法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『BS世界のドキュメンタリー』権力と闘う あるロシアTV局の軌跡

 本放送はウクライナ侵攻後の2022年で、録画で視聴した。元はBBCが制作したドキュメンタリ『F@ck This Job』で、元が44分なのでノーカット放送だろう。
www.nhk.jp
 プーチン政権が2期目に入り、景気は好調で政治への興味が薄れていた2008年のロシアで、ひとりの女性が独立系放送局をつくろうとする。支援するのは投資家の夫で、ドシチと名づけた放送局の姿勢はポジティブで、イメージカラーはピンクというバブリーぶり。
 しかしちょうど世界的な不況に見舞われ、予定していた景気のいいビル街に入ることができず、無機質な建物から素人まるだしでスタートすることになった……


 世界的な不況とリンクすることにはじまり、日本の現代史と重ねあわせながら視聴することになった。
 国営か政府傘下におさまった主要放送局とちがって、ドシチがリアルタイムで詳細に報じて注目されたドモジェドボ空港爆破事件も、2011年1月に発生した。東日本大震災の直前だ。
 ロシアの同性愛宣伝禁止法も、当事者がスタッフに多いというドシチにとって重要な出来事だった。ロシアでは珍しいゲイのジャーナリストとして公的にカミングアウトしたスタッフを、オーナー夫妻が抱きしめる。


 富裕層にとっての好景気も権威主義政権も人々を政治から興味を失わせる。ドシチの女性オーナーも当初はそのような人物という印象で、他が報じない事件や強烈な風刺を放送するのも話題作りの一環に見える。
 しかし立場が人をつくるように、政府に圧力をかけられつづけて建物も追い出されたドシチは、自由な活動を維持することに一丸となっていく。
 投資家の夫は豪邸を売りに出し、取材でも局内でも圧力をうけつづけながら、雨の降る屋上で女性オーナーがひとり踊る。その姿に「雨のなか、傘をささずに踊る人間がいてもいい。自由とはそういうことだ」というアニメの台詞を思い出す。ドシチはロシア語で雨のことだ。

 1億人以上の国民に対して、たかだか数万人の有料会員に向けた放送局が社会を変えることはできないとドシチのスタッフは認める。しかし国家に抵抗しているのは貴方だけではないと視聴者につたえる意味はある。
 ドキュメンタリはウクライナ侵攻後の6日後に当局によってドシチが閉鎖されたところで終わったが、その後はラトビアやオランダに移転して、インターネット発信に切りかえて活動をつづけている。
news.yahoo.co.jp

『劇場版 バリバリ伝説』

 バイクで峠をつっきる公道レースをおこなっていた巨摩郡の前に、冷静なレース運びをする聖秀吉というライバルがあらわれる。ふたりの少年の危険な野良レースは、やがて鈴鹿を舞台とした公式レースに舞台を移していく……


 1986年に発売された中編OVA「筑波編」「鈴鹿編」全2巻を編集して1987年に公開されたバイクレースアニメ。OVAもふくめて一度もDVD化されていなかったが、ついに2023年7月にBlu-rayが発売予定。

 しげの秀一の原作は未読だが、メカニック作画が当時としてはハイレベルでリアルなことと比べて、キャラクター作画の頭身が低くて漫画チックなのが不思議だった。特にヒロインが少女漫画から飛び出たようなキラキラぶりで世界観から浮いている。それでいて違法な公道レースをバイクでおこなう世界観らしく、身勝手な理由でサブヒロインへレイプがおこなわれようとして、その実行犯に対する主人公の鷹揚な態度はちょっと信じられない。そのレイプ問題は前半終わりの一幕でしかなく、後半のバイクレースにかけるスポーツマン的なドラマと温度差がありすぎる。これは無軌道な少年たちと競技にかける少年たち、そのふたつの物語にわかれていたOVAを単純にくっつけた弊害が出たのだろう。
 しかしバイクを動かすアニメとしては魅力的ではあった。まだまだデジタル技術が一般的ではなく、背景を動かす技術などない時代、手描き作画でキャラクター以外の地面や風景まで動かす精緻な背景動画を見せてくれる。その動きも単純な直線ではなく、うねった峠道にあわせた主観的なカメラワークが楽しめる。さすがに映像を使いまわす省力はしているし、音響関係は時代性の弱さを感じたものの、手描き時代のレースアニメとしての見どころは充実していた。

『機動戦士ガンダム 水星の魔女』第18話 空っぽな私たち

 ミオリネ・レンブランにつきはなされたスレッタ・マーキュリーだが、むしろ地球寮で元気いっぱいにやりたいことをひとつひとつかなえていた。しかしふたたびガンダムエアリアルに搭乗しようとした時、さらに多くの存在からつきはなされる……


 一気に各所で情報が共有されて対立のための対立が緩和され、状況が整理されていく。一方でスレッタだけは求めていた相手から切りはなされていく。大河内一楼と米山昂の共同脚本で、残り半クールとなった物語をまとめつつ、スレッタの乗りこえるべき課題を整理し一本化していった。
 まるでスレッタを本心から思いやって自由にさせたいかのような独白が入ったので、そのまま母プロスペラ・マーキュリーが許されそうな不安が少しある。物語においてベルメリア・ウィンストンのような無自覚な加害は嫌悪感をもたらしやすいが、自覚して加害すればいいわけではない。
 自由にさせるためつきはなすこと自体は前回*1のミオリネと同じではあるが、手段を選べたかどうかの違いは大きいし、別の目的のため依存させたプロスペラが今さらスレッタの依存をやめさせてもマッチポンプでしかない。そもそもプロスペラの台詞は単純な独白ではなく、語りかける対象としてエアリアルが想定されている。

『ひろがるスカイ!プリキュア』第16話 えるたろう一座のおに退治

 エルを守って、スカイランドからソラシド市に避難してきたソラ・ハレワタールたち。虹ヶ丘ヨヨによると、プリキュアが敵を浄化する時のキラキラエナジーを集めればエルの両親の呪いをとく薬ができるという。
 それはそれとして、再会できた両親を再び失ったエルをなぐさめようと、聖あげはは人形劇を提案する。ハレワタールがヒーローらしさを感じて、エルも興味をもった「ももたろう」の劇に決まったが……


 今作に初参加の伊藤睦美脚本、小村敏明コンテ。悲劇を解消するため戦闘後に新アイテム描写を追加しつつも、本筋は悲劇をはねかえそうとする息抜きと、アンダーグ帝国の設定説明。
 けっこう色々なことをひとつのエピソードにつめこんで説明不足になっていないのは良かった。劇中劇の「えるたろう」がプリキュアとバッタモンダーとの戦いに重なって、エルをなぐさめるつもりでエルに精神的に救われた結末になったのは工夫されていた。日本の昔話を知らないハレワタールのため説明するイメージシーンで、絵本のような彩色のままアニメーションとして動かした描写も珍しくて目を引いた。
 しかし、あいかわらず少人数の同じキャラクターでドラマをまわしているだけなので工夫のわりに物語や映像に新鮮味がない。前回までのスカイランドへ舞台を変えた時期は複数の名前のあるキャラクターが個性的にエピソードをいろどったので、変化がついたものだが……アクションもカット割りこそ細かいが同じ姿勢のまま敵に突進するような工夫のないカットが多い。対する敵ランボーグも鬼モチーフでありながら光弾を無数に発射する戦闘スタイルを選んで、せっかくの巨体と金棒をつかった肉弾戦を楽しませてくれない。

『ドラえもん』そのときどこにいた/シャラガム

 今回は前後とも原作者没後の単行本プラス第3巻に収録し、ベガエンタテイメント制作版の『バビル2世』で監督をつとめた牛草健が演出として初参加。


「そのときどこにいた」は、のび太が部屋からボールをもって飛び出たところ、階段下にボールを落として居間をメチャクチャにしてしまう。秘密道具で状態を回復することはできたが……
 2005年リニューアル以降で初アニメ化。1989年版でコンテ演出を担当したパクキョンスンが今回もコンテを担当。珍しいことに作画監督も原画も外国人らしきスタッフ名がならぶ。
 しかし描きなれないためか絵柄こそ不安定だが、よく動かしていてアニメーションとしては悪くない。物品や人間が時間を逆戻りするように動く映像のプリミティブな楽しみと、戻ったところに止まり木がないため空中で静止するカナリアのようなシュールな映像の面白味がある。
 パクキョンスンコンテらしく過程を省略しないことで、書類をなくした父親の足取りを秘密道具をつかった手がかりで推理していく流れも楽しい。単純に時間をもどすだけではなく、サブタイトルどおりの謎解き趣味が味わえた。


「シャラガム」は、ドラえもんの将棋や母親のおやつのさそいにのび太が乗らず、一心不乱に勉強しようとする。年に数回ある発作だと思って、ドラえもんと母親はいつまでつづくかと笑いあうが……
 こちらも記憶では2005年リニューアル以降で初アニメ化。こちらも作画は不安定だが、葛藤したりガムシャラに進むのび太をしっかり動かし、物語の説得力を映像で増していた。
 ジャイアンが歌を聞かせるだけの原作をアレンジして、野球の誘惑と野球中止の怒りという物語にそって異なる障害に設定したことも良かった。ジャイアンが待ちうけている裏道が階段を少しのぼらない描写も、のび太があえて立ちむかうドラマのメタファーとして効果的だ。
 そして結末で明かされる真相は珍しくないパターンだが、本気で驚いてしまった。このような導入と結末のあるエピソードがあることは記憶していたのに、このエピソードだということを失念していた。