『日本国紀』に出典が明記されていないという批判に対して、百田尚樹氏が釈明したことが最近あった。
百田尚樹氏はどのような「歴史の本」を読んで『永遠の0』を書いたのだろうか - 法華狼の日記
「参考文献を載せなかったと言われますね。でも日本の歴史の本は山のようにありますが、巻末に参考文献を載せている本はほとんどありません。」
百田氏の処女小説である『永遠の0』は、太平洋戦争をモチーフにしたフィクションとして当然のように巻末に参考文献を列挙していた。
百田尚樹氏は、ネタ元を隠しているという批判をかわすため、誰もがネタ元を隠すのだという釈明をした。
それが姑息すぎて、かつての自著との齟齬を感じさせるものとなった。
上記エントリを書いた時はすっかり忘れていたが、これを逆転したような出来事が約十年前、id:Apeman氏の追求で引き起こされていた。
3分でわかるガメ・オベールQ&A - Apeman’s diary
・ガメ:「バターン死の行進の最中に、米兵にゴボウを食わせて死刑になった日本兵の裁判記録を読んだ」と主張。
・わたし:そんな事例があったとはにわかには信じがたい。どの裁判の記録なのか? と質問。
・ガメ:米軍が行った裁判の記録のはずなのに、なぜか日本人が1970年代に書いた本の「末尾参考図書」にある、と主張。
・結果:当該文献はバターン死の行進に関わる事例などとりあげておらず、さらにはそもそも「末尾参考図書」一覧など付されていない。
ガメ・オベール氏のウソが明らかになった実際の経緯は、下記エントリおよびコメント欄を参照のこと*1。
武士の情けで黙ってたんだけど、しかたない(追記あり) - Apeman’s diary
「岩川隆「神を信ぜず」立風書房(文庫はダメ)「末尾参考図書」に挙がっていると思うよ。
あれは送ってもらえるんです。行かなくてもダイジョブ」
1976年刊のこの本、私の手元にあるんです。でも、ないんです。なにがって? この本にはそもそも「末尾参考図書」ないしそれに類する文献一覧などないんです。
ガメ・オベール氏は、ネタ元が存在するのかという疑問をかわすため、検証しづらいネタ元を示した。
おそらく巻末に参考文献を載せている歴史の本が多いと考えたために、それを根拠として示したのだろう。多数の参考文献が並んでいれば、その全てにあたって裁判記録が存在しないことを証明することは難しいし、ひょっとしたら偶然にも実際の裁判記録につきあたるかもしれない。
しかし岩川隆氏は珍しくも巻末に参考文献を載せていなかった。関連して、コメント欄においてgansyu氏が別の著書における著者の方針を引いている。
同じ岩川隆氏の『孤島の土となるとも BC級戦犯裁判』にも、参考文献のページはありません。
表3、表4も確認しました(笑)。
文献等の列挙を省略したのは、「挙げればそれだけでゆうに一冊の書となる」からだと、あとがきに書いてあります。
歴史の本には参考文献を載せないという非常識を主張して、過去の見識まで問われた百田尚樹氏。
歴史の本には参考文献を載せるという常識だけで調べずに回答をして、実態との乖離があばかれたガメ・オベール氏。
対照的でありつつも、決定的な反証がつきつけられることを先延ばしにしていく態度はよく似ている。
ちなみにガメ・オベール氏と愛読者が現在Apeman氏に集団で抗議しているらしいのだが*2、私が今回のエントリを書くきっかけは戦犯ゴボウ問題にまつわる手記を見つけたことだった。
あまり歴史的な価値は高くなさそうな個人の手記であり、特に新たな情報もなさそうなのだが、いくつか興味深い記述があるので後日に紹介したい。ついでに書いておくと、この手記も巻末に参考文献がのせられていない。