じにしているが、テレビ朝日サイトを見ると原作サブタイトルで厳密にはミスをしている。 www.tv-asahi.co.jp

「略式軍服」という言葉の使用例は、国立国会図書館デジタルコレクションの全文検索では33件

 ウクライナ大統領のウォロディミル・ゼレンスキー氏の服装が「略式軍服」とインターネットで位置づけられた経緯について、「人間ジェネリック@DividedSelf_94」氏が調査していた。
ゼレンスキーは「略式軍服」を着たのか?|ヒト

最初に、ウクライナ侵攻が起きる2022年以前から2010年までを遡って「略式軍服」でグーグル検索をかけてみる。やはりない。 
ウクライナ侵攻前には誰も「略式軍服」という言葉を使っていなかったのだ。

 ゼレンスキー氏が礼をつくしているという反論のため「略式軍服」という概念が広まったが、そのような言葉の用例はほとんど見つからず、服装自体も民間で購入できる作業服にワッペンをつけただけらしい。
 もちろん、その服装はウクライナがロシアの侵略にさらされつづけていることの象徴として意味があることも「人間ジェネリック@DividedSelf_94」氏は指摘している。

ゼレンスキーのあのパーカー姿は、国際社会の、なによりウクライナ市民の求める「空気」を立派に体現している。


 それでも「人間ジェネリック@DividedSelf_94」氏はGoogleTwitterを検索しただけなので、専門的につかわれている事例がないとは断言できないところがある。
 そこで屋上屋をかさねるつもりで国立国会図書館デジタルコレクションの全文検索機能をつかってみたところ、わずか33件が引っかかっただけ*1
国立国会図書館デジタルコレクション
 どう見ても定着した言葉や概念ではない。ほとんどが翻訳で採用された言葉だったり、あくまで「略式の軍服」という意味の表現にすぎない。同一作品の重複も多い。
 新しい用例は1975年の雑誌『現代』と1984年の雑誌『ミステリマガジン』で確認できるだけ。念のため、書籍や雑誌が全文検索できるのは20世紀くらいまでで、21世紀以降は電子書籍や論文ばかりとはいえ、定着した言葉とは考えづらい。
 やはり「人間ジェネリック@DividedSelf_94」氏がしらべたように、反論のために生まれた概念がコピペのように広められたと考えて良さそうだ。

*1:ちなみに、実在しない言葉のようにインターネットの一部であつかわれていた「強制募集」は667件引っかかる。 hokke-ookami.hatenablog.com

『貞子』

 アパートの一角で、幼い少女が母親に監禁されていた。思いつめた母親の行動が、悲惨な事件につながる。一方、心理カウンセラーの秋川茉優は、つとめている病院で奇妙になれなれしい中年女性の相手をしていた。少女と中年女性には、「貞子」という呪われた共通項があった……


 鈴木光司の『リング』シリーズ短編を原案とする、2019年の日本映画。十数年ぶりに『リング』*1中田秀夫監督がシリーズに復帰した。

 消費されきったシリーズで、オリジンの監督を呼んでシリアスなホラー映画らしさをとりもどそうとしたのか。そう思って、深夜におそるおそる鑑賞したのだが……ただ進歩のない描写を工夫なくならべる、刺激が弱いだけの凡作だった。
 構図もカット割りの呼吸も緊張感がない。回想で使われる『リング2』の映像と比べた時、恐怖描写の演出力が落ちていることがよくわかる。


 現代らしくYOUTUBERが都市伝説の場所に踏みこみ、それが呪いの映像として拡散されるのだが、呪われるルールが最後までよくわからない*2。何万回も再生されて多数が視聴したはずなのに、その影響で大量死が起きたらしい描写がどこにもない。呪われる範囲はYUTUBERだった主人公の弟と、それを助けようと奔走した主人公だけ。弟がたよったアドバイザーの男は呪いにかかわりながら劇中では死なないし、ライバルのYOUTUBERも呪いの映像が混入するだけで顛末は描かれない。
 その呪いの配信映像は悪くないが、劇中映像の見せかたが良くない。燃えたマンションの一角に潜入する主人公の弟を自撮りで見せていくのだが、せっかく燃えた一角のセットを大がかりにリアルにつくって、弟の俳優の一人芝居も悪くないのに、無言で視聴する主人公のアップショットが何度も挿入されて恐怖が寸断される。この時点の主人公は呪いへの恐怖は強くもっていないので、淡々と視聴するだけの姿に面白味がない。そこから主人公が映像を何度も再生して手がかりをさがしていく展開は悪くないが、ならばいったん配信映像をワンカットで映してモキュメンタリーのような恐怖を演出してから、気になったところだけ再生しなおす描写で良かっただろう。
 また、呪いの配信映像の撮影場所が炎上する前には、貞子の生まれ変わりとされる幼い超能力少女が監禁されていたのだが、物語がとっちらかる要因にしかなっていない。孤独に育った人間として主人公と共感したりはするが、少女自身がさまざまな恐怖に直面する法則がよくわからないし、途中からずっと病院にいるため遠くまで弟をさがしにいく主人公とかかわらなくなってしまう。呪いの源流でとってつけたように姿をあらわすが、主人公へ敵意がないので危機感がないし、弟を救うサスペンスのノイズでしかない。


 何より、『リング』にあった良さの多くが欠けていた。呪いの法則がはっきりしないのでタイムリミットサスペンスが機能しないし、呪いの原因らしきものが複数あるので謎を解いてもドラマが収束しない。貞子の描写はつかいふるされたパターンばかりで新たな恐怖のアイデアがない。クライマックスの巨大洞窟で広大なセットをつくっているのに、地面が平坦でセットにしか見えない。結末のツイストが平凡なパターンでしかなく、意外性と納得感が両立していた原点の良さがない。
 何にしても全体として恐怖描写が少なく弱く、メインキャラクターの切迫感も弱いため、弛緩した場面が多いところが単純に娯楽として弱かった。くらべると、同じように一時代をきずきながら近年は自己模倣と劣化がはげしい清水崇監督だが、少なくとも新シリーズ1作目『犬鳴村』*3は以前のようにサービス過剰ゆえに、失敗した描写も多いが成功した描写も多く、見ている間はそこそこ楽しめたものだ。

*1:hokke-ookami.hatenablog.com

*2:映画の予告を見ると、今回は見るのではなく撮ることで呪われるというテロップがついていたので、都市伝説を撮影した主人公の弟だけが呪われて、それを助けにいった主人公が余波で呪われたと考えるべきか。

*3:hokke-ookami.hatenablog.com

『X エックス』

 地の龍と天の龍、それぞれ7人。地球の存亡をかけて、さまざまな能力をもつ少年少女や青年たちが東京を舞台に戦うことになる。


 CLAMPの同名漫画を原作にして、川尻善昭監督、マッドハウス制作で2001年にTVアニメ化。1996年の劇場版*1を手がけたりんたろう監督もOPEDにクレジット。

 前半は監督が連続で脚本を担当して、絵コンテも序盤は連続で切っているので、かなり川尻濃度が濃い。意外と作画枚数はつかわず、止めと動きのメリハリと撮影素材で豪華に見せるだけで、当時のマッドハウスらしい画面を作っている。デジタル撮影を活用した空間の奥行きを感じさせるカメラワークも魅力的。
 しかし世紀末の印象を残しつつヒリついた空気が流れるのは序盤までで、すぐにCLAMPらしい世界と恋愛の単純な二択をせまる物語になっていく。丁というキャラクターの暗躍が判明した場面では序盤の描写が伏線としてひろわれるので、監督の手をはなれたわけではないとは思うが。
 WOWOWノンスクランブル放送作品にしては作画も弱い。5年前の劇場版にかなわないのはしかたないとしても、マッドハウスのトップクリエイターをメインスタッフに集めているのに、後半は当時の深夜アニメの水準レベル。さすがに最終回などはちょっと良かったが、同時代のサンライズOLMには劣っている。

*1:当時のリアルな東京を舞台にひたすら破壊がくりひろげられる映像作品としては見ごたえがあった。物語については、良くも悪くも結末の台詞に心底から同意できる内容だった。