法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「強制募集」は新概念や新造語ではなく、従軍慰安婦問題に興味があれば知っておくべき言葉

2012年9月に、韓国の新聞紙に吉見義明教授のインタビューが掲載された。
http://stoo.asiae.co.kr/news/stview.htm?idxno=2012090109544622810
それが2ちゃんねるに日本語訳されて転載された時、その記事中に登場する「強制募集」という言葉に対し、数多くの批判があった。
http://desktop2ch.tv/news4plus/1346503342/

2<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2012/09/01 21:43:13  id:RWSa/orS(1)
強制募集って新しい言葉だなwww

相反するという概念がねーんだろうなw

以降の書き込みも大同小異。「強制」と「募集」が同時に成り立たないという主張ばかり。
2ちゃんねるまとめブログも、「強制募集」という言葉に対して、独自のタイトルで吉見教授発案であるかのようにまとめている。
http://ceron.jp/url/u1sokuhou.ldblog.jp/archives/50379952.html
上記の「U-1速報」を情報源として、楽天ソーシャルニュースサイトに個人ユーザが投稿し、掲載されてもいる。
完全論破された吉見義明が「強制募集」という新造語で日本に謝罪を要求する【慰安婦問題】 | 楽天Social News
さらに2013年3月に吉見教授が韓国からのインタビューに答えた時も、また同じように2ちゃんねるで日本語訳転載され、「強制募集」という言葉ばかり注目された。
천지일보
http://desktop2ch.tv/news4plus/1362846775/

29<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2013/03/10 01:47:47  id:tMwfTsUe(1)
「強制募集」ってどっちだよw

「冷たい熱湯」みたいなもんか?

http://ceron.jp/url/www.hoshusokuhou.com/archives/24395181.html
「Ceron.jp」で確認できるツイッターの書き込みも、「強制募集」という言葉を奇妙な造語とみなしているものばかりだ。


たしかに現在は「募集」という言葉に自発的という意味がこめられていることが多く、知らなければ違和感を持つ者もいるかもしれない。
しかし、たとえ知らなくても、日本語話者が韓国からのインタビューに答え、その韓国語記事が独自に日本語訳されたという過程に注意をはらうことはできるはずだ。かつて、別言語に機械翻訳してから日本語に機械翻訳しなおして、奇妙な文章になることを楽しむ遊びもあった。二重に翻訳された状態で、単語の一つ二つに疑問点があったとしても、即断はさけるべきだろう。
それに、相反するように見える単語を組みあわせた言葉は珍しくない。たとえば「低温火傷」という言葉は一般的だろう。火傷が発生する原因が比較的に低温な時に「低温火傷」と呼ぶように、募集のさまざまな形態で強制的なものを「強制募集」と呼んでも不可思議ではない。


そして、「強制募集」という言葉は厳然として存在する。
たとえば「press」という英単語について、ある英語辞書はひとつの語義として記述している*1
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/1/1na/056577000/

2 …を代用品として使う,流用する;…を徴発[徴用]する

Their cars were pressed into service.
彼らの車は徴用された.

━━(自)強制的に徴兵する.

━━[名](陸・海軍兵士の)強制募集;徴用.

それどころか、戦前の1940年にも、三江省鶴岡炭鉱苦力についての憲兵報告書で登場する。
三江省鶴岡炭鉱苦力強制募集 - 日本近現代史と戦争を研究する

三江省鶴岡炭鉱ニ於テハ十一月以降二回ニ亘リ苦力募集ノタメ職員ヲ洮南県城ニ派遣シ募集ヲ開始シタルモ目的ヲ達セサリシ為満警ノ協力ヲ得強制募集ノ結果■定人員二百名中百四十名ヲ得■■内十五名ハ同行ヲ拒ミ迯走

吉林省檔案館, 廣西師範大學出版社編『日本関東憲兵隊報告集(第一輯)』6、廣西師範大學出版社、2005年、398頁)
1940年12月分の通化憲兵隊の報告である。苦力(単純労働者)の強制募集について、こんなに簡単に出てくるのかと、報告集のページをめくっていて正直おどろいた。

さらに、1928年の夢野久作の小説『死後の恋』で、軍隊から徴用されたという説明で使われている。
夢野久作 死後の恋

おまけに僕は間もなく勃興(ぼっこう)した赤軍の強制募集に引っかかって無理やりに鉄砲を担がせられることになったのです。

このように強制募集とは、かなり昔から今にいたるまで使われている日本語なのだ。


もちろん従軍慰安婦問題に限っても、強制募集という言葉は珍しくない。
たとえば、最初の吉見教授インタビューの少し後、2012年11月の従軍慰安婦問題への意見広告を報じる産経新聞記事にも登場していた。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121107/plc12110712020007-n1.htm

日本軍による強制連行を裏付ける資料はなく、発見された公文書によれば強制募集や誘拐を禁じていたと訴えている。

国会の答弁でも登場する。特に下記の片山虎之助議員による1997年の質疑は有名で、よく従軍慰安婦問題の証拠が存在しない答弁として利用されている*2。「いい関与」を主張している片山議員が先に強制募集という言葉を用いたり、従軍慰安婦という言葉を「勝手につくった」と否定しているところも注目したい。
参議院会議録情報 第140回国会 予算委員会 第2号

片山虎之助 従軍というのは軍属ですよ、軍籍を持つということなんですね。したがって、従軍記者だとか従軍看護婦さんはおるんです。従軍慰安婦なんというのはないんですよ。勝手につくった言葉でひとり歩きをしている。しかも、この言葉は一定のイメージを与えるんですよ。不正確でありかつ一定のイメージを与える。特に私は大変な影響があると思う。
 そこで、文部大臣が今言われた平成五年八月四日の外政審議室の調査、それに基づく官房長官の談話がこれまた不正確なんですよ、不正確。軍が関与していると。関与はしていますよ。関与にもいい関与、悪い関与、積極的な関与、消極的な関与があるんだから。それは兵士を守るために消極的にはいい関与をしたんですよ。だから、それは私は否定しません、否定しない。それじゃ、強制連行や強制募集、そういうことの事実が確認できたかどうかなんです。ところが、あの調査報告も官房長官談話もかなりあいまいなんです。
 そこで、外政審議室長、どういう調査をしましたか。
○政府委員(平林博君) お答えを申し上げます。
 政府といたしましては、二度にわたりまして調査をいたしました。一部資料、一部証言ということでございますが、先生の今御指摘の強制性の問題でございますが、政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せませんでした。
 ただ、総合的に判断した結果、一定の強制性があるということで先ほど御指摘のような官房長官の談話の表現になったと、そういうことでございます。

ちなみに、1952年の衆議院でも、警察予備隊、つまり自衛隊の前身組織が募集する方法として、強制徴兵とともに強制募集という言葉が使われている。
衆議院会議録情報 第013回国会 地方行政委員会 第22号

○立花委員 募集の仕方によりまして、金の支出の仕方が違いますし、額が違うのは当然なんです。次長の言つておられるように単なる自分の自由意思による応募であるならば議論はいりませんが、新聞紙上でもすでに府県に割当てるということを言つているわけなんです。(「常識で行けよ」と呼ぶ者あり)常識で行きましても、これは当然全国的に一律に参るとは考えられませんので、あらかじめ何万というものを募集しなければいけないという大前提があります以上は、当然各個の自治体に対しまして、割当が行われるのは、これはあたりまえだと思うのです。しかも国民の間には、この予備隊募集反対という運動が起つておりまして、きようの朝刊によりましても、すでに神戸では千五百人ですか、大きな予備隊応募反対のデモが行われまして、警官隊と衝突をいたしておりますが、こういうような形がもう全国にある。あるいは全国の各都市でやつておりますラジオの街頭録音を聞きましても、戰争反対だ、再軍備反対だ、憲法改正反対だということを、明らかに圧倒的な多数の者が言つております場合に、単なる自由の意思による募集では、これはおそらく集まらないだろう、そういう場合には、当然あなたの言われましたように、少いところへはさらに慫慂するという形が出て来るでしようし、そうなつて参りますと、強制募集、強制徴兵という形になつて参りまして、費用も、単なる手紙のやりとりだけでは済まない事務が起つて来るのではないか。これを予想して、この三項の警察に協力を求めることができるという規定をされたのだろうと、私は思わざるを得ないのですが、六万、あるいは今度十八万といわれておりますが、十万近いものをどうして全国平均に募集する見通しがあるのか、これをひとつ承らないと、御説明は納得できない。


まとめると、「強制募集」という言葉は戦前から使われており、有名な作家の小説や、国会の答弁にも使用されている。従軍慰安婦問題においては、むしろ多用されている言葉だ。たとえ知識として持たなかったとしても、二重に翻訳された文章なのだから、細かな単語を否定することに力を入れる意味はない。
むしろ、何のためにひとつの言葉にこだわっているのか、こだわっていながらどうして調べようとしていないのか、それが疑問なくらいだ。あるいは、歴史認識の全体像を持たないからこそ、細部を否定することで全体を否定できると思い違いをしてるのかもしれない。その思い違いを確信しているため、わざわざ調べないのかもしれない。
いずれにせよ、歴史学者を「完全論破」したと思いたいなら、せめて少しでも努力することだ。このような細部で自らつまづいておいて、歴史の何を知ることができるというのか。

*1:以降、他の引用文もふくめて、太字強調は引用者による。

*2:私自身も、別の角度から紹介したことがある。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20120823/1345735992