法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

日本のBC級戦犯が有罪になったのは、そういうとこだぞ

捕虜にゴボウを食べさせたことが、戦後に虐待と誤解されて戦犯として裁かれたという都市伝説がある。
その謎を以前から追っているid:Apeman氏の問題意識を下記エントリにまとめた。
戦犯ゴボウ問題という都市伝説を疑うことは、BC級戦犯裁判は本当に不当だったのかと懐疑する意味がある - 法華狼の日記

問題となるのは、戦犯裁判の不当性を象徴するような逸話なのに、確認できる元ネタにおいては不当性が明確ではないということ。

BC級裁判で二等兵への死刑判決はあっても執行されていないことを根拠に、一般人が理不尽な目にあったという被害意識も過剰ではないか、という指摘をしている。

私も先日に見つけた戦犯ゴボウ問題にまつわる手記を読んだところ、不当性をうったえる文章に反して、むしろ裁判の妥当性を印象づけられる結果となった。


ここで、その手記を紹介したい。タイトルは『BC戦犯の実相―戦勝国への償いはわれわれ戦犯者が立派に果たしている』といい、近代文芸社*1から1996年に出版されている。

わずか62頁で文字は大きく情報量は少ない。終盤でオカルト的な精神世界の話がはじまって面食らったりもした。
しかし、いろいろな意味で興味深い内容ではあったのだ。


著者の曽我部武氏は1914年に生まれ、精神科の道を歩んだ医師だった。
海軍技師として、インドネシアのセレベス島*2のマカッサル市において、1943年から民生部で要職についたという。
1944年にセレベス第2の都市であるパレパレ市に移り、パレパレ県庁に赴任。衛生部長兼パレパレ病院長として医療に従事。現地の精神病の観察研究もおこなっていた。
郊外に敵性市民抑留所があったが、民生部法務部の管理官が管理しており「県は直接の責任はない」と聞かされ「安心」したという*3

当時私は抑留所と一線を画し、あまり関係しないように心がけたのである。
 抑留所には有能な医師、薬剤師、看護師が自治的に被抑留者等に治療を実施していた。もちろん医薬品、衛生材料は直接管理人を通じ民生部衛生部より供給していたのである。

しかしパレパレ県全体の衛生責任をもっていた著者は、診察治療はパレパレに滞在する日本人に対しておこなっていたものの、抑留所への勧告などもおこなっていたと書いている*4

 私はパレパレ県庁に赴任して早速抑留所内を巡視している。衛生状態も万全ではないが、他の俘虜収容所と比べてそう悪くはないものと判断していた。また、赤痢発生のときも管理者の案内で所内を見て回り、一般衛生状況や病棟などの状態を視察し、管理者に医薬品、衛生材料に不足があれば民生部衛生部に申し出てできるだけ十分に入手するように勧告したのである。

治療防疫は抑留所の医師に自治に任せていたと著者は主張して、赤痢発生時の視察も命令的な指導的な干渉はしていないと自認する。
しかし、関わっていないので責任を負っていないという自己弁護と、可能なかぎり助けるために関わったという自己弁護とで、微妙に矛盾している印象はある。


そして戦後のマカッサルでおこなわれたBC級裁判において、著者に対して3つの罪状があげられたという。その一つが戦犯ゴボウ問題だった*5

 私の罪状として抑留所の一般衛生不良に対する罪の他に、次の二項目が上げられていた。第一は被抑留者に木の根っ子である「ごぼう」を食べさせ、虐待したという。私は反論として「ごぼう」は日本の野菜であり、常に食卓に供しており、オランダの医師もこの点を知っていると思われる。したがって虐待の罪状には当たらない、と力説した。第二はパレパレ病院の医学書と貴重品(指輪、時計等)が紛失しているが、君の責任だという。しかし、私がパレパレ病院に赴任したのは十九年の夏頃で日本軍がこちらに進駐してから数年たっている。日本人が持ち出したか、あるいは原住民が持ち出したかさだかでない。私はこの点に関して何ら責任はないと反論したのである。

このように裁判で理不尽に責任が問われた原因として、上層部の思惑で転嫁されたのではないかと著者は疑いをかけている*6

 終戦後南セレベス民生部や海軍司令部では地方や下級軍役人に責任を負わせようと、秘密会議を催したという噂がある。また終戦後、戦勝国から抑留所の責任に対して報告書を日本側に要求した際、民生部が我々に無断で抑留所の直接責任はパレパレ県庁にあることを通知したのである。

しかし、上層部の責任逃れを考慮しても、あまりに著者自身に責任者としての意識が希薄だと思わざるをえない。
たしかに末期に赴任しただけでは紛失の原因もわからないだろうし、全責任が問われるべきでもないだろうが、その期間に応じた一定の責任なら問われてしかるべきだろう。紹介してきたように著者はそれなりの上級者であったし、ひとつの善意が誤解されただけで罪に問われたわけではない。
また、3つの罪状がどのように判決にむすびついたのか、著者は判決の詳細を記述しておらず、やはり判然としない。著者の説明が正しいとすればゴボウの位置づけには誤解があったのだろうが、その誤解が裁判で解けたか否かもわからない。
そもそも著者が具体的に語っている2項目は、全体からすれば小さな逸話にすぎないだろう。普通に考えれば、最初に短く言及しているだけの一般衛生不良こそ、裁判の行方を左右しそうな要点に思える。


さらに著者は裁判批判の根拠として、管理官として裁判にかけられた川尻二郎氏の文章を、別の『戦犯の実相』という書籍から引いている*7

事件発生地にいた為、責任を負わされた。事件は適性国一般市民抑留所における被抑留者に対する虐待事件に関する当該地区管理官としての監督責任であるが、その内容は抑留所における給与状態の不良、医療施設の不備、医薬品及び医療材料の不足、抑留所職員の暴行取扱い不良等に関し、県管理官として抑留所長と民生部長官との中間監督責任者でありながら、前記事情を知りまたは知り得べかりしに不拘適切な措置を講じえなかったというに至る。

これに対して川尻氏は、給与その他の不良は認めつつ、自身の赴任が短期間であることや、それでも医療が充足するよう努力していたことは具体例をあげて主張している。
しかして、一読して裁判の要点になりそうに思える職員の暴行については、驚くほど無責任な主張ですませている*8

また職員の暴行については全然感知せざる所である。

他の虐待についても否認しているが、暴行について具体的にふれているのは本当にこの文章ひとつだけなのだ。
同じく管理官として同書籍から文章が引かれている河村静観氏は、やはり職員の暴行の責任が問われながら、責任転嫁だけですませている*9

抑留所に対する糧食医療の給与不十分及び抑留所勤務職員の殴打虐待行為を阻止しなかったというので、その責任を問われたのであるが、該抑留所には専任の所長が居り、彼らは簡単な取り調べの後釈放された。私は抑留所の直接運営者たる所長に罪となるべき事件がないならば、その監督官たる私にも当然罪があるべき筈はないと硬く信じていた。

職員が虐待をおこなわないよう教育や指示を徹底したとか、何らかの問題がないか抑留者から聴取して管理に反映したとか、そうした抑止の形跡が川尻氏にも河村氏にもまったくない。
著者は両氏の引用の最後に、裁判の不当性が読者に了解されるだろうと自認し、自身の戦犯裁判の章を終えている*10

 以上のように両氏の言い分をお聞きになれば我等の戦争裁判が如何に不当、不正の裁判であったか了解されたことと思う。

著者たちは、仮にも衛生部長や管理官という立場にありながら、末端の現場以下の責任しか負わないという見解で一貫している。その見解を根拠として戦犯裁判の不当性を戦後まで主張していた。
正直な私の感想をいえば、「そういうとこだぞ」と思わざるをえなかった。


著者が裁判の不当性を主張することで、逆に裁判の妥当性を感じさせる場面は、他にもある。
パレパレ抑留所においては、戦後に証言できているように著者らは死刑にならなかった。著者は20年の有期刑、川尻氏と河村氏が15年の有期刑だったという*11
一方、マカッサルの俘虜収容所やマカッサル特警隊からは複数の死刑判決があり、執行された。ここでも末端よりも上層部が重い責任を問われて処刑されたことがわかる*12

 その罪状は「マカッサル特警隊員が抑留中の原住民の多量検挙取り調べ中における拷問の責任」であり中将一名、少尉一名、下士官八名、計十名が死刑。下士官四名が有期刑になっている。当時事件が多発し、特警隊員は寝食を忘れ容疑者を逮捕、取り調べたのである。戦時中であり、食うか食われるか、殺すか殺されるかであり、この間多少の行き過ぎはあったものと思う。オランダ通訳のヘブロック大尉は「マカッサル特警は殆どの事件を検挙しており、もし日本が戦争に勝っていれば金鵄勲章ものだ」と褒めていた。

特警隊は著者も暗に裁判の妥当性を認めているようだが、日本がしかけた戦争であることを忘れたような中立的な表現は首をかしげる
しかしそれよりも気になるのが、オランダ通訳の発言を、単純に褒め言葉と解釈していることだ。たとえばナチスドイツが勝利した世界ならば、レジスタンスを熱心に検挙した武装親衛隊は勲章をもらえただろうが、それは果たして人間として褒められた行為といえるだろうか。
当時の日本の立場から見て褒められるということは、普遍的な立場から見て褒められることと同一ではない。日本が敗北して約半世紀がたっていたのに、著者はその観点を持ちあわせていなかったのだ。


ちなみに、イギリスによる戦犯裁判を研究していた林博史氏は、残虐行為に対する裁きにおいて、上官にも不公平感が出る問題はあったことを指摘している*13

本人に自己裁量の余地のない、上官の命令を実行しただけの場合は、下級の兵を死刑にはしていないのである。カーニコバル事件での木村久夫上等兵は死刑になっているが、それは取り調べにあたって虐待して殺し、さらにウソの自白を引き出したという罪であった。

 ただすでに述べたように、命令者といっても現場にいた者が裁かれる傾向はあり、上級の命令者、あるいは明確に命令していないにしてもそうした状況に追いやった上級者が裁かれない傾向があったことは否定できない。

それを象徴するように最高責任者だった天皇は訴追そのものをまぬがれ、731部隊は米軍の思惑によって裁かれなかった。戦犯裁判で問われなかった罪は他にもさまざまあった。
著者もまた、先述したように上層部から責任転嫁された立場であったが、刑に服している間に上層部への憎しみを失っていった*14

民生部の戦勝国に差しだした書類にパレパレ県が抑留所の直接の責任者であると報告した事実を知り、一時は愕然として怒り、憎しみに燃えたものであり、且つまた戦勝国の我等戦犯容疑者に行った虐待拷問に対する恨み、反感心は強く身の置き所もなかったほどであったが、戦友が次々に死刑の判決を受けて刑場に連れていかれる姿を目の当たりにしてしだいに、恨み、怒り、悲しみの心は消滅していった。そして誰かが戦勝国の復讐の犠牲にならなければならないのだと自分に言い聞かせているうちに、冷静平穏な気持ちとなり「悟り」に近い境地になったのである。

かくして戦犯裁判に不公平感や不当性をおぼえながらも受忍するかたちで、戦後日本は再出発してしまった。


現場の罪を責任者は感知しないと主張する曽我部氏を、戦後半世紀の日本人は、どこまで遠い存在と考えることができるだろうか。
今の社会において、上級者が権限に応じた責任をどこまできちんと負っているといえるだろうか。
手記を読み終えて、そんなことも思うのだった。

*1:主に自費出版をおこなっている会社で、この手記もおそらく自費出版だろう。

*2:現在はスラウェシ島という呼称で知られているか。

*3:25頁。以下、特記しない頁番号は同書から引用。

*4:26頁。

*5:27頁。

*6:28~29頁。

*7:30頁。念のため、引用元は未確認で、文章も曽我部氏による引用の孫引きである。どちらかといえば曽我部氏の見解を示す資料として読みとってもらいたい。

*8:31頁。

*9:34頁。

*10:35頁。

*11:裁判長が抑留者であったことを著者らは問題視しつつ、その体験から著者らに直接の責任がないと裁判長が判断することを期待もしていた。28頁。

*12:41頁。引用時、フリガナを排した。

*13:BC級戦犯裁判 (岩波新書)』172、174頁。

*14:48頁。

戦犯ゴボウ問題という都市伝説を疑うことは、BC級戦犯裁判は本当に不当だったのかと懐疑する意味がある

戦犯ゴボウ問題という都市伝説がある。戦後の映画や漫画でくりかえし描かれたそれを、十年以上前からid:Apeman氏が追いかけている。
「ごぼうを捕虜に食べさせて有罪になったB級戦犯」は都市伝説? - Apeman’s diary

ごぼう 戦犯」でググるとたくさん出てくるのが、「連合軍の捕虜にごぼうを食べさせたところ、木の根を食べさせた虐待だとして戦犯として訴追され、有罪になったケースがある」というはなしである。

念のため、少なくない都市伝説がそうであるように、元ネタと思われる事実は存在することがわかっている。

元捕虜たちがごぼうを木の根と誤解し、虐待の一例として訴えたという事実それ自体は確かにあったようである。だが、判決でもそれが虐待として認定されたのかどうかは不明であるし、なによりごぼうの一件は数ある訴因の一つに過ぎない。

ここで問題となるのは、戦犯裁判の不当性を象徴するような逸話なのに、確認できる元ネタにおいては不当性が明確ではないということ。
かんちがいからゴボウ料理を虐待と訴えられるほど捕虜と収容所のコミュニケーションが不足していたと仮定しよう。それではなぜ、その誤解を裁判において解くことはできなかったのだろうか。
連合国は「復讐」というには公正さが求められる裁判という手続きをとり、弁護活動もおこなわせた。さらに判決後に上級機関のチェックがおこなわれ、死刑判決はマッカーサーの承認も必要だった。
戦犯裁判においてさまざまな不備はあったにしても*1、全体として不当だったという被害者意識は正しいのだろうか。


さらにApeman氏は、BC級裁判で二等兵への死刑判決はあっても執行されていないことを根拠に、一般人が理不尽な目にあったという被害意識も過剰ではないか、という指摘をしている。
『私は貝になりたい』を反米プロパガンダのファンタジーと断罪する者だけが『鬼郷』に石を投げよ - Apeman’s diary

実際のBC級戦犯裁判では死刑を執行された二等兵はおらず、一等兵は2人だけ、上等兵および兵長(これらの階級は“ただ招集されただけ”の者としては軍隊の中で“うまくやってきた”ことを意味する)があわせて23人にすぎない。軍隊というのが階級が上がるほど人数の減るピラミッド状の組織であることを考えれば、BC級戦犯裁判で将校でも下士官でもない兵士が死刑になる、というのは非典型的もいいところなケースだということがわかる。

関連して思い出されるのが、近年に報道への名誉棄損裁判がおこなわれた中国での百人切り競争だ。戦後に中華民国軍事法廷で死刑となったふたりは、士官学校を出ていた少尉だった。けして無理に戦場へ送りこまれた一般人ではなく、軍隊において相当の権限と責任があるべき立場だった。
たとえば時代劇において支配階級の武士がしばしば共感の対象として描かれるように、上層階級の物語に一般人が感情移入することは不思議ではない*2。しかし現実においては、その感覚は実態とのずれがあることは注意されてもいい。


それどころか、むしろ戦犯になるほどの罪を犯しながら逃れた者が多いという疑惑を、弁護を担当した日本人が証言しているという*3
『BC級裁判」を読む』その1 - Apeman’s diary

特に戦犯裁判で弁護人を務めた人が戦後の聞き取りで厳しい見方を披露しているケースが少なくないという。

 裁判の弁護を担当した萩原竹治郎弁護人が一九五八年三月二十八日の聞き取り調査で、この事件を含めた日本軍の戦争犯罪について手厳しい意見を述べている。
 オランダ軍によるバタビア裁判全般についての所見として、「起訴状に出ているくらいのことは事実であったと思う」という。
(……)
 荻原の聴取書は「実際にやっているのに無罪になったものもいる。戦犯的事実は起訴された五倍も十倍もあったと思う」と突き放すような言葉で終わっている。

私も先日に見つけた戦犯ゴボウ問題にまつわる手記を読んだところ、不当性をうったえる文章に反して、むしろ裁判の妥当性を印象づけられる結果となった。くわしくは次のエントリで紹介したい。

*1:たとえば後日に紹介するマカッサル戦犯裁判において、裁判長が元抑留者だったという指摘は、聞くべきところはあると思う。

*2:逆に、朝鮮人や台湾人が軍属として捕虜監視員に動員され、いわば汚れ仕事を負わされた結果として戦犯として数十人が死刑になった。ここでは日本という国家が戦犯裁判をとおして加害し、一般人がその歴史を無視してきたともいえるかもしれない。

*3:引用内引用は、保守系作家が討議した『「BC級裁判」を読む』の161~162頁とのこと。

はてな界隈で人気があったガメ・オベール氏という人物が、何をきっかけに失墜していったかをふりかえる

そういえば珍しく巻末に参考文献を載せていない「歴史の本」があって、それでウソがばれた出来事があったね - 法華狼の日記
上記エントリで思い出したガメ・オベール氏が、id:Apeman氏に批判されるようになった経緯を歪曲しているようなので、2010年の当時に私が見ていた順序を紹介しておく。


実はアホらしいので一度もちゃんと見た事がなかったが、能川元一の悪あがきにつられてボーフラみたいに浮き上がってきた厚顔はてな人を見ると、


ゴボウ裁判記録はない→なぜならガメオベールはニセガイジンだから→ニセガイジンである証拠は能川元一が断定していたから、という事かな?


だんだん判ってくると
能川「おれがそう思ったからガメ・オベールはニセガイジン」
はてな一同「ニセガイジンは事実だから国籍を偽るガメ・オベールの言う事は全部ウソ
新しい人「ほんとなんですか?」
はてな全員「きみは若いから知らないだろうけど皆が知ってる事実」


というロジックだったんだね

まず「はてな人」なる集団だが、はてなダイアリーで書いていたこともあってか、当初はガメ・オベール氏の愛読者も多かった。後で紹介する当時のダイアリーを見れば、はてなユーザーが好意的にコメントしていることも確認できるだろう。
失礼を承知で私個人の印象論をいえば、平易な文章で世相を語るガメ・オベール氏には広いファンがいて範とされていたタイプだったが、敏感な話題で峻厳な立場を選んでいたApeman氏は範とされてもファンは少なく反発もされがちなタイプだった。
ゆえに論争の途中までは、Apeman氏とガメ・オベール氏の双方へ敬意を表明するはてなユーザーも多かった。


私が知るかぎりApeman氏が最初にガメ・オベール氏へ批判的なコメントをしたのは、戦犯ゴボウ問題ではなく、靖国問題だった。
2010年の当時に、Apeman氏自身が、論争の発端からガメ・オベール氏の文章を引いて、それぞれの経過をまとめている。
「事実であろうと、なかろうと」PartII - Apeman’s diary

・1月17日、ガメ氏が「ついでに国民のほうは「隣の国がうるせーで、あの死んだにーさんたちが集まってる神社はなかったことにすべ」とゆいだした。」「そーゆーのをゴツゴーシュギというんじゃ、ボケ。」と発言。この「ボケ」はいうまでもなく日本国民の一人たる私にも向けられていることに留意されたい。
・同日、私が「へぇ。それ誰のこと?」とブコメ

次にApeman氏は1月21日、上記とは独立してコメント欄で戦犯ゴボウ問題の根拠について質問しようとしたが、承認されなかったという。
そのコメントは掲載をためらわせそうな長文ではあるが、ていねいな言葉で、批判ではなく質問として書かれていた*1

初めまして。


>前にも記事に書いたが、バターンの死の行進の監視の役割についていて、なけなしのきんぴらごぼうを捕虜に勧めたせいで(捕虜虐待の罪状で)処刑された日本の若い兵隊や


これは
http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20081018/1224343818
で書かれていた件ですね? 「戦後の日本人BC級戦犯の裁判記録」をお読みになったとのことですが、どの法廷で行われた裁判だったかご記憶でしょうか?
というのも、「ごぼうを食べさせて戦犯に」というエピソードについては以前に少し調べてみたのですが、「ゴボウを分け与えたせいで戦犯として死刑を言い渡された日本兵」という事例は確認できなかったからです。

判決理由のついた裁判記録が存在し、かつその判決理由で「ごぼうを食べさせた」ことのみが有罪の決め手となり、判決が死刑だったとすると、上述したような私の調査には不備があったことになります。というわけで、ご覧になったという「記録」についてご教示いただければ幸いです。

しかしガメ・オベール氏は、「意見が反対だろうがなんだろうが、失礼でないかぎりは載せておる」とコメント欄の方針を説明しつつ、下記のような理由で承認しなかった。
2010-01-21 - ガメ・オベールの日本語練習帳iii-大庭亀夫の生活と意見

載らないひと、っちゅうのは理由はひとつで日本のひとに特異なタイプではないかと思うが、他のところ、たとえばブックマークのコメントとかで思いきり失礼なブタ野郎コメントを書いておったくせに、ヘーキでコメントを書いてくるひとです。

あれ、多分、自分で自分がいかに失礼なクズ野郎か、わからないのだな。

これに該当するひとは、コメント、そもそも読んでねーよ。

まっすぐゴミ箱行きです。

ここ2、3日でいうとkoisuru_otoutoとApemanとかいうひとびとがそれに当たるのい。

わっしは真剣にわからんが、日本人は自分が無礼な口を利いておって、「自分の言うことに答えられないのか」とよく言うが、あれは文化的な習慣なのだろうか。それとも本人が頭が悪いだけかしら。

ともかく。

おめーらみたいな失礼なマヌケが書いたコメントを読むわけねーだろ。くだらねークソ日本語で礼儀のかけらもないよーなクソコメントを書いておいて、いまさらこたえてもらおうとかって、頭がいかれておるであろう。

アホかよ、それともおまえのチンコ頭では、自分だけはなにゆってもいいとおもってんのかボケ、と思料いたしましたので、あしからず。

ガメ・オベール氏が不特定多数へ「ボケ」と評価し、Apeman氏が「へぇ。それ誰のこと?」と応じた時点で衝突が始まったとはいえるだろう。
しかし、相手の全人格を対象にして批判を始めたのはガメ・オベール氏が先だったし、その表現も罵倒に満ちた攻撃であることも指摘せざるをえない。
念のため、批判や反論する時の表現として罵倒を選ぶことそのものは自由ではあり、批判や反論の妥当性と独立している。しかし表現の攻撃性がなくなるわけではない。


また、戦犯ゴボウ問題をガメ・オベール氏がフィクションとして語っているという擁護は、1月23日の時点でも第三者のコメントにおいて確認できた。
しかしその観点をガメ・オベール氏は採用せずに、「研究者」というプロフィールを称して、事実性で争う立場を選んだ。論争が終結したころの2月1日にid:Wallerstein氏がエントリにまとめている。
一連の問題の所在 - 我が九条

ここでPANDORA氏やgouk氏の思い描いていたガメ氏像とは全く異なった動きを始める。要するにガメ氏は自身が実は研究者であり、しかもあくまでも「裁判記録」を読んでいた、ということを主張したのだ。

「裁判記録」を読んでいなかったことを素直に言えばそれでよかったのである。そうすればこんなに大騒ぎになることもなかっただろう。プライベートモードに入ることも、アカウント削除も起こらなかったし、むしろうるさい「はてサ」Apemanに絡まれた気の毒な人、として支持すら集め得たであろう(笑)

しかも研究者と自称するコメントを書きこんだのは、Apeman氏ではなくid:kamayan氏のコメント欄だった。
2010-01-23 - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記/はてダ版

ブログには書いてないが、わし自身が研究者(もちろん歴史ではないが)なので研究者の手順に従って論争しようというのなら、(kamayanさんの真正研究者保証つきなら)、
メンドクサイが相手にしてやってもよい、と思いました。
ただ、わっしがむかし研究者として在籍したことのある大学の先生(たまたま歴史の先生、セイヨーシだが)の見立てでは「ただのゴロツキ。自分のブログを有名にするために、きみを利用しようとしているだけでしょう」ということだったので、ちょっと、このひとの著作リストを教えて欲しいと思います。

kamayan氏は「ガメさんのブログをもう読むことができないこと、これは悲しいのであります」と表明して、具体的な高評価もするくらいにガメ・オベール氏のファンだった。
そしてガメ・オベール氏は1月24日、自身のダイアリーにおいて根拠となる書籍を提示した。しかしApeman氏へ通知されない形式であり、これを読むと期待できるのはダイアリーの読者だけだった。
【魚拓】ヒラリー・クリントンの奇妙な提案 - ガメ・オベールの日本語練習帳iii-大庭亀夫の生活と意見

ごぼう」なひとびとのほうは、ブログ、読みました。
ドマジメなだけのひとなのかも知れないので、簡単に書いておきます。
プライベートモードのいちばん最後に出ていたメッセージ
岩川隆「神を信ぜず」立風書房(文庫はダメ)「末尾参考図書」に挙がっていると思うよ。
あれは送ってもらえるんです。行かなくてもダイジョブ」
もし自分でとれなければ、わっしはBC級戦犯の資料がおいてあるところへ今年はなかなかいけないが、そこへ行ったら資料を送ってあげられると思う。
英語だが、読めるでしょう?
しかし、わっしはあなたがマジメなひとにしても、あの失礼なコメントはいやだな。
口元が汚い。

もしガメ・オベール氏が偽りの根拠でApeman氏をからかったのならば、Apeman氏が読むと期待できるかたちで書いたことだろう。そうでなくても、いわゆる「ネタにマジレス」されたことへの返答であれば、ネタで返すにしてもマジで返すにしても、もっと違った文章になりそうだ。
しかし現実には読んでのとおり、信用している読者へ偽りの根拠を事実のように提示したかたちとなった。これでは、ガメ・オベール氏が意図したかどうかはさておき、からかわれているのは愛読者だけだ。
ゆえに『神を信ぜず』の巻末に参考文献などないという1月29日のApeman氏の批判によって、擁護したり信用しようとしていた人々が、一気にガメ・オベール氏への批判へかたむく結果となった。
武士の情けで黙ってたんだけど、しかたない(追記あり) - Apeman’s diary
はてなブックマーク - 武士の情けで黙ってたんだけど、しかたない(追記あり) - Apeman’s diary
はてなユーザーのガメ・オベール氏への決定的な評価が、「ニセガイジン」と無関係なことがわかるだろう。
ガメ・オベール氏も失敗したとは思ったのだろう。『神を信ぜず』を提示したエントリを新しいブログに転載しながら、戦犯ゴボウ問題にまつわる記述は削除している。
読み比べてみよう! - Apeman’s diary
こうして当時の争点を隠しながら、ガメ・オベール氏は最初に引用したようなツイートをしているわけである。


なお、ガメ・オベール氏が自称するとおりに「コーカシアン」なのか、英語が「母国語」なのか、私には断言できる能力や材料はない。
その外国人キャラクターを初めとした自称を事実と信じられる要素はないが*2、マイケル・ヨン氏やケント・ギルバート氏のような外国人がいることも事実だ。
しかし、そもそもそこは主要な争点ではなかったのだ。外国人という自称にApeman氏は当初は言及していないどころか、批判はプロフィールへの懐疑ではないことを、1月23日の時点で説明していた*3
2010-01-23 - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記/はてダ版

自称しているプロフィールを疑っているということではありません。エピソード主義で「日本人」について語るという手法や日本特殊論(「日本語は不完全な言語だ」なんてのもそうです)、それから「キンピラゴボウ」の件についての書き方(情報ソースが怪しげであることを含め)などを指して言っています。

Apeman氏が興味を表明したのは、ガメ・オベール氏自身が論争中に自身の母語をもちだしてからで、これは1月27日のことだ。
ガメさんとApemanさんへ - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記/はてダ版

ここで私が以前の立場を若干変更したことを表明しておきます。gameover1001の国籍やエスニシティについて私は一切関心がありませんし、いかなる詮索をする気もありません。また、次に述べる一点をのぞいて彼のその他の属性についても関心はありません。

ガメ・オベール氏が自身の英文を「英語が母国語の人間が読めば、どんなバカでも英語を母国語とした人間が書いた、とわかる」と自己評価したことに対して、Apeman氏は「日本語をもとに書かれたとわかる英文」と評価した。

もちろん母語がなにであるか(なにでないか)と国籍ないしエスニシティとは別の問題です。しかし靖国問題BC級戦犯裁判についての上記のような粗雑な発言が、「誰によってなされたのか?」は政治的には無視しがたいことです。今回はこれ以上追求するつもりはありませんが。

そしてガメ・オベール氏が英文についてのみ反駁したコメントに対して、Apeman氏は下記のように返答した。けして英作文能力を低評価してはいないし、話題として重視していないこともわかる。

自分が書くような英語とネイティヴの英語の違いはわかる。あなたの方が英語を書くことに関しては達者であることも、ね(あれをすらすらと書いた、のであれば)。
それよりこちらの具体的な指摘に対して一つでもいいから返答してみたらどうなの?

Apeman氏がプロフィール全体へ疑いを向けたのは、もちろんさらに後日のことだった。そこまでにガメ・オベール氏が研究者を称しつつ、大学の西洋史の先生の言葉を引くかたちでApeman氏を「ゴロツキ」と評価していたのだから、Apeman氏が疑いを表明するのも当然だろう。


最後に、ガメ・オベール氏に特異な文才はあるのだろうとは考える。ブログの文章はくだけながらミスがほとんどなくて読みやすいし、その内容を楽しむ読者も多数いた。
いったん批判を逃れるようにブログを変えながら、批判されたアカウントと連続性をたもったまま新しい愛読者を獲得していることも、なかなか真似できることではない。
もし最初から全てが虚構という立場を選んでいれば、もう少し良いかたちで文才を活用できたかもしれない。攻撃的な小説家が美麗な作品を創造することはよくある。
しかしガメ・オベール氏は虚実さだかではない立場を選んだ。残念なことだ。

*1:引用枠を分割しているように、引用時に中略した。保存しておいたというApeman氏によって、後述のid:kamayan氏のコメント欄で第三者にも提示されている。ガメさんとApemanさんへ - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記/はてダ版 提示後のコメント欄にガメ・オベール氏も書きこみしながら、その提示が虚偽であるとの主張がされなかったことから、Apeman氏は承認されなかったコメントを改変していないと判断できる。

*2:現実とは異なる「寓話」の登場人物としてふるまっているならば、それは事実ではないということ。

*3:先にApeman氏自身のエントリのコメント欄でも、「もしかすると」「偽ユダヤ人」というid:gerling氏のコメントに対して、プロフィールの懐疑には同調せず「まあ正体なんかはどうでもいいんです」と応じている。これはまたみごとな馬脚ですね(追記あり) - Apeman’s diary

『スター☆トゥインクルプリキュア』第17話 敵?味方?ブルーキャットの探しモノ☆

ゼニー星のドラムスの屋敷に、以前とは別のプリンセススターカラーペンも収蔵されていた。それを争奪するため、怪盗とプリキュアの一時的な共闘が始まる……


オークションをネタにした前々回*1と同じ舞台で、今度は正攻法で怪盗の侵入劇を描く。ブルーキャットが変装能力を披露したりも。
しかしスターカラーペンに近づくためのイベントが違うモンスターが登場することをくりかえすばかりで、主人公側の対抗策こそバラエティがあっても、単調気味だったのが残念。それでいて収蔵庫でいきなり巨像と戦うので、あまり強弱のバランスがとれていない感じがあった。その巨像がプリキュアに対抗できる力がありそうなのも、作品の世界観のパワーバランスを崩壊させかねない。ドラムスは階級の敵*2だが明確な悪人ともいいづらく、人命がかかっているような緊急事態でもないのに、一般人を相手にプリキュアへ変身するのもどうなんだろう……
ドラムスがスターカラーペンをあきらめる理由が、敵組織が奪いにくる面倒ごとをさけるためという説明は、いかにも村山功脚本らしいその世界の住人の視点に立っていて良かったが。


上野ケンとアリス・ナリオの共同作画監督。上野作画回にフィリピンの作画監督が入るのはシリーズ全体でも初めてか。
主に前半で描線の強弱がついたいつもの絵柄を楽しんだが、後半に手が回らない制作状況だったのか、それとも平均値を散らす作品の方針だろうか。

そういえば珍しく巻末に参考文献を載せていない「歴史の本」があって、それでウソがばれた出来事があったね

『日本国紀』に出典が明記されていないという批判に対して、百田尚樹氏が釈明したことが最近あった。
百田尚樹氏はどのような「歴史の本」を読んで『永遠の0』を書いたのだろうか - 法華狼の日記

「参考文献を載せなかったと言われますね。でも日本の歴史の本は山のようにありますが、巻末に参考文献を載せている本はほとんどありません。」

百田氏の処女小説である『永遠の0』は、太平洋戦争をモチーフにしたフィクションとして当然のように巻末に参考文献を列挙していた。

百田尚樹氏は、ネタ元を隠しているという批判をかわすため、誰もがネタ元を隠すのだという釈明をした。
それが姑息すぎて、かつての自著との齟齬を感じさせるものとなった。


上記エントリを書いた時はすっかり忘れていたが、これを逆転したような出来事が約十年前、id:Apeman氏の追求で引き起こされていた。
3分でわかるガメ・オベールQ&A - Apeman’s diary

・ガメ:「バターン死の行進の最中に、米兵にゴボウを食わせて死刑になった日本兵の裁判記録を読んだ」と主張。
・わたし:そんな事例があったとはにわかには信じがたい。どの裁判の記録なのか? と質問。
・ガメ:米軍が行った裁判の記録のはずなのに、なぜか日本人が1970年代に書いた本の「末尾参考図書」にある、と主張。
・結果:当該文献はバターン死の行進に関わる事例などとりあげておらず、さらにはそもそも「末尾参考図書」一覧など付されていない。

ガメ・オベール氏のウソが明らかになった実際の経緯は、下記エントリおよびコメント欄を参照のこと*1
武士の情けで黙ってたんだけど、しかたない(追記あり) - Apeman’s diary

岩川隆「神を信ぜず」立風書房(文庫はダメ)「末尾参考図書」に挙がっていると思うよ。
あれは送ってもらえるんです。行かなくてもダイジョブ」

1976年刊のこの本、私の手元にあるんです。でも、ないんです。なにがって? この本にはそもそも「末尾参考図書」ないしそれに類する文献一覧などないんです。

ガメ・オベール氏は、ネタ元が存在するのかという疑問をかわすため、検証しづらいネタ元を示した。
おそらく巻末に参考文献を載せている歴史の本が多いと考えたために、それを根拠として示したのだろう。多数の参考文献が並んでいれば、その全てにあたって裁判記録が存在しないことを証明することは難しいし、ひょっとしたら偶然にも実際の裁判記録につきあたるかもしれない。
しかし岩川隆氏は珍しくも巻末に参考文献を載せていなかった。関連して、コメント欄においてgansyu氏が別の著書における著者の方針を引いている。

同じ岩川隆氏の『孤島の土となるとも BC級戦犯裁判』にも、参考文献のページはありません。
表3、表4も確認しました(笑)。
文献等の列挙を省略したのは、「挙げればそれだけでゆうに一冊の書となる」からだと、あとがきに書いてあります。

歴史の本には参考文献を載せないという非常識を主張して、過去の見識まで問われた百田尚樹氏。
歴史の本には参考文献を載せるという常識だけで調べずに回答をして、実態との乖離があばかれたガメ・オベール氏。
対照的でありつつも、決定的な反証がつきつけられることを先延ばしにしていく態度はよく似ている。


ちなみにガメ・オベール氏と愛読者が現在Apeman氏に集団で抗議しているらしいのだが*2、私が今回のエントリを書くきっかけは戦犯ゴボウ問題にまつわる手記を見つけたことだった。
あまり歴史的な価値は高くなさそうな個人の手記であり、特に新たな情報もなさそうなのだが、いくつか興味深い記述があるので後日に紹介したい。ついでに書いておくと、この手記も巻末に参考文献がのせられていない。