法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「表現の不自由展・その後」に言及した貞本義行氏は、いくつもの大切なことが見えていない

ふしぎの海のナディア』や『新世紀エヴァンゲリオン』、さらにアニメ映画版『時をかける少女』のキャラクターデザイナーとして知られる貞本氏が、下記のようなツイートをしていた。

ちなみに貞本氏は美術大学出身者であるし、絵面をデザインするだけでなく、独自のストーリーを組み立てる漫画家としてコミカライズ版『新世紀エヴァンゲリオン』の長期連載を完結させた物語作家でもある。
なのにツイートは断片的な言葉が並ぶばかりで、根拠や感想と主張がきちんと対応していない。たぶん「表現の不自由展・その後」に批判的な立場からも同調はしづらそうな内容になっている。


そのような意味不明瞭なツイートでありながら、「かの国のプロパガンダ風習」という表現から、たぶん多くの事実が見えていないこともわかる。
日本における表現の不自由を題材にした展示会「表現の不自由展」を受けて、今回の「表現の不自由展・その後」が開かれた以上、やはり選定された大半の作者は日本人である。
天皇の写真を燃やした後、足でふみつけるムービー」が日本独自の文脈をもった作品という解説も各所でおこなわれている。それを確認していれば貞本氏のツイートも違っていただろう。
「表現の不自由展」は、どんな内容だったのか? 昭和天皇モチーフ作品の前には人だかりも《現地詳細ルポ》 | ハフポスト

自画像を描こうとして、日本のアイデンティティと切り離せない「天皇」も題材とした。展覧会終了後に美術館に収蔵されたが、一部県議から批判が寄せられたことを受け、美術館側は作品を売却。さらに、同展の図録を焼却したという。

大浦氏が今回の展示会をきっかけに作った映像には、作品を燃やすシーンが入っており、「美術館が図録を焼却した」ことへの反発をあらわしているとも解釈できる。


それとも、外国の作家による少女像に対して、「かの国のプロパガンダ風習」と書いたのだろうか*1
しかし、国家犯罪を悼むモニュメントは、いうまでもなく日本をふくめて世界各国で建立されている。一国の固有性を見いだすことは現実を直視できていない。
たとえば、ナチスによるホロコーストの犠牲になったアンネ・フランクの像は日本にもあるし、ヒロシマの原爆投下を悼む記念碑は米国をふくめて世界各国にある。
韓国の少女像を殺すため、アンネ・フランク像を殺す人々 - 法華狼の日記

日本でも、広島県ホロコースト記念館などで、いくつかのアンネ・フランク像が建てられている。

米国から少女像を失わさせるため、原爆の子の像の記憶を失う人々 - 法華狼の日記

注目したいのは、原爆の子の像に影響を受け、姉妹像や記念碑が世界中に建立されているという事実だ。その世界には米国もふくまれている。


もちろんモニュメントに限定せずとも、さまざまなアートが社会問題を告発してきた。

ピカソ・「ゲルニカ」 プリキャンバス複製画・ 【ポスター仕上げ】(6号相当サイズ)

「あいちトリエンナーレ2019」も、「表現の不自由展・その後」にかぎらず、さまざまな社会問題を題材にした作品が展示されている。
34ジェームズ・ブライドル(A18c) | あいちトリエンナーレ2019

《継ぎ目のない移行》は、英国の入国審査、収容、国外退去の3つの管轄区域について、計画書や衛星写真などを手に入れ、中に足を踏み入れた人へのインタビューを通じて再現した映像です。

78レニエール・レイバ・ノボ(T10) | あいちトリエンナーレ2019

写真アーカイヴから毛沢東フィデル・カストロら権力者の姿を消し去る《A Happy Day FC》は、神話や歴史を解体し、過去の出来事に対する想像力を喚起する。


話を戻すと、貞本氏のツイートそのものに「面白さ!美しさ!」はもちろん「驚き!心地よさ!知的刺激性」が存在しないこと、存在するかのように装っていないことも唖然とした。
もちろん、「アート」が貞本氏の要求を必ずかねそなえる必要はないし、「美しさ」や「心地よさ」の制約をうちやぶったところに「現代アート」があるはずだ。
貞本氏自身もやりとりのひとつで、陳腐な発想で悪趣味な代案を提示している。

ただ単純に美を求めるのではなく、わざわざ「ライダイハン少女」を求めていることから、平和の少女像の作者が韓国やベトナムに建立しているベトナムピエタ像を知らないだろうこともうかがえる。
「ベトナムピエタ」像、済州に建設される : 政治•社会 : hankyoreh japan
貞本氏の発想に比べれば、「平和の少女像」ははるかに貞本氏が求めるような古典的なアートであろうし、ずっと普遍的な強度をもっていると感じる。国家が自国の歴史にきちんと向きあうことができていれば、きわめて静かなメモリアルとしてそこに存在しただろう。


ちなみに、さほど私個人は現代アートや記念碑を表現として愛好しているわけではないので、少女像の表現としての巧拙は評価しづらい。
ただ、さまざまな映像作品を娯楽として親しんできた人間のひとりとして、従軍慰安婦問題をモチーフにした韓国映画『鬼郷』が貞本氏の要求にこたえることは確信をもっていえる。
『鬼郷』 - 法華狼の日記

完成作品を見ると、予想外に劇映画として純粋に評価できる内容だった。2時間を超えるシネマスコープの映像は、統一感があり大作感すらただよう。

趣味嗜好として現代アートを好まず、「面白さ!美しさ!」や「驚き!心地よさ!知的刺激性」のある作品を求めるならば、一見の価値は間違いなくある。
日本軍による加害の歴史を直視しがたいのではなく、純粋に作品として評していると本心から思っているならば、ぜひとも機会をつくって鑑賞してもらいたい。

*1:後述のやりとりから、「かの国のプロパガンダ風習」が少女像を特定的に指していることは推測できる。

『ドラえもん』ゾクゾク!?学校の七不思議/人食いハウス

いかにも夏らしいホラー仕立ての二本立て。ひさしぶりに前半に尺を使ってドラマをじっくり展開し、後半を短い尺でタイトにまとめるという時間配分をしていた。


「ゾクゾク!?学校の七不思議」は、しずちゃんが廃校をつかったピアノコンサートに参加することに。ちょうど近くの別荘に行ったのび太スネ夫ジャイアンがたずねていくと、厳しいレッスンを目にする……
軽井沢ならぬ想井沢を舞台にした、佐藤大脚本のアニメオリジナルストーリー。しずちゃんを助けようと七不思議に便乗してピアノ教師をおどろかすが、ドラえもんが時間差で到着したこともあって、4人が行き違ってたがいを怖がらせていく。
最初は単純におどかすだけかと思いきや、少しずつひねりを入れていきながら七不思議をつめこんで、コメディとしては楽しかった。ピアノ教師の人情劇に落としたのも悪くない。レッスンは厳しいが、体罰や罵倒などはおこなっていないので、教師を批判しない結末でも納得感がある。
しかしピアノ教師を演じているのが伊瀬茉莉也だとは気づかなかった。まだキュアレモネードを演じていた子役というイメージがあるが、思えば十年以上前の作品だからもうベテランか。自身が指導者に習っていた子供時代をピアノ教師が回想する構成に、良い配役だったと思う。


「人食いハウス」は、のび太が自室に鍵をつけたいと母親にたのむが断られ、そこでドラえもんが残した秘密道具に気づく。それは組み立てると家になりそうで、のび太は喜んで空き地へ持っていくが……
2005年リニューアル以降で初めてのアニメ化。すでにTVアニメで見た記憶があったが、声優リニューアル前のことだったか。原作からして白昼の恐怖を強調していて、日差しの強い夏の放映にピッタリ。
基本的にはサブタイトルで展開をネタバレしていて、淡々と被害が連続するがゆえに誰も事態に気づかない。今回のアニメでは俯瞰のロングショットで空き地を客観的に見せて、よりさりげなく恐怖を持続させる。
待ちつづけるスネ夫をジャンプショットで表現したり、ホラー映画*1を語るしずちゃんの瞳から光をなくしたりといったキャラ描写も楽しい。
もちろん腰砕けのオチも原作通り。ただ、「とって」や「とらせて」といったフレーズに反応して獲物を引きこんでいるところは、すぐ台詞を確認できる漫画と違って、アニメでは別のわかりやすい表現を足しても良かったかも。

*1:元ネタは大林宣彦監督の『HOUSE』か、白昼に空き家にさそわれる『悪魔のいけにえ』か。

産経新聞に生まれて初めて同情してしまったかもしれない

自民党松戸市議会議員、大塚けんじ氏による下記のような主張を知った。わざわざ固定ツイートにしている。

たしかに産経新聞は本当に愛国的な問題の多いメディアではあるが、さすがに「虎ノ門ニュース」や「正論」や「Hanada」と同列にしてはかわいそうだ。
そこは八重山日報、あるいはやまと新聞くらいにするべきではないのか。

「表現の不自由展・その後」を批判したいらしい深津貴之氏と田中雄二氏は、従軍慰安婦問題において朝日捏造論者らしい

noteを運営するピースオブケイクでCXOをつとめる深津氏が、下記のようなnote記事を公開していた。
「表現の不自由展」の不自由さについて|深津 貴之 (fladdict)|note

僕は慰安婦像置くのは、(表現の視点としては)よいと思うけど、どうせなら慰安婦像とライダイハン像青線問題のアートを並べておいて欲しかった。そこまで並べてしまえば、「歴史と政府と性暴力と事実認識」に純化したメッセージが出せるのに、慰安婦像だけだと「我が国の体制批判」というメッセージ性が乗っかってしまう。

しかし「表現の不自由」がテーマである以上、その不自由をしいている「我が国の体制批判」は、今回は「歴史と政府と性暴力と事実認識」より優先されるのはしかたないのではないのか。
そもそも深津氏があげた題材で、日本が世界全体で抑圧している表現と比べて、それほど抑圧されている表現があるのだろうか。なぜ具体的な表現を示さず、Wikipediaの項目へリンクするだけなのか。
こうした題材選別への批判に問題があることは、深津氏に限ったことではないので、いずれあらためてエントリを書きたい。


さて、そんな深津氏の、日本軍慰安所制度に対する見識は下記のとおり。きちんとした研究にふれていないことがわかるし、同時代の倫理観を低く見誤っている。

しかし慰安所を開設すれば性暴力を抑制できるという発想は、必ずしも現実的とはいえないし、当時においても反論が存在していた。
たとえば、1941年時点の米国で公娼制が「性的乱交をまし、性的残忍性と堕落を培うことによって性的犯罪を促す」という見解があったことや、1917年の米陸軍省が「見境のない性交渉を刺激することにより女性への犯罪を増加させる」という見解をもっていたことが確認されている。
0-7 公娼制は犯罪を減らすのか? | Fight for Justice 日本軍「慰安婦」―忘却への抵抗・未来の責任
そもそも日本軍は占領地を広げるにともなって慰安所を開設していったのだ。性暴力をふせぎたいならば侵略しなければ良かっただけのことだ。
さらに深津氏は、かつて2014年の朝日検証で過去記事の一部撤回を明言されたことを受けて、下記のように解釈していた。

さすがに「捏造」とは書いていないが、単なる「誤報」ではなく一面で訂正すべき「嘘」と表記していることから、朝日新聞の意図をかんぐっていると解釈すべきだろう。
しかし朝日検証において撤回された記述は、あくまで先行研究を参照したり、同時代の他社と同様に採用した一部証言にすぎない。集中的に非難をあびている元記者も詳細に反論している。
植村隆インタビュー詳報において、産経側の主張が自壊していくまで - 法華狼の日記
軍関与資料の発見、軍隊による直接的な慰安婦募集事件、初めて名乗り出た被害証言者など、実際に朝日新聞が単独で報じた記事の多くは、あらためて妥当な報道だったと検証された。
そうした朝日新聞のスクープもあわせて、1990年代の初期から研究が進展していき、歴史学的な見解を強固にしていったのが事実だ。複数の歴史学会が共同声明も出している。
「慰安婦」問題に関する日本の歴史学会・歴史教育者団体の声明 - 東京歴史科学研究会

日本軍が「慰安婦」の強制連行に関与したことを認めた日本政府の見解表明(河野談話)は、当該記事やそのもととなった吉田清治による証言を根拠になされたものではない。したがって、記事の取り消しによって河野談話の根拠が崩れたことにはならない。強制連行された「慰安婦」の存在は、これまでに多くの史料と研究によって実証されてきた。

つまり「慰安婦嘘でした」という深津氏の解釈は、あらゆる意味で間違っている。


また、映像プロデューサーの田中雄二氏が、「あいちトリエンナーレ2019」全体で芸術監督をつとめている津田大介氏に対して、「ジャーナリスト」という肩書きを批判していた。

Yuji TANAKA on Twitter: "津田大介がジャーナリストを自称することを認めない。少なくとも担当時代、あいつは取材らしい取材を毎回しなかった。全部ネット。"

ちなみに私が田中氏を知ったのは、東映労組を誤った時系列で非難するツイートによって。高畑勲死去を受けた発言ということもあり、今でも良い印象はない。
高畑勲監督と宮崎駿監督が入っていた東映労組について、「サヨク不信」が芽生えると語った田中雄二氏の謎 - 法華狼の日記
そのような田中氏だが、津田氏と現実に接点は持っていたので、その証言は主観的な真実かもしれないし、一定の価値はあるだろうとは考えたい。
しかし従軍慰安婦問題についての見識を読むと、あたかも朝日新聞が問題を捏造したかのような主張をしている。表現からして、深津氏以上に問題があるといわざるをえない。

念のため、朝日検証において撤回された一部証言は、先述のように学術的に重視されていないだけでなく、世界的にも重視されていない。
たとえば国連のクマラスワミ報告書で言及されていることで有名だが、実際には証言批判に多くの文字数をさいており、主要な論点とも独立していた。
クマラスワミ報告書と吉田清治証言と性奴隷認定の関係をめぐるデマ - 法華狼の日記

吉田証言を少数意見としても肯定的に言及し、当時から削除するべきと批判されていたわけだが、逆に削除したとしても報告書の全体像が崩れるほど重視されているわけではない。この報告書は吉田証言にかぎらず、信頼性の低い証拠や研究にも言及しつつ、全面的な依拠はしないように注意がはらわれている。

そもそも報告書は、朝鮮半島における代表的な募集方法が詐欺的手段であったという見解をとっている。

同じように誤報した多数のメディアにおいて、それでも朝日新聞だけが単独で過去記事の撤回をおこなった。田中氏には同じくらいの検証ができるだろうか。


深津氏と田中氏は仮にもメディア関係者のはずだ。
事実誤認によるメディア攻撃へ加担し、「表現の不自由」の一翼をになったことの反省はしてもらいたい。

長崎県の佐世保市が反核署名活動を理由に原爆展を後援せず

もともと九州で平和首長会議に唯一参加していない市ではあるが。
原爆展後援、佐世保市教委断る 会場で核禁条約加盟促す署名 「中立保てぬ」|【西日本新聞ニュース】

西本真也教育長は「写真展と併せて署名活動をするのでお断りした。署名は一定の意思を市民に求める。中立公平を第一とする教育委員会の後援の在り方と違う」と述べた。ヒバクシャ国際署名についても「教育委員会が『これが一つの平和の考え方』と示すのはどうなのか」と話した。

佐世保市の朝長則男市長にその理由を尋ねたところ、書面で回答があり、「日本政府は核兵器禁止条約が核兵器国と非核兵器国の対立を一層助長し、亀裂を深めるとの考えから賛成しなかったものと認識している。本市は政府方針に同調する」との考えを示した。また、同市に米海軍佐世保基地が存在することにも触れ、「わが国のみならず、アジア・太平洋地域の平和と安全の維持と繁栄の基軸をなす重要な役割を果たしている」との認識も明らかにした。

この世界の片隅に』の原作にある「この国から正義が飛び去っていく」という独白は、最初から「この国」には思うような「正義」などなかったということ。
戦中から戦後にわたって被爆者はくりかえし虐げられ、被害の受忍を国家に強要されてきた。もしかすれば、加害を矮小化して相対化する時だけ、「唯一の被爆国」という立場のために利用されてきた。
そうではないと示すことが今の日本にできるだろうか。